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猫が主役の竹本一家(4) ペロ家出事件顛末記2 たけもとのぶひろ – 月刊極北

猫が主役の竹本一家(4)


ペロ家出事件顛末記2

たけもとのぶひろ
2018年6月28日
[1]

”家から離れたくない、ほんとうは直ぐにも帰りたかったんだ“

 失踪以来3日が経過、ペロはまだ帰らない。何が起こって、どうなるか、先のことはまったくわからない。メモ程度でもいいから、記録はしっかりとっておこう、と決意を新たにする。

 11月3日。張込みスタート、朝6時。
 これまでの様子から察するところ、ペロがいるらしく思われるのは、どうもFという標札のかかった空き家の庭のあたりなのではないか。隣の家の敷地の斜め奥にある、結構大きな家だ。実は1日の昼、近所中を探しまわっていたとき、空き家をよいことに、その家の中に入って探索していたのだった。門から中に入って、端っこの板塀を乗り越え、さらに奥へ進み、ベランダへ至る階段を上る。そこは物干し場のような空間になっていて、そこからその家の裏庭を見下ろすことができる。その裏庭に縁側が張り出しているのを見たとき、直観した。「ペロは、ここにいる!」と。そして、少し安心した。
 ここなら、夜のうちにすっかり冷えきってしまった身体を太陽に温めてもらうこともできるし、だいいち人間の目から守られている。それよりもなによりも、ぼくの家のすぐ近くに彼女はいて、そこから離れようとしていない。ここにいるからこそ、ほんの少し猫道を歩くだけで、隣の家の空地に出て、ぼくらに元気な姿を見せてくれているのだ、と。

 ぼくの部屋は家屋の東北の角部屋で、隣の裏庭をちょうど真下に見下ろすところに窓がある(ぼくの家のあるところの地面は丘陵地帯に位置しており、坂が多い。ために、隣家の庭が眼下に来ることにもなる)。隣家は母屋と離れからなり、その間に空地があり、さらにその奥は庭になっているのであろう、そういう家だ。空地から離れに入って行く入口は、コンクリートの石段で、右から5段、左からは3段、という左右非対称の妙な階段になっている。そして最上階は、およそ1メートル四方くらいの広さがある。

 朝7時、ニ〜子がぼくの部屋でにゃんにゃんにゃんにゃんとよく鳴いてくれる。ペロの耳に間違いなく届くいちばん近いところで、続け様に鳴いてくれる。
 よしっ!  と気合いが入る。 寒い朝だ。本格的な張込み開始。窓はいちばん内側が障子、次がガラス窓、その先に網戸があって、そして約10センチ間隔で格子がはまっている。10 センチから15センチほど窓を開けて覗く。踏み台で目の高さを調節する。
 寒い。何枚も重ねて着る。首もぐるぐる巻きにする。腹は減らないが、食わないともたない。おかゆ、スープ、ゆでタマゴなど、立ったまま食う。
 朝10時、東京から捕獲器が送られてくる。二台あれば、表の庭の方にも仕掛けることができる。ひょっとしたら、トラを捕らえて隔離することだってできるかもしれない。

 11時半、エサと水を替える。エサの唐揚げは温めて匂いが遠くに行くように。水は埃や砂が入っているし冷えきっているので、温かめのおいしい水に。
 唐揚げの肉はより小さく割いて皿に盛り、皿の肉に届くまでの間に、肉の小片を幾つか置いて皿に誘導する工夫をしてみる。
 12時15分、効果てき面、ペロが来た。頭、首、背中の白黒の模様がペロ以外でないことを告知している。捕獲器の中に入って唐揚げを食っているではないか!
 急いで身を隠す。見張っているのを気づかれてはまずい。もう来なくなってしまうかもしれないのだから。裏のぼくの部屋から移動。表の庭に面した廊下へ。ここはよく陽が当たって、心地よい。息を殺して潜むような格好。
 と、なんとしたことか、廊下の外の縁側にペロの手がかかった!  本能的に身を隠す。近辺を見回しているのだろうか。中をのぞいているのだろうか。裏の通路で飼っていたあいだは一度だって、表の庭の方へは来たことがなかったのに!
 ペロがいなくなる迄、どれくらいの時間が経っていたのだろう。ふと時計を見ると、12時35分だった。なんと、自分の家に帰って来て、20分もいてくれたのだ!

