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一期一会の街~深谷宿~ 吉岡達也【第20回】-月刊極北

一期一会の街~深谷宿~

吉岡達也[第20回]
2015年7月27日
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深谷之駅(渓斎英泉)

深谷之駅(渓斎英泉)

 今年の夏もまた強烈な暑さとなっている。つい一昔前は「関東で35度超え」ということだけで新聞記事になったものだが、最近ではごく当り前のようにお天気情報の一コマに過ぎなくなっている。このところ折を見ては「街道歩き」を行っている身にとっては、極めて厳しい環境下に置かれている。そもそも炎天下の国道沿いを歩く人などなかなかいない。アスファルトの照り返しがますます気温を押し上げる。沿道を走るトラックが砂ぼこりを上げながら脇を通り抜けると一瞬回りが見えなくなり、何かの罰ゲームを受けているような気分になる。
 少なくとも江戸時代の夏は、これほど暑くなかった。ざっくりいえば、江戸260年間を通じて気温は今から4、5度は低かったといえるだろう。今日の高温多湿の夏だったら、江戸の旅人は踏破を躊躇(ちゅうちょ)したにちがいない。改めて百数十年の間に環境自体が大きく変化していることに思い当たる。
 さて、今回は深谷宿(現・埼玉県深谷市)だ。中山道の江戸から9つ目の宿場。実は京を目指す旅人にとっては、1日目の主要宿泊地の桶川宿に続き2泊目の宿として選ばれることが多い場所でもあった。1843(天保14)年の深谷宿の人口は1928人。本陣、脇本陣のほか約80軒の旅籠を有し、造り酒屋なども点在した。
 一般に深谷といえば登場するのが「渋沢栄一」だ。渋沢栄一(1840~1931)は明治期の実業家として近代産業の基盤をつくった大立者だ。農家の子から後の徳川15代将軍・一橋慶喜に仕官。当時の大蔵省を経て第一国立銀行を設立し、日本煉瓦製造をはじめ600以上の企業を手掛けた。

深谷の「顔」。渋沢栄一氏が鎮座

深谷の「顔」。渋沢栄一氏が鎮座

 2012(平成24)年の東京駅丸の内駅舎保存・復元で一躍脚光を浴びたのが、「ミニ東京駅」と呼ばれる深谷駅だ。とにかく駅舎が東京駅にそっくりなのだ。現駅舎は1996(平成8)年に完成。そもそも東京駅丸の内駅舎が1914(大正3)年に創建される際、深谷にあった日本煉瓦製造のレンガを使ったことにちなんで建てられたものだ。「関東の駅百選」にも選ばれ、いまや深谷の象徴となっている。駅前広場では渋沢栄一像が駅舎を見つめながら鎮座する。明治期の傑物を生み出した深谷の街の底力とは――。世襲のいんちきカリスマばかりが跋扈(ばっこ)する今日、改めて見直す時期なのかもしれない。

「ミニ東京駅」 深谷駅の偉容

「ミニ東京駅」 深谷駅の偉容

 さて、深谷で何とも印象的な場所が、江戸方面から深谷宿に入る直前にある「みかえりの松」だ。ここは深谷宿に泊った旅人が宿の飯盛り女との別れを惜しんだ場所だという。旅人がいざ旅立つ間際にこの松付近で深谷宿を振り返ったことからこの名称が付いたと伝えられている。初代「みかえりの松」(樹齢約300年)は残念ながら枯れてしまい2006(平成18)年に伐採されたが、同年11月には2代目の松が植えられ、現在に至っている。

「みかえりの松」。数多くの旅人と飯盛り女がここで別れを惜しんだ

「みかえりの松」。数多くの旅人と飯盛り女がここで別れを惜しんだ

 ここにしばらく佇んでいると、なぜか切ない気持ちになってくる。江戸期、旅人と飯盛り女との逢瀬はまさに一期一会。もう会うこともない。それが分かっているからこそ終生心に残るものだ。宿外れまで来て手を振る飯盛り女の姿が浮かんでくる……。そんな別れの場所にあった松が長い間守られてきたことに、どこか深谷の持つおおらかさや温かみを感じるのだ。
 京方面に向けて、深谷宿を進む。大きな常夜灯を過ぎ、唐沢川にかかる行人橋(ぎょうにんばし)を渡る。深谷は文字通り「深い谷」の場所にあり、江戸期には川がしばしば氾濫し宿周辺は被害を受けた。これに心を痛めた僧「行人」が、集めた浄財を使って木製の橋ではなく当時珍しかった石橋を架けたという。

行人橋周辺。江戸期この辺りはたびたび氾濫し、旅人を悩ませた

行人橋周辺。江戸期この辺りはたびたび氾濫し、旅人を悩ませた

 しかし、それにしても暑い。午後2時すぎ。道端にある庚申塔に触れると、その暑さに思わず手を引っ込める。市の防災行政無線から高温注意情報が流れてくる。
 「こちらは、深谷市役所です。本日は、熱中症になる危険性が高くなりました。水分をこまめにとるなど、熱中症にならないよう注意しましょう」
 見渡すと街道沿いに人の姿はない。車の往来もまばらだ。ここで熱中症にかかれば、文字通りの行き倒れだ。近年、全国最高気温ですっかりおなじみになった熊谷市の隣接市を歩いているのだ。そこはかとない恐怖が迫ってくる。近くにあった自動販売機で深谷の地下水を詰めたペットボトル「ふっか水」を購入。一気にあおる。

◇    ◇    ◇

 実はこの日深谷を訪れたのは、街道歩きと同時に他の理由があった。深谷市民文化会館で米国のロックバンド・ベンチャーズ(1959年~)のコンサートが開かれたのだ。今回は唯一の創設メンバーであるドン・ウィルソン(リズムギター)の引退公演。会場はほぼ満員。街道歩きでへたばっていたものの、午後5時の開演と共にすっかり蘇った。

深谷にベンチャーズがやってきた

深谷にベンチャーズがやってきた

 私はオペラグラスでひたすらドン・ウィルソンのギタープレイを追っていた。82歳とは思えない若々しい演奏に舌を巻いた。やがてコンサートも大詰めとなり、「ハワイ・ファイブ・オー」辺りから不思議な感慨が沸き上がってきた。日本にロックを伝えた歴史的バンドの一つの節目に立ち会っている感覚だった。やがてアンコール。観客から持ちきれないほどの花束やお土産を受け取っているドンの姿は幸福感と安ど感に満ちているようにみえた。自然と私のオペラグラスの画面が曇っていく。いいものを見た、と思った。
 コンサート後、薄暮の残る街道をゆっくりと歩いた。昼間の猛暑もいつしか一段落していた。遠くから聞こえてくる夏まつりの準備のお囃子の音が心地よかった。
 はからずも深谷は私にとって「一期一会の街」となった。