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79年前の幻影(上) 吉岡達也【第12回】-月刊極北

79年前の幻影(上)

吉岡達也[第12回]
2015年2月21日
[1]

議事堂前を行く将校たち

1936年2月26日、議事堂前を行く将校たち

 先日、所用で東京・赤坂を訪れた。仕事を終えてふと立ち寄った公園が、戦前の内閣総理大臣、大蔵大臣を歴任した大物政治家・高橋是清(1854~1936)の旧私邸だった。
 そういえばここは二・二六事件の舞台か……。園内を歩きながらふいに閃いた。折しも2月。そうか、こんな寒い季節だったんだな。
 二・二六事件――。
 今を遡ること79年前の1936(昭和11)年2月26日未明、陸軍の青年将校らがクーデターを起こし、首相官邸や閣僚私邸などを次々に襲撃、陸軍省や警視庁などを支配下に置き、2日にわたって東京都心を占拠した前代未聞の事件だ。
 その後、天皇の奉勅命令が出たことによって反乱は一気に鎮圧。裁判により首謀者の青年将校らが死刑となった。こうして事件自体は決着したかにみえたが、この事件以降、軍部の政治的発言力がより高まり軍事予算も大幅に増強、その後戦争への道へ突き進んでいくことになる。
 二・二六事件というと、どうしても「雪」のイメージが色濃い。79年前のあの日は東京では珍しいほどの大雪だった。私にとっては高校時代の教科書に載っていた雪の中を行進する将校たちの写真の記憶が焼き付いている。モノクローム写真の白と黒のインパクトが事件の大きさと相まって、何とも重い歴史を伝えているのだ。
 作家・永井荷風(1879~1959)の「断腸亭日乗」によると、同日の日記には「灰の如きこまかき雪降り来り見る見る中に積り行くなり」「光景を見に行きたくは思へど降雪と寒気とをおそれ門を出でず」とある。いかにも荷風らしい。
 さて、赤坂にある高橋是清蔵相私邸を襲撃したのは、そこから至近距離にあった近衛師団歩兵第3連隊。午前5時すぎに約100人の将校が乱入し、2階寝室にいた高橋蔵相を殺害した。
 私邸は現在、東京・小金井市の「江戸東京たてもの園」に移築されている。高橋蔵相の命日である2月26日には毎年、室内に花がたむけられている。
 公園は、そんな歴史があったことなど全く感じさせない穏やかさに包まれていた。子供が母親のそばを笑いながらかけ回り、高齢の男性が3人、のんびりと冬の陽射しを浴びている。普通の公園とやや異なるのは、はかま姿の恰幅のいい老人の銅像が一段高い場所から敷地で憩う人々を眺めていることぐらいだ。
 「二・二六事件の現場を回ってみよう」。不意に思いついた。戦後70年の節目の今こそ、そこから見えてくるものがあるかもしれない。
 翌日――。私は珍しく早起きすると、東京・練馬の自宅を出た。まずは渋谷の「二・二六事件慰霊像」からスタートすることにした。
 慰霊像はNHKに面した渋谷税務署の一角にある。周辺は以前から何度も通っているものの、慰霊像を見るために訪れたのは初めてだ。この事件で犠牲となった全ての関係者を慰霊することを目的に設置されたもので、建立は今からちょうど半世紀前の1965(昭和40)年2月。この地は陸軍刑務所跡であり、二・二六事件の首謀者だった青年将校ら19人が処刑された場所でもある。リュックサックを背負い、地図を手にした高齢者の歴史愛好家グループがガイドの人の説明を熱心に聞いている。
 引き続きJR原宿駅から乗り継いで都営大江戸線麻布十番駅へ。暗闇坂に近い賢崇寺には二・二六事件で処刑された将校などの「二十二士之墓」がある。
 やはり80年近い歳月の流れを実感する。「軍国」の歴史的遺産の持つある種の圧迫感よりも、何とも表現出来ない静寂が感じられた。
 そこから事件の当事者・決起部隊である陸軍の第1師団歩兵第1連隊、第1師団歩兵第3連隊及び近衛師団歩兵第3連隊跡地へと向かう。
 一言でいうなら、3カ所はいずれも都内屈指の人気スポットへと変貌している。
・第1師団歩兵第1連隊跡地=東京ミッドタウンなど
・第1師団歩兵第3連隊跡地=国立新美術館など
・近衛師団歩兵第3連隊跡地=TBSなど

東京ミッドタウン
国立新美術館
TBS放送センター

 当然、3カ所に順に足を運んだものの、事件を思わせる痕跡はほとんど感じることはできなかった。最新の建物群と横文字の看板のオンパレードだ。何よりも、どのエリアも若者や家族連れで華やいでいる。
 ただ、よく目をこらしていくと、わずかな断片はみてとれる。
 まず東京ミッドタウン。隣接する檜町公園は江戸期、長州藩毛利家の下屋敷だったが、明治に入り陸軍の駐屯地となった。戦後に米軍の接収を経て、その後公園として整備された。池のほとりにある「歩一の碑」(1963年建立)が唯一、陸軍の地だったなごりを感じさせる。
 国立新美術館には第1師団歩兵第3連隊兵舎の一部が保存されている。ある意味で軍の近代建物遺産を見ることができる数少ない場所といえるかもしれないが、どうしても一部分だけを取ってつけたような不自然さが否めない。建物保存の在り方を感じさせられるところだ。
 そして近衛師団歩兵第3連隊跡地のTBSだが、建物を後にして赤坂通りを山王方面に進むにつれて、妙な緊張感に包まれているのを感じた。それは79年前の重大事件の痕跡を、早朝から間断なくトレースしていたことにも原因があるようだ。(続く)