 第1回目は体験学習でなければならない、との指示に従い、レクチャー通り、捕獲器のふたは落ちないように紐で縛っておいた。だから、ペロは捕獲器の中に入ってくれたのに、ぼくらは去っていくペロを見送らざるをえなかった。
悔しい!  などという言葉では表現できない気持ちだ。焦りとか、不安とか、恐怖とか、いろいろな感情が出たり入ったり、渦巻いたりしている。
 だけど、失敗したら二度と来なくなるかも、と脅されているし。
 藤森神社(近所の氏神様)に、困ったときの神頼みに行く。ぼくが食道がんの手術をしたときも、願いを叶えてもらっている。いざという時に願いを聞いてもらった実績がある。

 午後5時40分、見張りを再開する。
 夜7時15分、学習用捕獲器の中にトラが入って唐揚げを食ってしまう。窓の敷居に用意しておいた小石を投げて、トラを追い払う。隣家の例の石段の最上階には、あいにくペロがいて、こちらを見ている。トラを追い払うのが精一杯の投石にならざるをえない。ペロが怖がるといけないし、トラが憎いわけでもないし、それどころか上述のように、申し訳ない事情もあるし。

 疲れている。9時半で切り上げ、明日の方針を相談する。
 ①トラにも学習されてしまった以上、2回も3回も体験学習をやっているわけにいかない。
 ②明日は入口の天井の紐を解いて、入れば即ふたが落ちる本番用の捕獲器にする。学習をやめて勝負する。
 ③トラに学習された今となっては、トラの捕獲も考えなければならず、トラの来る表の庭にも捕獲器を仕掛ける。それと、張込みがペロに見えていて、あるいはこちらの気配を感じて、そのために近寄ることができないかもしれない。だから、ペロから見える形での見張りは止めて、完全に身を隠して見張ることにする。

 11月4日 6時半、スタート。
 昨晩の方針通り、裏の通路と表の縁側に、学習用でなく本番用の捕獲器をセットする。
 窓も網戸もわずかに2センチ幅くらいを開ける。障子に直径1センチほどの穴を開ける。もともと小さく破れているところがあって、そこからも覗いて見ることができる。
 しかし、今日は11時になっても現われない。
 昨日のことが悔いられてならない。あれが体験学習でなくて本番だったら、すでにペッちゃんは家にいるのに、と。それを想うと、心臓がドキドキし、血がカッと熱くなる。
 いつもは必ず来てくれるはずの石段の最上階に、ペロの姿が見えない。今日は来てくれそうな気配がしない。視界にある空き家の屋根にまだ陽が当たっているところを見ると、ペロはまだあそこの縁側で、お陽様に身体を温めてもらっているのだろうか。
 空地の奥の猫道の入口付近に、白黒の猫がじっとうずくまっている。急いで連れ合いに見てもらう。違うらしい。幻覚を見るのは、これが始めてではない。切なる願望をもって同じ場所をじっと見ていると、どこにもいない猫がいるように見える。

 12時近くなる。エサの唐揚げは乾いてしまって、遠くからはあまり匂いがキャッチできないのかもしれない。飲み水にも砂や埃が入ってしまったのではないだろうか。ペロが現われて鉢合わせになる危険はあるけれど、できれば彼女が現われる前に、替えておいた方が良いのかもしれない。いや、良いに決まっている。即,決断、12時ちょうど、エサと水を替える。お陽様が隣家の空地に入ってくる。石段にも差してくる。下の方からだんだんと最上階のやや広い平面へと上ってくる。

 12時47分、いきなりペロが地べたにいるのが、目に飛び込んでくる。コンクリート製石段のいちばん下の段の付け根のところで水を飲んでいる。こちらからは見えないけれど、小さな水たまりがあるのに違いない。舌ですくい上げてはノドに流し込む。何度も何度も繰り返した後ようやく、石段を駆け上がる。最上段の少し広がりのあるところで、ひっくり返っている。くるんくるん、と向きを変えて。寒さで縮かんだ身体をほぐすかのように。
 かと思うと、急に気が変わったのか、また石段を駆け下りて同じ水たまりで水を飲む。そしてもう一度、駆け上がって行って、今度は陽の当たるところで選んで座っている。ところが、なんと、またまた石段を駆け下りて水を飲み、そして同じ場所に戻る。
 お陽様の明るさ暖かさが、少しずつ失われてゆく。1時、ちょっと目を離した隙に、ペロの姿が見えなくなる。このままいなくなったらどうしよう!  後ろを見ると、連れは神様に祈るかのように頭をたれ、手を合わせている。

 大丈夫、1時10分、最上段の先ほどの場所にいる。なんと、前肢と後肢を思い切り伸ばして、余裕のストレッチ体操中ではないか。離れの壁に爪を立てて研ごうとする。が、これはうまくいかない。こちらを見ている。しきりに首を動かしている。後ろ脚で耳のうしろの首をかいたり、顔を洗ったり、口も拭わなければ。身だしなみがととのうと、地面に下りて来て、思い切り伸びをする。
 1時20分前後、またしても上にのぼって来て、今度はおとなしく座っている。しきりに首を左右に動かし、鼻を上にあげてクンクンしている。匂いを嗅いで唐揚げのありかを探っているのであろうか。

