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古井戸が終わり、始まる(1) いしうらまさゆき【第1回】-月刊極北

古井戸が終わり、始まる(1)

いしうらまさゆき[第1回]
2015年11月1日
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36年ぶりの古井戸「再会」ライブに集う往年のファンたち(10月20日、東京キネマ倶楽部=台東区根岸)

36年ぶりの古井戸「再会」ライブに集う往年のファンたち
(10月20日、東京キネマ倶楽部=台東区根岸)

時代の結節点
 2015年10月20日に『古井戸「再会」仲井戸”CHABO”麗市×加奈崎芳太郎』ライブが行われた。1989年に公開された『バック・トゥ・ザー・フューチャーPART2』の舞台で未来にタイムトラベルした日(2015年10月21日)の前日に。この出来事の重さを月並みな言葉で言えば感動、そして涙であるのだけれど。絶対に戻らない恋人が復縁した奇跡と重ね合わせてみたり、夢が叶った嬉しさと寂しさ、それでも残った前向きな余韻がないまぜとなって、ぼくは終演後も毎日毎日この出来事の意味を反芻している。
 それにしても今年(2015年)は時代の結節点だとつくづく思う。昭和90年、戦後70年、オウム真理教による地下鉄サリン事件から20年。70年経ってなお「戦後」を維持させてきた憲法や日米の安全保障体制をここぞとばかりに手入れしようという動きもあった。長らく存続されてきた「戦後」や「昭和なるもの」にくさびが打たれたこの年。年齢や清志郎の死もあったのだろう、仲井戸の心の中の何かが融解したことは興味深かったし、加奈崎の(そして古井戸を愛する人達の)もやもやとした古井戸というバンドへの想いに決着をつける場所に、昭和の雰囲気を色濃く残す鶯谷のグランドキャバレーを改装したハコ、東京キネマ倶楽部が選ばれたというのも示唆的だった。

古井戸抜きでは語れない何か
 古井戸は1971年にエレック・レコードからデビューした。「カナヤン」こと加奈崎芳太郎と「チャボ」こと仲井戸麗市のデュオである。奥津光洋、神戸寿というバンド・メンバーが抜け、最終的にフォーク・デュオとして名乗りをあげた二人だったが、コミックソング的かわいらしさを持ち、しかもリードボーカルの加奈崎ではなく仲井戸がメインボーカルを務める「さなえちゃん」の特大ヒットでアイドル的に世に知られるようになったということが最初のねじれだったのかもしれない。
 本来は、渋谷のライブハウス「青い森」時代に井上陽水と張り合う声量を誇っていた(ご本人から聞いたところ、一緒に組むなんて話もあったらしい)加奈崎の武骨でブルージーなボーカルと、後にRCサクセションに途中加入し、忌野清志郎と新たな一時代を築いた仲井戸麗市の圧倒的なアコギ・プレイ、卓越したソングライティングが売り物のグループ。しかしその本質は案外、当時生でライブを聴くことができた人々の記憶にしか残っていないのかもしれない。当時のライブ盤を聴けば、少しはその雰囲気に浸ることができる。一曲一曲のクライマックスに差し掛かかれば、エンジニアもさぞや苦労しただろう、と思ってしまうボーカルの凄まじい「割れ」(レコーディングでもマイクが割れてしまう・・・・・・)とアコギ二本のぶつかり合いを体感できる。しかも「何とかなれ」だとか「紅茶にしますか、ミルクはどうしますか」などというもの悲しい言の葉や、もはや言葉にならぬ感情を突然絶叫し始めるのだから。
 今回の再会ライブの開演前のSEはオデッタだった。彼女はボブ・ディランにも影響を与え(*1)、ニグロ・スピリチュアル~ブルーズをフォーク・ギター中心の演奏で聴かせた黒人女性だ。この辺りがブルーズや洋楽のカバーが主体だったという初期のレコードの形では残せなかった古井戸の音と重なり合う所があるように思えた。そう、オリジナルのレパートリーが少なかった時代、洋楽以外では はっぴいえんどやジャックスもレパートリーに入れていたのだという。かの山下達郎が初めてはっぴいえんどの楽曲を聴いたのは渋谷ジァンジァンで聴いた古井戸のカバーだったという話もある。そう考えると、後に山下が古井戸と同じエレック・レコードからバンド、シュガー・ベイブでデビューしたこともあり得る符号だし、1973年の古井戸のサード・アルバム『ぽえじー』に収録されたジョン・山崎作曲の「らびん・すぷんふる」に聴ける1970年前後のNYっぽい洗練されたコーラス・パートは、間違いなくシュガー・ベイブに影響を与えているはずだ(実際山下達郎がラジオでオンエアしたことがあった)。
 再会ライブ(*2)は仲井戸にはおそらく複雑な想いはありつつも、45周年、現在の自分の音楽人生を振り返った時に、古井戸抜きでは語れない何かがあったのだろう。仲井戸はギターに徹してトークを意図的に排し、加奈崎メインで進めたステージ(もちろん古井戸時代の力関係はそんな雰囲気だった)は昔語りを避けているようでちょっと不自然な感じがしたけれど、それがせめてもの落としどころだったのかな。とはいえ、加奈崎を立てて、優しく寄り添うようなステージから伝わってくる仲井戸のバンド・メイトに対する感謝の気持ちは十分すぎるほど伝わってきた。奥さんであるおおくぼひさこさんとの出会いのきっかけ、にも触れていたし!

