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“ネット論争”を勝手に設定して“勝利宣言”する人たち 仲正昌樹【第51回】 – 月刊極北

“ネット論争”を勝手に設定して“勝利宣言”する人たち


仲正昌樹[第51回]
2017年12月6日
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 これまで繰り返し述べてきたように、私は世の中で“論争”と呼ばれているもののほとんど、特に“ネット論争”と呼ばれているものは「論争」と呼ぶに値しないと考えている。「論争」とは、ある知的な前提をしっかり共有している者同士がルールに則って展開するものである。そのテーマに関係ない話を持ち込んではならないし、相手の問いに答えずに論点をズラしてはならない。無論、プロの学者や批評家同士の「論争」でも、人間がやっていることなので、感情が入って、論点をズラしてしまうことは多々あるが、専門的な媒体でのテクストによるやりとりだと、やりとりに時間がかかるので冷静になる余裕があるし、同業者の眼があるので、露骨に間違った前提で書き続けるのは難しくなるので、かなり抑制される。
 ネット上、特にツイッターを中心としたやりとりだと、そうした「論争」の前提がほぼ成り立たない。一度に書き込める文字数がかなり少ないので、論文のようなまとまった議論は展開しにくいし、個々のツイートは放っておくとすぐに消えてしまう。ツイッターでは、相手から何か言われたらすぐに反応するのが当たり前のようになっているので、「これから論争をするので、このテーマについては、冷静に時間をかけて…」、と宣言しても、うまくいかないだろう。その人の通常ツイートと、「論争」用のツイートの区別は外見からは付きにくい。一番問題なのは、ツイッター上には「お祭り」や「炎上」が大好きで、自分とは関係ない、ほとんど知らない話題でもとにかく首を突っ込んできて、目立とうとする輩が屯していることである。この連中は“論争”の中身などどうどうでもよく、騒ぎを大きくしたい、偉そうにしている(ように見える)奴を貶めたいという願望で衝動的に動いているだけである。こういう連中が割り込んできて、一方の当事者に対して根拠のない悪口雑言を喚き散らすようになると、とても「論争」にはならない。
 従って私は、偽科学批判クラスターとかピケティ=山形浩生信者、嫌儲板住人、山川ブラザーズ、自称ルーマン専門家、埼玉や新潟に在住する自称右翼思想家、自称社会学者、自称演劇研究家、自称中国専門家の卑怯者の左翼のような低俗な連中と、「論争」することなどできない。低俗な連中によって、頭の悪い人間ならではのひどい誤読による誹謗中傷を受けたので、それに対する怒りと、かっこうのバカのサンプルだったので、それに対するちょっとした分析をこの連載に書き綴っているのである。私の抗議に対してまともに応えようとせず、ひたすら、仲間向けに悪口ツイートを垂れ流してRTを稼ごうとするだけの輩であるから、バカのサンプルにされても仕方ないだろう。
 この点は何度も繰り返し指摘しているが、そのことを理解せず、あるいは無視して、私が山川など「論争」しているかのように装って、勝手に“戦況報告”するやつがいる。大抵は一方的に私の悪口を言っている輩のお仲間である。自分のお仲間である、バカな大将の言い分を鵜呑みにして、私が“論争”に敗れて追い詰められているかのような宣伝をする。
 こういう連中は、“論争”に関する勝手なルールを設定する。RTが多い方が勝ち。“批判”されて(=悪口言われて)すぐレスしない方が負け。ネット住民が理解できない長文を書いたら、その真偽に関わらず、必死になっている証拠なので負け。こうした“ルール”を設定すれば、常にネットに書き込む時間のあるヒマ人、厳密に物事を考える習慣がなく脊髄反射できてしまう人間が“勝利”することになる。特に、自分と同類のお友達をたくさん作ることに時間をかけることのできる、スーパー・ヒマ人+脊髄反射人間に有利である。
 また、特定の人物あるいは主義・主張を支持あるいは批判したらその時点で負け確定、という“ルール”もあるようだ。反ポモ集団(山川ブラザーズ)や似非科学批判クラスターにとっては、ポストモダン思想を擁護する立場を表明すれば、その時点で負け。ラカン、ドゥルーズ、クリステヴァ、ボードリヤール、デリダ、バルトは、物理学者であるソーカルと心理学者であるピンカーによって、ニューサイエンスなどと同じトンデモ科学信奉者と認定されているので、彼らを“擁護”すれば、その人間もトンデモであることが確定する――その場合の“擁護”と言うのは、反ポモ陣営にとって“「擁護しているように見える」という意味である。その逆に、ソーカルやピンカーを批判するのはNG。ソーカルやピンカーが「信頼できる」と太鼓判を押した人間や学説――分野は関係ない――を批判するのもNG。これは、左翼がナショナリストや国家主義者を“肯定的に評価する”のはNG、社会的弱者の発言を批判するのもNG、反グローバリズムや格差解消論に賛同した時点で経済について語るの資格なし…などとしているのと、同じ発想だ。要するに、聖人/悪魔、聖典/悪の経典を勝手に設定して、異端審問をやっているのだが、本人たちは自覚がないので、そのNGポイントに触ると、「とうとう破綻して、〇〇し始めた」、と騒ぎ出す。面倒くさい連中である。異端審問合戦では、自分の主張している内容に無自覚な、独善的な人間ほど“強い”。