 2時くらいから早くも陽が陰ってくる。それから2時間くらいのあいだペロは、隣の家の空地にある石段が自分の陣地、本拠地ででもあるかのように、そこから出て行っては帰ってくる運動を繰り返している。直接手を出せないぼくとしては、今のところ、彼女がどこかへ行ってしまわないようにと祈って、その姿を見守るしかない。
 4時過ぎ、まず裏の通路の、次に表の庭に面した縁側の、エサと水を替える。鳥の唐揚げは新しいのを割いて皿に盛り、飲み水は少し温かめのものに替えてあげる。捕獲器はもちろん、入れば即天井からふたが落ちて閉まる本番用のものを仕掛けてある。気配を察知されてはいけないとの反省から、今日は暗くなってもフェンスに縛りつけた懐中電灯の明かりはつけない。午後5時を半時間も過ぎないうちに、あたりは真っ暗になった。なにも見えない。覗いていても見えない以上、見張ることはできない。窓際にいても何もできない。離れざるをえない。こうなっては文字通り天に祈るしかない。

 午後6時23分、裏の通路、ぼくの部屋のすぐ下で音がした。 “バタン!” 。
 それは、おとなしいというか、静かな音だった。
 バッタン!  とか ガチャン!  とか、その種の大げさな大きな音ではなかった。家の中で話をしたりテレビを見ていたら、気がつかないかもしれないような、むしろ遠慮がちなと形容してもよいほどの音だった。そのときの音の印象は今もなお耳朶に残っている。
 急いで捕獲器へ走る。中にいるのは黒い猫、ペロ以外ではない(トラなら茶色だから)。
「ペロ!  ペッちゃん!  お父さんだよ、もう大丈夫だよ」
 涙が出た。いくつぶも出た。
 怖がるといけないからと、用意した布を1枚かけて、捕獲器を手に持つ。ペロは少しも騒がずに、じっとしている。家の中に、早く!

 ペロが帰って来たのだ!  玄関から入ったすぐの廊下のところで、捕獲器から出してやる。
 意外や意外、実にゆっくり、ゆったりした足取りで出て来たではないか。それが当たり前であるかのように。5日間に及ぶ家出とか失踪なんて、なかったみたいに。それって、誰の話?  みたいな態度なのだ。出るや、ゴローとニ〜子のところへなついて行って、ごっんこをしている。尻尾を立て、身体を押しつけて、喜んでいる。アォ〜ン、アォ〜ンと鳴いている。久し振りの感触を楽しんでいるのか、爪研ぎダンボールの上に乗っかってしきりに引っ掻いている。右から左へ、左から右へ、移動しながら爪を立てるのが彼女特有のやり方だ。ぼくらはそれを “展開” と名づけているのだが。

 それこそ、まさに意外な “展開” だ。とはいえ、まだ帰って来たばかりだし、近寄るのは我慢して、じっと見守っていないといけない。ややあって彼女は、もう大丈夫と思ったのだろうか、家の中をあちこち確かめるように見て回っている。
 ぼくらなりに想像していたペロは、違った。——5日間も怖い思いをしてきて、物凄いストレスでめげそうになっているはずだ。いくら毛皮を着ているといっても外はとことん寒いし、ハラはへるし、飲み水はきたないし、何の音か分らない音がたえず聞こえてくるし、疲れきっているのに十分に眠れないし、常時緊張していないと外敵に襲われてどんな怖い目に遭わされるかわかったものではないし、大変な毎日だったのだ。
 だから、どこか狭い暗いところに隠れてぐっすり眠りたいに違いない、そういう事の成り行きになるに違いない、そんなイメージだったのだけれど。

 ところが、ペロはいっこうに動じない。泰然としている。家出失踪の前と少しも違わない。というよりも、その立ち居振る舞いを見ていると、以前には見られなかった深い味わいさえ感じられるのだった。むしろ五郎とニ〜子のほうが、対応の仕方が分らないのか、外目には少し戸惑い気味に見えるのだった。しかし、二人がどんなに面食らっていようと構わず、ペロは身体ごと身を寄せて行くのだから、あとは時間の問題に違いない。
 それを確信したとき初めて気がついた。お世話になり心配していただいた東京の友だちに直ぐに電話をかけて、ペロの無事生還のご報告とお礼を申し上げなければならない。また、近所の十数軒の方々のところにも、お世話になったお礼を申し上げねばならないし。お地蔵さんにもお参りし、電信柱に貼った5枚のポスターも片付けなければ。
 二人で手分けして事に当たったのだけれど、それでも終わった時は8時近かった。
 明日は動物病院に行って血液検査、腎機能の推移を検診してもらわなければ。藤森神社のお礼も、明日にしてもらおう。