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山川ブラザーズが、「バルト=ブランク・スレート」説を論文にして発表しようとしないのは何故なのか? 仲正昌樹【第49回】 – 月刊極北

山川ブラザーズが、「バルト=ブランク・スレート」説を論文にして発表しようとしないのは何故なのか?


仲正昌樹[第49回]
2017年10月8日
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NHK100de名著で『全体主義の起源』を解説する仲正氏

NHK100de名著で『全体主義の起源』を解説する仲正氏

 これまで何回か指摘したように、山川ブラザーズ(=ネット上でかなり低レベルの反ポモ言説を中心に群れたがる面々)は、デリダ、ラカン、フーコーなどのポストモダン系の思想家たちの理論はすべからく、「ブランク・スレート説」なるものに依拠しており、そのブランク・スレート説は、スティーヴン・ピンカー等によって論破されてしまった、従って、「ポモ」は近い内に滅びるだろう、という恐ろしく大雑把なストーリーを描いて、得意になっている。しかも、そういう状況に危機感を覚えている、私のような“ポモ学者”が必死になって、ピンカー等の発言を捏造している、とまで言う。ブラザーズの言う「ブランク・スレート」説なるものは、あまりにも雑な決めつけに基づくものであることはこれまで述べてきた通りなので、ここでわざわざ繰り返さないが、私のような“ポモ学者”が“追い詰められている状況”について彼らがどうイメージしているのかについては多少なりとも興味があったので、一体どういうことなのか、具体的に示すように呼びかけてみたが、それには全く反応がなかった。
 反応がないのは、文系の学者の人事とか身分保障、学内外での業務などのアカデミックな事情についても、人文系のジャーナリズムや出版の動向についても、ほとんど何も知らないからだろう。事情が分かっている人であれば、山川ブラザーズとか、自称理系人間たちから成る似非科学批判クラスターのような得体のしれない連中にネット上で罵倒されたからといって、終身雇用されている大学教員が職を失うことなどありえないし、同僚たちからも非難されて大学内での立場が苦しくなるとか、学生から問い詰められて授業がやりにくくなる、といったことも一切ないのは常識のはずである。心理学や文化人類学、保健・体育系など、実験・現地調査系的なことをやっている教員であれば、その人が取り組んできた研究テーマに対する社会的評価が低くなると、実験や実習のための研究費が獲得しにくくなる、ということはありうる――無論、ネット上でド素人が「〇〇学は不要だ!」と叫んだところで、その分野の評価が下がるわけではない。しかし、「ポモ」と呼ばれているのは、通常、文学、哲学、美学などの、いわゆる典型的な文系分野である。実験とか実習のためにお金のかかる特別プロジェクトを組む必要はない。因みに、私が金沢大学で教えているのは政治思想史、ドイツ語、応用倫理学なので、授業の中でデリダとかドゥルーズの名前を挙げることさえほぼない。精々、ベンサムのパノプティコンの関連でフーコーの名前を出すくらいである。
 また、山川ブラザーズが「ポモ!ポモ!ポモ!」、と吠えるおかげで、本や論文・時評などの執筆や、メディアへの登場のオファーが激減するなどということもほとんど考えられない。山川が嫉妬心をむき出しにして攻撃している東氏や千葉氏の最近の動向を見れば、そんな影響などほぼないのは明らかだろう。私自身に関しても、私が最近どういうタイトルの著作をどの出版社から出しているか、どういうメディアに登場しているか、少しネット検索すれば、山川ブラザーズの言うような「反ポモ的なものに包囲される脅威」の片りんもないことは一目瞭然だろう。もっともブラザーズの面々にとっては、山川や祭谷やuncorrelatedなどのツイッター上の書き込みが、私の“全て”のようなので、本当に私が追い込まれていると信じているかもしれない。そういう連中に付ける薬はない。また、ブラザーズの大半は、山川自身と同様に、又聞きの又聞き…の又聞きで本の内容を部分的に知ると、その本自体を読んだ気になるようなので、そんな連中が増えたところで、私の出している本の売り上げには何の影響もない。「Skinnerian」とか、「ほしみん」とか「あずきマロン@指す将順位戦A2‏ @AzukiMarn」などの書き込みを見ていると、この連中にまともに本を読む能力がないのがよく分かる。
 ところで、Skinnerianはしばらく前に、この連載の第四十五回 [2]での私の記述に対して、またもや読解力不足に基づく偏見で、言いがかりをつけてきた。それに山川がまた便乗してきた。既に述べたことなので、簡単に確認するだけに留めるが、私が述べたのは、ソーカルやブリクモンが、あたかもボードリヤールが「水の記憶」を信奉し、それを前提にした論文を書いたかのように言っているのは誤読もしくは悪意によるねじまげであり、それを無条件に信じる山川等は読解力が根本的に欠如している、文系の院生崩れとは思えないくらいひどい、ということだ。問題になっているボードリヤールの文章は、ごく短いノートのようなものであり、そこで彼が言っているのは、バンヴェニストの実験の元になった着想から、「歴史」をめぐる自らの考察を発展させるインスピレーションを得た、ということだけである。それもほんの少し言及しただけである。バンヴェニストの実験自体の成否と、その文章全体を通してのボードリヤールの主張の妥当性はあまり関係ない。バンヴェニストがどこかのオカルトの教祖のような人だったら、その発言からインスピレーションを得たというのは多少引っかかるが、少なくとも経歴的には専門的な免疫学者で、一応『ネイチャー』に論文を執筆できるような人である。Skinnerianも山川も、単純な〇×思考しかできないので、[偽科学と認定された論文を書いた奴を好意的に引用する奴=偽科学の信奉者]と決めつけてしまったのだろう。これだけ読解力が低い連中は、少なくとも人文系の分野で、まともな研究者としてやっていくことは不可能だろう。
