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【9/30極北ラジオ・ダイジェスト】日本のパンク/ニューウェーヴの幕開け(前編)竹村洋介

【9/30極北ラジオ・ダイジェスト】日本のパンク/ニューウェーヴの幕開け(前編)


竹村洋介
2017年10月11日

近畿大講師の竹村洋介氏

近畿大講師の竹村洋介氏

 それまで、ジャックス、裸のラリーズ、村八分という傑出したバンドがあったにもかかわらず、フォークに押されがちなロックだったが、1979年、新宿・小滝橋ロフトで、とうとう爆発した。関西が中心だった音楽シーンも、こののち東京を中心としたものにとってかわられた。
 その名も、伝説化してしまった、“Drive to ‘80”。その爆音を世界中に響きわたらせたFriction、東京ロッカーズのリーダーだったLizard、先進的でユニークな活動で知られた8 1/2、LPには収録されていないがPhewやビッケが在籍していたアーント・サリー、Foolsの前身であるSex(当日のみの再結成)、ジーンのいたMr.Kite、ミラーズetc.タイトル通り満員の会場は、「爆発寸前」。

アーント・サリー

アーント・サリー

Drive to ‘80
 まずは、TOKYO ROCKERSのリーダー的存在だったLizardから。彼らは、ロンドンパンクのStranglers、なかでもJean-Jacques Burnelと親しく、大手プロダクションを通さず、ミュージシャン同士の交流で、外国の(主としてイギリスの)バンドを呼ぶなど、興行主べったりの世界を塗り替えていった。それは、この後、日本のバンドが世界に飛び立っていくルーツにもなっていった。
 彼らの初期シングル、『SA・KA・NA』 [1]を。

 日本のロックバンドは、頭脳警察などの例外を除けば、非政治的だと良く言われるが、この『SA・KA・NA』は真っ向から水俣病を歌った作品。きわめて政治的なのだが、その裏には、さらに政治的な意趣が凝らされている。魚たちがまっている水銀の海の底は、もちろん水俣の海だが、リザードが、そして僕たちが溺れているのはTOKYOの街の中なのだ。不知火の絶望は、僕たちの絶望につながっている。
 つづいて、TOKYO ROCKERSの中でも、というよりも当時の世界中のROCKシーンの中でトップを走っていたFRICTIONについて。後に村八分に参加するカントを中心に1971年頃結成されたアート集団「〇△□」(まる、さんかく、しかく)が源流となっている。レック(当時はギター)、チコ・ヒゲ(ドラムス)、ヒゴ・ヒロシ(ベース、後にミラーズへ)の3人が「3/3」(さんぶんのさん)を結成し、同名タイトルの「3/3」を限定10枚作成し発表した。
1977年、レック、チコ・ヒゲは相次いでN.Y.にわたる。翌1978年には日本に戻り、ギターの恒松正敏を加え(厳密には第2期)FRICTIONを結成(レックはベースに)。そしてTOKYO ROCKERSに参加。重戦車さながらの爆発的なリズム・セクション、その上を縦横無尽に走りまわるギターは空前絶後、比類すべきものなしであった。実際、1980年代、FRICTIONはヨーロッパ中をツアーして回り、高い評価を得ている。ではFRICTIONの初期作品から「CRAZY DREAM」 [2]を。

フリクション

フリクション

 バンド名のFRICTIONは「軋轢」の意味。同名タイトルの『軋轢』を1980年に坂本龍一のプロデュースで発表している。
 もう一つDrive to ‘80に結集したバンドの中から。当時はSYZEに変わっていたのだが、この日、一日限りの復活ライヴを果たしたのがSEX。のちに伊藤耕、川田量を中心としたメンバーはFOOLSを結成する。FRICTIONのメンバーが映画『東京ロッカーズ』のフィルムの中で、「きみたち、パンクだと思う?」と問われて「おれたちゃパンクじゃないよな」と切って捨てるように発話しているのに対し、このFOOLSは、Iggy Popが在籍していたThe Stoogesの’ I wanna be your dog’をカヴァーするなど、もっともパンクらしいパンクバンドだった。SEXの「TVイージー」は、アルバム『東京ニュー・ウェイブ’79』 [3]の最初に入っている。この時代、TVは集中砲火を浴びせられた。アメリカ合衆国の黒人運動の中では支配的イデオロギーの再生産装置としてTVは罵倒され、’pull the plug’=プラグを抜け―あたりまえだが節電のためではない―「TVを消せ」がスローガンとなった。

 FRICTIONにもTVをテーマとした曲がある。『背中のコード』 [4]がそれだ。「背中のコードをちょいと回して、うなじをコンセントにスイッチオンすれば、そうすりゃ、おまえが映りだす」と歌詞もそうだが、FRICTIONというバンド名自体、トム・ヴァ―ライン(イニシャルがTV)が率いるN.Y.パンクバンド「テレヴィジョン」のファースト・アルバムである『マーキー・ムーン』 [5](1976)の’FRICTION’にちなんだものだ。ニューヨークへ渡っていたことの影響が見られる。
 最初に挙げたLIZARDもTVをモチーフとした曲がある。「TVマジック」 [6]がそうだ。こちらはHile Hitlerよろしく「時代をつくるのは私だ。Viva TV, Viva TV.モラルをつくるのは私だ、Viva TV, Viva TV.チャンネルをまわすのだ、私が真実だ。TV」と「背中のコード」と比較するとややもすると直截すぎる感じもあるが、他も含めて、TVが最先端的なそして圧倒的なイデオロギーの再生産装置としてやり玉に挙げられたこととしての傍証としては充分だろう(当然のことであるが、この時代まだコンピュータネットはほとんど普及しない)。