*1:「Blowin’ In The Wind(風に吹かれて)」は黒人奴隷の悲哀を歌ったオデッタ版「No More Auction Block(もうオークションにかけないで)」のメロディを引用している。
*2:「再開」「再結成」ではなく、今回はあくまで渋谷公会堂、長野・諏訪、鶯谷の3回だけの「再会」だ。

チャボと演るならロックに
 それにしてもいかにも思った通りの「古井戸らしい」ライブだった。生演奏の魅力、二人組ながら「バンド」を否が応にも感じさせるアコギ(ときにマンドリン)二本のぶつかりあい、チャボが吠えれば加奈崎が吠え返す声、声、声・・・・・・。加奈崎中心に選曲されたという古井戸の楽曲は、印象でいうとあえて抒情的なフォーク色を薄めたロックでブルージーなものだったように思えた。チャボと演るならロックに、という部分もあったのだろう。チャボのスピーディーかつ巧みに繰り出されるギター・フレージングはアッと息をのむほどに圧倒的だった。久しぶりにこんな凄いギター聴いたな、という。チャボは本質的にはアコースティック・ギタリストとして比類なきプレイヤーなのだと再認識した次第だ。また、「明日引っ越します」「東京脱出」「ひなまつり」ではバッファロー・スプリングフィールド経由の はっぴいえんど も介しつつ、のCSN&Yからの影響も感じられて。もちろん二人のバンドやソロ・キャリア36年を経て意識的・無意識的に進化・再編されていた部分があるのも面白く、テンポアップされていたり、歌い回しが当然変わっていたり、新しいフレーズや、「雨の日の街」ではオリジナルにはないエフェクターを使ったプレイもあったり、二人の音楽的な相性の良さは正直疑うことができないものがあった。演奏曲目は以下の通り。

~アンフォゲッタブル(ナット・キング・コール)~/750円のブルース/飲んだくれジョニイ/らびん・すぷんふる/待ちぼうけ/花言葉/ちどり足~抒情詩/セントルイス・ブルース/雨の日の街/スーパー・ドライバー5月4日/明日引っ越します/早く帰りたい/ひなまつり/さよならマスター/四季の詩/いつか笑える日まで/(アンコール)ポスターカラー/何とかなれ/夜奏曲/おやすみ