 こうしたインチキ権威主義の応用編として、山川や祭谷等が大好きな、「〇〇の問題は、●●論争で△△が◆◆を論破したことで片が付いている。未だに◆◆を擁護している□□は学問的議論を能力に欠けている」、と決めつけるやり方がある。学者の固有名詞や論争の通称を挙げると、一見もっともらしく見える。しかし、実際には事の経緯を調べてみると、「△△が◆◆に論破された」ことがどの専門家の眼から見ても確定した事実であることなど滅多になく、単に◆◆の方が声が大きかったので、その言い分が、又聞きの又聞きの又聞き…の又聞きで、山川、祭谷、ほしみん等のような輩の耳にまで――かなり歪んだ形で――届いた、というだけのことが多い。にも拘わらず、彼らは「●●論争はとうの昔に終了」と先に宣言した方の“勝ち”だということにする。
 これと関連した“ルール”として、“◆◆が△△を論破した”証拠のテクストを引用できれば、“勝ち”というのがある。本当に論破したかどうかは専門家の眼でよく吟味しないと判別できないはずだが、“ネット論争”に群がるような輩は、どこかの“偉い先生”が、「…よって、△△の論理が破綻していることは証明された…」と書いているのを見ると、簡単に信じてしまう。この“ルール”を採用すると、中身についてほとんど考えないまま、関連キーワードが出てくる一見難し気な文章をひたすらコピペして、繰り返しツイートする山川のような人間が“勝つ”ことになる。
 想像を絶するような珍ルールを思いつく奴がいる。少し前から私に粘着して無意味なツイートを繰り返しているvoid3107という男は、私が「ポストモダン思想」全般を擁護する論争をやっていると勝手に決めつけて、「狭い日本で、日本語だけで論争しても意味がない。英語圏でポストモダン批判で注目を集めているドーキンスと闘うべきだ。そのためには明月堂のブログなどに引き込もっていないで、英語でツイートすべきだ。ドーキンスが無視しても、しつこくツイートを送りつけてやればいい」、と主張している。正気とは思えない。冒頭で述べたように、私は山川等が私に対して不当な誹謗中傷をしていることへの不快感の表明をしながら、彼らをバカのサンプルにしているだけであって、無教養なツイッタラーが適当に「ポストモダン」と名付けているもの全般を擁護しているわけではない。そんなこと無意味である。彼らの言っている“ポストモダン”という言葉自体が曖昧で、何でかんでも自分の嫌いなものを“ポストモダン”と言っているだけにすぎない。そんなものを“擁護”したり、“批判”したりすることなどできない。また、ドーキンスがいくら有名な生物学者だからといって、彼は哲学・思想史に関しては素人である。素人のツイッター上の適当な発言には、いちいち「批判」する価値などない。自分が名指しで悪口を言われている訳でもないのに、相手にする必要などない。何故わざわざ英語でツイートして、素人ならではの暴言を繰り返しているだけのドーキンスに相手してもらわないといけないのか?恐らく彼自身が、引きこもりで、著名人にしつこく粘着して、相手にしてもらおうと必死になっているので、私も自分の同類だと思いたいのだろう。
 その他、(自分の眼から見て)見苦しい言い訳めいたコメントをした奴は負けとか、大学教員が学生の発言を批判したら人格的にダメなのでアウト、ツイッター上の主流派の意見に反することを言うのは常識がないので失格……。無茶苦茶な“ルール”を押し付けてくる輩がかなりいる。
 こういう連中にとって“論争”は、自分たちのつまらない日常を少し面白くしてくれるエンターテイメントなのだろう。まじめに討論して、真理や真実を追求する気などさらさらない。そのくせ、私が「文系の(学問的な)論争で白黒が付くことなど滅多にない」と述べると、勝ち誇ったように、「仲正は論争はどうでもよいと言っている。これでも学者か。僕はあまりのことに眼をぱちくりさせた」、などとかなり話を捻じ曲げて宣伝する――この点での山川のこじつけについては、この連載の第四十四回 [2]及び四十八回 [3]を参照。ついでに言っておくと、山川が「眼をぱちくりさせる」と、“勝利”したことになるようだが、彼はこの“ルール”をどこで学んだのだろうか。



「極北」誌上連載の単行本化第2弾!

『続・FOOL on the SNS―反ポストモダンに物申す』(仮)
2018年1月発売予定


※その他のおしらせ
@niftyニュースで『FOOL on the SNS』が取り上げられていました。
大学改革が行きつくところ(2017年11月30日付、J-CASTニュース) [4]