 そういう意味で私は、彼らを院生崩れもしくは学者崩れだと言っているのであるが、「リベラルの欺瞞‏ @libegiman」という中立を装った人物が、そういう言い方はひどい、そんな言い方をすると、哲学を志す者が引いてしまう、などといちゃもんを付けてきた。私は山川等が、一度は大学院生になったはずなのに、他人の文章の引用・参照の仕方も、対象に従って様々な解釈の仕方があるということも、アカデミズムの中での評価の仕組みも全く理解していないようなので、「院生崩れ」と言ったのである。学問や評論について知ったかぶりをしていないのであれば、元院生かどうか、学者や評論家を志したことがあるかどうかは、全く関係ない。
 前回 [3]も述べたように、山川等が、ロラン・バルトが認知科学や心理学に本格的に関心を持ち、認知科学・心理学的な意味での「ブランク・スレート」説を前提にして、エクリチュールや記号、モードに関するテクストを書いていたと本気で信じているのであれば、それを論文にして発表すべきである。「バルトの記号論なんて、ブランク・スレート説に決まっているでしょ!」、というような雑な決めつけではなく、バルトの主要テクストや講義録にきちんと当たって、ロック以来、あるいは山川や祭谷が言うところでは、アリストテレス以来の「ブランク・スレート」説の継承者として論を組み立ている、と実証できれば、これまでの様々なバルト理解は根底から覆されるだろう。是非とも博士論文を書いて提出すべきだ。博士課程に在籍していなくても、主任として審査してくれる教員を見つけて、その大学に審査手数料として数万円支払えば、博士論文として審査してくれるはずである――無論、論文としての体裁を整えて提出することが前提だが。山川の母校である名古屋大の恩師や、サブカル系の同人誌やネットで知り合った大学教員に審査員になってくれないか、と問い合わせてみればいいではないか。その博士論文が合格して、評判になれば、大学教員になる道が開けるかもしれない。それほど評判にならなかったとしても、「ブランク・スレート説で博士号を取得したぞ!」、と自慢して、東氏、千葉氏、私等の“ポモ学者”を見返すこともできるだろう。また、指導を受けながら論文を修正し、審査を受ける過程で、アカデミズムの制度や論文の書き方についていろいろ学ぶことができるので、「俺はもう素人ではないぞ!」、と威張れるようになるかもしれない。審査を引き受けてくれる大学がなかったらなかったで、その論文を出版社やマスコミに持ち込んで、「ポモによって毒された日本のアカデミズムの偏狭さと堕落」を訴えればいいではないか。
 そういう真っ向勝負をする勇気も能力もないのであれば、ネット上で、自称理系人間や論客ぶりたがるアニメ・オタク相手など、リテラシーが低い輩相手に、「ポモ=ブランク・スレート」説なるものを説いて悦に入る、ただの院生崩れと言わざるを得ない。
 無論、私は大学教員の身分を持っていさえすれば、まともな研究者・教育者だと思っているわけではない。『Fool on the SNS』で名前を挙げた中大の大杉のように、不確かな情報・読解力に基づく無責任発言を繰り返す人間や、何も考えずに脊髄反射的に山川に同調してRTする、自称演劇研究者や自称社会学者のようなしょうもない輩もいる。最近また、山川レベルのバカ発言をする、法政大学の教員を見つけた。
この連載のちゃんとした読者は既に知っていることと思うが、私はNHKのEテレの番組「100分de名著」で、九月に放送された「ハンナ・アーレント『全体主義の起原』」で講師を務めた。紹介する本の内容からして、放送でもテクストでも「右」の人たちから反発されそうな解説をしている箇所が多々あるが、「左」を刺激するような発言も若干している。
 『全体主義の起原』の第二巻「帝国主義」を扱った第二回の最後に、「国民国家」にもポジティヴな面があるという話をした。学校教育を普及させ、効率的に組織化し、教育水準を高めるには、その国民の慣れ親しんでいる言語に統一するのが便利だし、軍隊や警察のように国のために命をかけて戦う人にとっては、守るべき同胞のイメージがはっきりしていた方がいい、ということがある、ということを言った。それによって少数派の排除が起こりやすくなるのは確かだし、同じような顔をし、同じような価値観を持つたちだけから成る均質的な国民がベストだとも思わないが、人類の現状からしてある程度仕方ない面があると思ってそう言った――アーレント自身は「国民国家」の負の側面を強調しているが、「国民国家」を本来あってはならない排他的政治形態として全否定しているわけでもない。多少の「左」からの反発はあるかと思っていたが、あまり反応はなかった。
それだけに、selekt@selektball という人物による、肝心な所を捻じ曲げた、以下のような“批判”が際立った。

