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新幹線延伸と「おくのほそ道」 吉岡達也【第11回】-月刊極北

新幹線延伸と「おくのほそ道」

吉岡達也[第11回]
2015年1月22日
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芭蕉(与謝蕪村・画)

芭蕉(与謝蕪村・画)

 北陸新幹線(金沢・富山~長野駅間)が間もなく開業する。首都圏と北陸を直結する今回の大動脈完成に伴い、新たな地域経済の振興や観光面でも大きな期待が集まっているが、私自身にとっては「おくのほそ道」北陸路へのアクセスが飛躍的に高まることが何よりもうれしい。
 「おくのほそ道」――。いうまでもなく江戸時代前期の俳人・松尾芭蕉による国内最高の紀行文の一つだ。芭蕉は1644年、伊賀の国、現在の三重県伊賀市に生まれ、その後俳諧の道を志す。1675年ごろに江戸に出て、最初は日本橋、次に関口(現在の文京区関口)に居を構える。1680年に江戸・深川に移り住み(深川芭蕉庵)、以降、同地を拠点として何度となく旅に出ては、その中で珠玉の作品を生み出していった。
 1689年、西行ら先達の歌枕などを巡る「おくのほそ道」の旅に出発。弟子の曾良を伴い、奥州路、北陸路を約150日かけて回った。5年後の1694年冬、大阪・御堂筋で客死している。こうして見ていくと芭蕉の人生自体が旅そのものであったことが分かる。
 紀行文「おくのほそ道」は芭蕉の死後8年後の1702年に刊行。「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」というあまりにも有名な序文から、珠玉の句とともに、芭蕉の視点を通じた旅の魅力が凝縮されている。
 当然のことだが、芭蕉もこの書で一発当てて儲けようなどといった、現在あまねくはびこる「売らんかな精神」で書かれたわけでは全くないことに思い当たる(なにしろ刊行された時には芭蕉はすでに亡くなっているのだ)。あくまで本人の精神が最も浄化された作品なのだ。それゆえに、何百年経っても後世の人々を惹きつけてやまないのだ。
 それにしても今回の北陸新幹線開業により、芭蕉の居宅だった深川から「おくのほそ道」の名所・旧跡がほぼ時間距離3時間のなかに収まったことは、ある意味驚異的なことだ。300年以上前、芭蕉が命がけで踏破した歌枕の地がこれだけ身近になった事実には、改めて技術進歩のスピードを実感させられる。
 もっとも、芭蕉が歩いた行程通りにたどるということであれば、話はまた別だ。やはり現代でも、一定の日数が必要となる。仮に会社勤めだったりすれば、まず休暇を取るだけでも相当な困難が伴うところだ。
 私自身、学生時代から「おくのほそ道」が屈指の愛読書だった。小学校高学年の時に保育社のカラーブックス「奥の細道―カメラ紀行―」という本を手に入れたのが、興味を持つきっかけだった。口絵部分の「行程図」を飽きずに眺めては、いつかはこの道を踏破したいと思っていた。
 高校生になると、自宅のある仙台周辺の「おくのほそ道」の史蹟巡りが日課となっていた。多賀城、松島、平泉、立石寺(山寺)――。芭蕉が「おくのほそ道」の旅を行ったのは数え年で46歳。何となく私も40代半ばには芭蕉のような旅ができる状況になっていたいと考えていたものだった。もっとも、当時ヒットしていた山本譲二の「みちのくひとり旅」のごとき情念の世界は遠慮したいなどと思ったものだ。
 振り返ると私の高校時代は、芭蕉ゆかりの地でぼんやりしていたことぐらいしか思い浮かばない。よほど平凡な日々を送っていたのだろう。通っていた仙台一高にほど近い場所に芭蕉が訪れた榴岡公園や陸奥国分寺薬師堂があり、そこを拠点にしばしば授業をさぼっていた記憶ばかりが蘇ってくる。
 ただ、芭蕉関連以外の唯一といっていい思い出は文化祭「一高祭」での記憶。大先輩であり、昨年惜しくも81歳で亡くなられた名優・菅原文太さんと言葉を交わす僥倖に恵まれたことだった。
 いや、言葉を交わすなんて大それたものでは決してない。トイレで立ち小便をしていたところ、隣に講演登壇直前の文太さんがやってきたのだ。薄いストライプ柄の背広と濃い色のネクタイ、まぎれもなく銀幕の大スターがそこにいた。思わず出るものが止まった。でも、挨拶だけはしたい。
 「せ、先輩、こんにちは」
 やっとのことで声が出た。
 「おっ、元気でやっているか!」
 文太さんはニヒルな笑顔を浮かべ、気さくに返事を返してくれた。何ともいえないオーラを感じた。今にして思えば当時の菅原文太さんは48歳。映画からテレビドラマへと活動の舞台を広めていた時期だった。当時の文太さんの年齢を上回ったことに慄然とする自分がいる。
 「夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡」
 「荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがは)」――。
 芭蕉の句は、世の無常や大自然の圧倒的な存在感を、余すことなく伝えてくれる。そしてそれは、様々な記憶の断片に力を与えてくれる。「おくのほそ道」に惹かれていた高校時代の記憶と文太さんの思い出が重なるのは、私自身が決して到達できない「巨星のエネルギー」を今も感じているからなのかもしれない。
 このところ「人生50年」という言葉がより実感として迫ってくる。芭蕉は旅をしながら50年を生き切ったのだ。今からでも遅くない。まずは旅に出たい。北陸新幹線開業がその機会を与えてくれそうだ。