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「トンデモ本」風に~代々木公園の怪 吉岡達也【第6回】-月刊極北

「トンデモ本」風に~代々木公園の怪

吉岡達也[第6回]
2014年9月12日
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歌川国芳「天狗の夕立」

歌川国芳「天狗の夕立」

 東京都の代表的な都市公園の一つ、代々木公園(渋谷区)を舞台とした、これまであまり耳慣れなかった名称の感染症の広がりが連日のようにマスコミをにぎわせている。
 デング熱――。発熱や頭痛、関節痛など症状ははしかに似ており、皮膚に発疹が出るのが特徴だという。蚊に刺されて伝染するケースが多く、命にかかわるような事態に陥ることはあまりないようだが、まれに出血性ショックを引き起こす危険性もあるというから油断ならない。日本では、熱帯地方などを旅行した人が現地で感染し帰国後に発症する事例はあるが、海外渡航がない人の国内感染については69年ぶりだというから、何だか怖い。つまり、代々木公園内に熱帯地域のデング熱ウイルスを持った蚊が日頃から生息していたということになるのだ。発症者数も増え続け、代々木周辺では殺虫剤や蚊取り線香が飛ぶように売れているという。代々木公園自体も立ち入り禁止となるなど、物々しい状況となっている。
 もっとも、このデング熱、実はこの「デング」の語源がはっきりしない。医療の分野では18世紀後半に定着した名称であり、同じスペルを持つスペイン語が由来という説もあるが、定説はないようだ。一方、日本人にとっては、この感染症を「天狗」と聞き間違えた人が相当数いたらしい。私の周辺でも騒動が広がった当初は「恐ろしい名前の感染症が見つかった」と話していた知人がいたし、私自身も勘違いした。もちろん感染すると鼻が赤くなり、伸びていくなどとは思わなかったが、何となく病の怖さが感染症の名称から伝わってきたものだった。その後、「デング」であることがわかってからはやや拍子抜けしたものの、かえって日頃忘れ去っていた異形の存在「天狗」という響きが新鮮に響いたものだった。
 しかし、なぜ代々木公園が発生源となったのだろうか。
 ごく自然に考えれば、海外渡航中にウイルスを移された人がこの夏に代々木公園を訪れ、そこから蚊を媒介として感染が広がったということで終わってしまうのだが、それだけではない気もしてくる。
デング……、天狗……。
 ここからは、俗にいう「トンデモ本」の展開で進めていく。
 実は江戸時代末期、この代々木公園近辺で「行き倒れた天狗が見つかった」と記された文献が残されているのだ。
 文献の名は「藤岡屋日記」。同書は、江戸期から明治期にかけて生きた古本屋・情報屋の藤岡屋由蔵(1793~)が当時の事件やうわさ話などをまとめたものだ。一言でいえば、現在のゴシップ紙の走りといったところだろうか。とはいえ、江戸後期の庶民の視点から見た歴史を知るうえでも貴重な書として知られている。
 さて、天狗が登場しているのは、藤岡屋日記の中の1867(慶応3)年の記載だ。代々木村(現在の代々木)で天狗が行き倒れ、同地に住む百姓・金五郎が周辺住民にこの天狗を見物させていたというのだ。
 金五郎の父はかつて天狗にさらわれた経験があり、そこで天狗から様々な呪術を伝授されたという。金五郎もまた、父から教えを請い、霊力をさずかっていたこともあって、行き倒れた天狗への参拝者はひきもきらなかったという。
 天狗――。広辞苑(第2版)によると次のように記されている。
 「深山に棲息するという想像上の怪物。人のかたちをし、顔赤く、翼があって神通力をもち、飛行自在で、羽団扇をもつという」
 高い鼻を持ち、背中に羽を生やし、空中を自由に舞いながら、火や風を自由に操る異形の者だ。その存在は、歴史の世相に合わせ、様々な存在に姿を変えている。平安期の「今昔物語集」ではどちらかというと人間味あふれる存在として描かれることの多かった天狗も、鎌倉期以降には、世の中に未練を持ちながら命を落とした怨霊としての存在へと変わり、また修験道とのつながりが色濃くなる。室町期には能の演目として「鞍馬天狗」などの天狗物が世に出て、急速に存在感が高まり、江戸期には子供が行方不明になるときの「人さらい」の異名として「天狗隠し」の言葉が定着した。藤岡屋日記の記載は、正にこれとシンクロしてくる。
 江戸期以前の代々木周辺は、うっそうとしたモミの大木が連なる森だった。明治期に入り、大日本帝国陸軍の代々木練兵場が造営。1910(明治43)年には、同地で日本における初飛行が成功した。「行き倒れた天狗」の頃からわずか40年余りで、人間が実際に空を舞ったという事実に改めて科学の急速な進歩を感じる。
 1920(大正9)年には明治神宮が創建。第二次世界大戦後、代々木練兵場は米軍宿舎(ワシントンハイツ)となり、後年東京オリンピック(1964年)の選手村へと姿を変えた。そして1971(昭和46)年に代々木公園が開園。その後、「天狗の舞」にも似た竹の子族の踊りが代々木公園脇を席巻していたのは、もう30年以上前のことになる。
 一方で明治期以降、天狗は「神仏分離」を推し進めた明治政府によって、修験道とともに権威をはく奪され、時代の表舞台から姿を消した。
代々木公園は、行き倒れた天狗(たち)の忸怩たる思いが充満した「熱」の地域なのかもしれない。そして、今の混迷した世の中に何らかのメッセージを発信しているのかもしれない。
◇   ◇   ◇
 代々木公園にほど近い太田記念美術館(渋谷区神宮前)では、9月後半まで特別展「江戸妖怪大図鑑」 [2]が開催されている。江戸の異形の者たちに思いをはせながら、天狗熱ならぬデング熱の鎮静化を願いたい。