8 1/2(はちとにぶんのいち)、パンクからニュー・ウェーブへ
 僕はパンク(ニューヨーク・パンク、ロンドン・パンク)とニュー・ウェーブを別々のものだとは思わないのだが―一つのムーヴメントとしてとらえる方が理解しやすいと考えるからだ。そのさなかを駆け抜けていったバンドがある。それが8 1/2だ。もちろんバンド名はフェディリコ・フェリーニ監督のイタリアンシネマの名作からとられたものだ。ネーミングの時点で、すでに後期にみられる洒脱さがあらわれていたと言えば言えるが、バンドの初期においては、ここに挙げる「シティ・ボーイ」 [7](アルバム『東京ニュー・ウェイブ’79』にも収録されている)や「暗い所へ」(同アルバム収録)など、攻撃的でパンク色が濃かったともいえる。実際、ヴォーカルの久保田慎吾はロンドン・パンクのセックスピストルズに大きな影響を受けたとも言っていた。
 それが後期になるとメンバーチェンジも多いのだが、上野耕路のキーボードを中心としたニュー・ウェーヴの色彩を濃くしていく。解散後発表(1985年)された音源ですが「上海特急」 [8]をどうぞ。
 バンドの方は、1980年にすでに解散している。解散にあたって1枚だけシングルを出す。それが正方形ソノシートという極めて珍しいもので、コレクターズアイテムとなっている。たしかに、「シティ・ボーイ」にみられるような攻撃性は影をひそめエロティックさまでをも感じさせるつくりとなっている。その「メモワール」 [9]を。
 8 1/2の解散後、メンバーはいろいろな道を歩んでいく。泉水敏郎と上野耕路は少年ホームランズにいたサエキけんぞうらともにハルメンズを結成。『ハルメンズの近代体操』と『ハルメンズの20世紀』の2枚のアルバムを出す。
 8 1/2時代からなのか、ハルメンズになってからなのか、判然とはしないのだが、戸川純が追いかけをしていた。この戸川純はハルメンズのレコーディングに参加し、のちにゲルニカ(上野耕治、太田蛍一)、ヤプーズ(ハルメンズから泉水敏郎、比賀江隆雄他)と活躍していく。久保田と上野はのちに、「捏造と贋作」を結成する。

サエキけんぞう

サエキけんぞう

戸川純

戸川純

 一方、戸川純は、いろいろヒットを生むがもっとも衝撃的なのは「パンク蛹化の女」 [10]だろう。すでに有名なことかもしれないが、パッフェルベルのカノンに戸川が歌詞を載せたもので、前半をクラッシク調に後半をパンク・ロック調に演奏するものである。シド・バレットの「マイ・ウェイ」もかくやという、出来ぐあいである。またステージ衣装もランドセルを背負って歌うなど突出した存在であった。
 おもしろいのは、メンバーがいろいろ離合集散しているので、同一の曲を久保田、サエキ、戸川の三人のVo.で聴き比べることができることだ。「レーダー・マン」「少年たち」などが聴き比べることができる。パンクの影響が強い久保田、ニュー・ウェーヴ色の濃く宅録の技術にたけるサエキ、反女性的で女性を感じさせる戸川。それぞれ得意な曲があるのだろうが、1980年代の音楽シーンをあでやかに彩っているようで大変面白い。ではここで、少し珍しい、サエキけんぞうVer.の、しかも少年ホームランズ時代の「昆虫群」 [11]をどうぞ。

 次回はDrive to’ 80 とポストパンクをつなぐ存在である、遠藤ミチローじゃがたら突然ダンボールを追いかけるとともに、彼らに影響を与えた、主としてN.Y.パンクを見ていくことにしましょう。


【パーソナリティープロフィール】
竹村洋介(たけむら・ようすけ)
社会学者、ROCK Writer、医療系ジャーナリスト、サブカルチャー&カウンターカルチャー・クリティーク。1958年、大阪市出身。東京大学社会学科卒業。中高校生時代より、ジャックス、村八分と裸のラリーズをこよなく愛する。N.Y.Punkの熱烈な支持者。1990年、不登校を精神病として”治療”することが誤りであると、本邦初(おそらく世界で初)めて、社会統計学的に実証する。その後、Neet、引きこもり等々の(社会)「病理」化の誤りを指摘する著書等を発表。フリースクールの理事長などをつとめる。単著 『近代化のねじれと日本社会』(批評社)。共著『福祉と人間の考え方』(ナカニシヤ出版)、『引きこもり』(批評社)、『学校の崩壊』 (批評社)、『発達障害という記号』(批評社)、『水俣50年』(作品社)など。


次回は10月27日(金)深夜24:00配信開始!!!


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