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「深い」ってどういうこと? 仲正昌樹【第67回】 – 月刊極北

「深い」ってどういうこと?


仲正昌樹[第67回]
2020年2月8日
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 この連載でもたびたび言っているように、ハンナ・アーレントという思想家は、いろんなタイプのナルシストで、独りよがりの妄想家を引き寄せてしまうようである。私はアーレントについて何冊か本を出し、翻訳もてがけているので、たびたび自称アーレント通の病人から言いがかりを付けられて迷惑している。最近また、bookmeterで、拙著『悪と全体主義』に対する、いかのようなひどいコメントを見つけた。

URI(病気養生
100分で名著の文庫化。 わかりやすいが仲正氏の私感も多く、そういう意味では「精読 アレント『全体主義の起源』 (講談社選書メチエ)」のほうが深く知れる。

 この(恐らく頭にも問題がある)「病人」が、私の解説書がしっくりこないで、別の本がいいというのは勝手であるが、「私感」とは一体何のことだろう。私は解説書に、本題と関係のない個人的な感想など書いたりしない。そもそも、無駄に個人的な感想ばかり書く人間に、NHK出版が執筆を依頼するのだろうか。前にアーレントに関する別の著作についても、あるいは、他の思想家に関する解説書でも、同じような言いがかりをつけられたことがある――同じ人間かもしれない。その時の経験からすると、この手の人間は、やや難しい言い回しをできるだけ分かりやすい言葉に置き換えることや、抽象的な定式を具体例で説明すること、背景説明をすることを、「私感」と思ってしまうらしい。
 解説の対象になっているテクストと(ちゃんと理解しながら)読み比べれば、無駄なことなど言っていないのは分かるはずだが、この「病人」のような人種は、そういう面倒なことは端からやるつもりはない。それどころか、当の「仲正の私感」なるものさえよく理解していない。何となく、「こういうことは、アーレントは言いそうにないなあ」、と自分の理解力の乏しい脳で漠然と感じているだけであろう。そういうのを「私感」という。
 読解力のない自分こそが「私感」を書き散らしているという自覚のないこういう輩は、思想・哲学の難しそうな本を読むべきではない。読んだふりをして、様々の著者の俺様的なランキングのようなものを作って公表し、読書通ぶるのが関の山である――5ちゃんねるなどに、何の根拠によるのか分からない、日本知識人ランキングなるものをしつこくコピペして、悦に入っている重病人がいる。
 ところで、この病人の言っている「深い」の意味は何だろう? 宗教とか人生訓なら、「深い」という意味が分かるが、講談社メチエの本を執筆された人は、宗教じみたことを書く人ではない。一般論として、学術書に関して、「深い」という言葉を使うのは見当外れである。学者でも個人的な会話で、「●●先生の方が深い」といった言い方をする人がいるが、そういう表現を公式な書評で使うと、その人の学者としての見識が疑われる。自然科学や数学、文系でも経済学とか実験心理学、社会学、考古学、計量政治学、分析哲学などのように、理論を正確に理解するかどうかが肝心で、あまり解釈の余地のない分野の本であれば、「深い/浅い」を言うのがナンセンスであることは、(学問の)素人にもそれなりに分かるだろう――「病人」は普通の素人以下なのかもしれない。
 哲学・思想系のテクストや文学・美術作品の解釈が中心の分野の本だと、プロの間でも解釈が分かれることが多いし、入門書的なものを書く時、どこまで詳しく書くか、どこまで分かりやすくアレンジすべきかという問題が出てくるので、そういうことに関して、「深い/浅い」という言い方をするのは、あまり適切な言葉遣いではないが、許容できない訳ではない。無論、その場合でも、何を目標としているかによって、「深い/浅い」の基準は異なる。
 専門的な解釈の違いが問題になる場合、アーレントの『全体主義の起原』であれば、アーレントの「全体主義」の定義の一貫性とか歴史学的あるいは思想史的妥当性、歴史記述の方法論、『人間の条件』に繋がっていく「人間」観の発展…等、自分が関心を持ち、重要だと思っている観点を明示したうえで、「深い/浅い」を語るのでなければ、単なる個人的好き嫌いになってしまう。プロの研究者でも、慢心していたり、同業者に対する嫉妬に取り憑かれて、自分が何を基準にしているのか反省しないまま、脊髄反射的に「深い/浅い」を連発していると、単なる、イタイ放言じいさん(ばあさん)になってしまう――女性研究者が次第に増えているので、放言ばあさんがだんだん目立つようになるだろう。
 素人が読む場合も基本は同じである。自分が何を理解したい、知りたいと思うのかによって、その本の“深さ”は決まる。自分が知りたいことを、可能な限り分かりやすく書いてくれているのを、「深い」というのなら、比較される他の著者には迷惑な話だが、まだ分からないでもない。「病人」は何を知りたかったのだろうか? 先の短いコメントや、この人物のbookmeterでの他のコメントなどを見る限り、そういう基準などなさそうだ。あれば、何か書いているだろう。
 想像するに、病人は“お経”が欲しいのだろう。講談社メチエの本は、頁数が多いこともあって、直接の引用が多い。できるだけアーレント用語によって、テクスト内在的に解説する方針のように思える。だから、普通の学術用語っぽいものを微妙に言い換えているアーレント的な言い回しや、一九世紀のヨーロッパの国際政治・経済史に慣れていない人には、ついていきにくいのではないかと思える。私の方は新書であり、元はNHKの番組のテクストなので、出来るだけ、音声で聞いても分かるようにすることを心がけた。目的も枚数も違うので、比べるのがおかしいのだが、「病人」にはそんなことを考えるだけの素人なりのリテラシーもないのだろう。
 本読む時、これはどういう主旨の本で、それを自分はどういう目的で読むのだ、という明確な読書意識がないと、「深い/浅い」を判定するどころか、肝心な所は頭に入って来ない。日常的な言葉で書かれていたので分かりやすかった、とか、難しかった、といったあまり意味のない印象しか残らない。そういうことを心得て読み始めるのが、読書に関しての最低限のリテラシーである。それがない人間に限って、「闇の奥」とか「モブと資本の同盟」「政治的反ユダヤ主義」「フェルキッシュ・ナショナリズム」といった、一見難しそうだが、該当箇所をよく読めばそれほど難しい訳でもない概念をありがたがる。そういう奴は、知ったかぶりして、他人に迷惑をかけないで、本当のお経を唱えていた方がいい。