NHK 「100分で名著 『全体主義の起源』(アーレント)」は側面情報による理解ができて面白いとは思うけど、諸々異論もあり。2回目で解説の仲正氏の言った「国民国家の(人種主義)にも良いところもあり、それがなければ警察・軍は命をかけられない(大意)」は全体主義の危険性そのものでは

 国民国家を志向する「ナショナリズム」と、帝国主義から生まれてきた「人種主義」は全く異なるものである。『全体主義の起原』という本は、「左」の人たちがネガティヴな概念として安易に一緒くたにしがちの、「国家」「国民」「民族」「人種」「ナショナリズム」「ファシズム」「資本主義」「帝国主義」「全体主義」といった概念を丁寧に仕分けしたうえで、相互の関係を明らかにしていくところにその特徴があるわけだが、この男は、その肝心なところが分からないようである。自分の既成の雑な認識に引き戻してしまうのではアーレントを読む意味がない。「大意」だと言って誤魔化しているが、自分の雑な理解を「大意」だと言って正当化していいのなら、いかようにも捏造できる。こいつは恐らく、「安倍こそ全体主義だ!」と連呼しなければ、満足しない、雑なサヨクなのだろう。
 この男一人なら、無教養なくせにやたらにラディカルぶりたいサヨクのたわごとと思って無視してもよかったのだが、そこに法政大学社会学部教授という肩書を持つ、「大﨑雄二‏@yuji_george」という男が同調して、以下のようにツイートした。

やっぱり……。 毎回、何か所か引っかかる部分があって、そのたびに繰り返し見直して、「ウ〜ン」とうなっています。 そうですよね、うん。

 繰り返し見直した、と言っているが、こいつの頭と耳はどうなっているのだろう。本当に繰り返し見直したとしたら、こいつの精神状態を疑う。いつ私が、「国民国家の人種主義」なるものを正当化したのか? 恐らく、「仲正などという俺の知らない奴に全体主義の解説ができるはずがない、真に全体主義を理解しているのは俺だ」、とでも――ある意味、新潟県の在特会ウヨク今井と同様に――思い込んでいるせいで、ねじ曲がって聞こえたのだろう。しかもこの男が元NHK記者で、中国問題の専門家として中国の国民国家問題について論じているというのだから、本当に嫌になる。六十近くの男だが、こいつは記者としても学者としても基礎訓練がなっていなかったのだろう。この男のツイッターの過去ログを見ていると、どうもいろんな問題に首を突っ込んでは、自分のラディカルさを示すべく、他の左翼は言わないような、一風変わった発言をして悦に入っている奴のようだ。
 この大﨑とselekt@selektballは、その後、拙著『ラディカリズムの果てに』(明月堂書店)に関する誰かのツイートを見つけきて、「ああ、やっぱり」と勝手に納得していた。恐らく、Eテレが間違えてウヨク学者を連れてきたとでも思ったのだろう。ちゃんと読んだ人には言わずもがなのことだが、念のために言っておく。『ラディカリズムの果てに』は左翼的思想を持っている人全般を批判した本ではない。大﨑やselekt@selektballのような、無教養で口先だけの“ラディカリズム”で悦に入っているような、低レベルのサヨクの行状を分析した本である。大﨑に対しては、「批判するのはいいが、その前にせめて、『国民国家の人種主義』というような、肝心の点に関する誤解を正してからにしてもらえませんか。それが学者やジャーナリストとしての最低限の作法でしょう」、ということをメールで伝えたが、一切応答なし。
 大﨑やselekt@selektballは“政治”的には、山川ブラザーズとむしろ逆の立場だろうが、他人の発言を“批判”しやすい方向に曲解し、間違いを指摘し訂正を求めても無視し、仲間内だけで勝手に盛り上がれてしまうメンタリティはよく似ているように思える。大﨑がもし自分の発言に自信があるのなら、「古今東西の国民国家思想は、例外なく全て人種主義イデオロギーに基づいている」ことを論証する論文を書いて出版すべきである。あるいは、それを明らかにするための番組企画を作って、古巣のNHKに持ち込んでもいいだろう。それができないで、くだらない誹謗ツイートを続けるようだったら、まさに私が『ラディカリズムの果てに』でやり玉に挙げたような、ただの「かまってちゃんサヨク」である。



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