加奈崎の人生と並走する
 それにしても加奈崎芳太郎と仲井戸麗市が同じ舞台で演奏するという「画」がなんと美しかったことだろう。古井戸の解散から現在に至るまで36年間、二人が同じ方向を向くことはなかったのだから。1993年にリリースされた2枚組のベスト盤『古井戸セレクション1971―1974』を、私は高校生の頃、欲しいな欲しいなと何年もレコード屋で手に取った末にそれこそ清水の舞台から飛び降りる気持ちで買い(なにしろ4700円もした!)、貪るように聴いていたのだった(*3)
 そのライナーの末尾に1993年の二人のコメントがあった。古井戸時代を懐かしみ愛おしみ「俺はまたいつかおまえとやりたいと思う」「サアー、チャボ、今日からまた新しい曲作ろ! 俺の新曲なら、いつでも聞かせてあげる おまえの新曲、いつかのように、ひっそり俺だけに聞かせてくれ」と呼びかける加奈崎。それに対し「習作」の時代と位置付けた古井戸の復刻版が出ることを「非常に複雑な想い」で受け止め「アナログ盤の中古屋さんで、どーしても聞きたいと思ってくれている人達が、必死で探してくれた挙句、少し値段も高いがそれでも買って聞いてくれる・・・・・・という様な事が実は頂度よかったのだ」(*4)と淡々と語った仲井戸。高校生だったぼくはそれを「なんて切ないんだろう」と思った。交わることのない二つの感情のねじれ。ぼくはそんなとき、私信のように思いを吐露する加奈崎の真っ直ぐな気持ちに感情移入してしまった。解散後に進んだそれぞれの人生がこのねじれを生んだのだろう。
 古井戸解散後、先輩だった加奈崎はソロ・シンガーとしてキャリアを再スタートさせるが、もちろんレコードの売り上げは古井戸時代を上回ることはなかったように思う。それでも、後輩であるチャボや清志(郎)に恥ずかしくないように、いつか古井戸を、という気持ちをおそらく原動力に、音楽活動を続けていったのだろうと想像する。対して、RCサクセションに加入し、ジリ貧だったバンドを再ブレイクさせ、忌野清志郎と共に時代の寵児となった仲井戸。
 1993年当時は新しい自分の音楽活動に夢中で過去を振り返る余裕もなかったはずだ。それにしても2000年に自身のキャリアを総括する4枚組ボックス『works』がリリースされ、チャボ一人で古井戸の楽曲をカバーした時は、本当にあんまりだと思ってしまった。もちろんその頃の彼にも、加奈崎さんの手を借りなくても独り立ちできるんだよ、という自負があったのかもしれないし、古井戸の楽曲を自身の手で再生させることでしか新鮮味を味わえなかったのかもしれない。いずれにしても、そんなこんなで二人が今後交わることは到底あり得ない、と思えたのだった。その二人が今日、同じ舞台で再び演奏している事実。これは夢ではなくて何だろう・・・・・・。

*3:ファーストの楽曲は改めて今聴くと、はっぴいえんど の『風街ろまん』などにも実はよく似た、1972年という時代の東京の乾いた匂いが封じ込められていることに気が付く。
*4:実際、当時新宿や渋谷の中古屋さんで古井戸は必ずディスプレイされて、5000円以上の値段が付いていた。

 ライブ当日、チャボ・ファンに交じって旧知の加奈崎ファンの方々が大勢来ていた。特別な一日だと思えた。筋金入り、往年のファンであるHさんに「この日を待っていたんですよね・・・・・・」と話しかけると、喜々として「36年待ってました!」と返ってきて、その純粋な想いの深さに打ちのめされた。それにしても36年って、ぼくの年齢じゃないか。そうだった、古井戸が久保講堂で解散したのが1979年の11月。ぼくはその前月10月にこの世に生を享けたのだった。加奈崎芳太郎のファンになったぼくは、古井戸解散後の加奈崎芳太郎の人生を並走していたということかもしれない。


>>古井戸が終わり、始まる(2) [2]

いしうらまさゆき
1979年東京生まれ。シンガー・ソングライター、音楽雑文家。学習院大学を経て立教大学大学院修了(比較文明学)。1999年にソニー・ミュージックエンタテインメントのコミックソング・オーディションに合格。2011年に『蒼い蜜柑』(KAZEレーベル)でデビュー。2015年には4枚目のアルバム『作りかけのうた』(MASH RECORDS[ウルトラ・ヴァイヴ])をリリースした。レコード・コレクターとしても知られ、芽瑠璃堂マガジン「愛すべき音楽よ」 [3]も好評連載中!