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批判と中傷誹謗 仲正昌樹【第3回】 – 月刊極北

批判と中傷誹謗

仲正昌樹
[第3回]
2013年12月12日
[1]

 この連載コラムで繰り返し問題にしてきた、ネット上で他人の悪口を拡散させている輩のほとんどは、中傷誹謗と、批判の区別が付いていない。大学教師や評論家など知識人の言論を真っ向から批判するつもりであるならば、この区別を理解していることが極めて重要である。自分自身も知識人あるいはその卵であると思っているなら、猶更のことである。しかし、ネット上の自称知識人たちは、この単純なことを理解するつもりが全くないらしい。
 どうせ無駄だと分かっているが、学者の論文や評論文に対する、批判と中傷誹謗の違いについてごく簡単に述べておく。最も重要なポイントは以下の二点である。
 第一に、文章を批判すべきであって、相手の人格を“批判”すべきではない。文章を問題にすると言いながら、相手の学者としての資質とかモラル、人間性等をしつこくあげつらうのは批判ではない。
 よくあるパターンが、貧困問題や原発問題、増税問題などに対して、ある学者が専門的な見地から意見を述べたところ、その意見を気に入らない連中が、「こんな頭の悪い奴が○○大学の教授になれるなんて、日本の大学も地に落ちたものだ」、とか、「政府の犬になった」、「人としての品性が疑われる」、などと“コメント”――こんなのは、「コメント」と呼ぶにも値しないのだが――するパターンである。
 品性を疑って良いのは、その人物が犯罪や、セクハラなどのそれに準ずる問題行動をしたことが明らかな場合だけである。ある意見を専門的見地に基づいて表明したことに対して、「品性を欠く」などと発言する輩の方が品性を欠いている。政府の犬になったというからには、証拠を示す必要がある。証拠がないのにそういうことを言うのは、名誉棄損である。
 また、仮に学者の文章に間違った推論が展開されていたとしても、それをもって、その人物が大学教員失格であるなどと断言するのは、人格攻撃である。本当に批判したいのなら、その文章に書かれている内容に話を絞るべきである。
 プロの学者であればありえないような間違いをしていると考えるのであれば、そのことを示唆するのは、許容範囲かもしれないが、その場合、かなり慎重になる必要がある。批判しようとしている側が、その人物の専門分野の最低限の常識がどういうものか把握している可能性はかなり低いからである。専門家同士でさえ意見が食い違うことが少なくない。素人が直感的に、「こんなもの常識に決まっている」、と思っていることのほとんどは、思い込みである。特に、哲学とか社会学などは一見すると、予備知識なしで素人も議論に参入できるように見えることもあるが、それは幻想である――幻想を助長する困った“専門家”もいるが。
 「△△先生もおっしゃっていたように」、という感じで他の学者の意見を孫引きしてくる輩がいるが、孫引きはほとんどの場合、見当外れである。他分野の専門家の、全然異なった問題についての発言を、自分のうろ覚えの知識と直感に従って、強引に引っ張ってくることが多い。他の専門家の対抗言説を適切に参照してくるのは、かなり難しい。仮に、たまたま見つけた△△先生が、批判したい相手と同じ分野の専門家だとしても、△△先生の方が正しいという根拠はない。かつて、『噂の真相』という左派系ゴシップ雑誌が、気に入らない学者に対して、「○○は学会では鼻つまみもので、誰からも相手にされていない」という趣旨のことをよく書いていたが、どうやってそれを確認したのか。鼻つまみかどうかなどというのは極めて主観的な話なので、それになりに学問的権威のあるまともな学者の間でも認識が異なることが多い。素人が、たまたま一人の同業者から仕入れた噂話が、当たっている可能性は極めて低い。
 第二に、文章をねつ造すべきではない。本人が言っていないことを言っているかのようにでっちあげたうえで、その人物の“愚かさ”や“不誠実さ”を責めるのは、中傷誹謗である。
 困ったことに、でっちあげる連中のほとんどは、でっちあげていることを自覚していない。ちゃんと読まないで、文章のタイトルだけ見て、勝手に内容を想像しているパターンが多い。もっとひどい場合には、自分では全く読まないで、他人の“評価”を真に受けてそのままRTしていたりする。
 ちゃんと読んでその内容を要約しているつもりでも、“批判”したいという気持ちが先行しているので、自分の想像で捻じ曲げてしまうことがある。その分野の専門家でさえ、功を焦るあまり、やってしまうことがある。素人が焦って“批判”しようとすれば、その危険は極めて高い。
 そういう過ちを避けようとするのであれば、「きちんと引用する」必要がある。「きちんと」というのは、単に「一語一句正確に」ということだけではない。ごく短いフレーズを取り上げて、鬼の首を取ったような顔をすることなく、それがどういう文脈で何を主張するために書かれたのか明らかにしたうえで、引用する必要がある。その文脈を再現するに際して、自分が理解できない内容を適当に省略したり、勝手に想像したりしてはならない。これは、かなり難しくて、面倒くさい作業である。その作業を面倒くさがる人間には、「批判」は不可能である。
 以上の二点を理解できていないくせに、ネットで評論家を気取っている輩は、屑である!――一思い込みで他人を中傷誹謗して悦に入っている連中を、まともな人格扱いするほど私は寛容ではないし、これは論文ではなく、コラムなので、礼儀知らずの輩は屑扱いすることにする。これら主要な二点以外にも、知識人を個人攻撃する卑劣なやり方はいくつかあるのだが、この連載でも何度か指摘したことがあるので、今回はこのくらいにしておこう。