- 明月堂書店 - http://meigetu.net -

「天皇を読む」第16回 たけもとのぶひろ【第133回】 – 月刊極北

「天皇を読む」第16回


たけもとのぶひろ[第133回]
2017年9月13日
[1]

『天皇陛下の味方です』(鈴木邦男、バジリコ刊、2017年8月)

『天皇陛下の味方です』(鈴木邦男、バジリコ刊、2017年8月)

鈴木邦男さん『天皇陛下の味方です
国体としての天皇リベラリズム』(バジリコ)

 著者の鈴木邦男さんは、新右翼政治団体「一水会」を創設者として、また「左右両派にとらわれない民族派リベラリストの論客」として、その名を知られた人です。
 鈴木さんは右翼の範畴に属する人ですが、 “右翼” とはこんなものでよいのか、あるべき民族主義とは何か、あるべき愛国の精神とは何か、と常に自らに問い続けてきた人です。

 鈴木さんの言説は、ぼくにとって非常に刺激的でした。どこにその魅力があるのか、強く感じたことを書こうと思います。
 たとえば、このすぐあとに引用するつもりの文章の冒頭で彼は、「天皇と日本国民の関係」について問うています。その関係は、そもそもどういう関係なのか、と問います。天皇は日本の象徴なのだ、天皇と日本国民とは象徴する・される関係なのだ、と答えるとします。しからば、言うところの「象徴」とは、いったい何を象徴しているのか、と問いは続きます。そもそもソレは何なのだ? と問う、事柄の根源に至るまで問うことを止めない、そういう意味できわめてラディカルな考え方をする人なんだな、と魅力を感じました。

 ということで、以下に「天皇と日本国民の関係」「日本の象徴としての天皇」に関する、鈴木さんの言説を引用して示します。
 「実のところ、天皇は君主ではないし国民も天皇の臣下ではない。天皇と日本国民の関係は、そうした表層的な通俗的なものではなく、もっと深く強いものだと私は考えています。
 天皇とは、古来の日本人の価値観と信仰、すなわち神々への畏敬と祖霊崇拝を体現された存在です。その意味でこそ、天皇は日本の象徴なのです。いうまでもなく、日本の神とは欧米やアラブの神とは異なります。日本人にとって神とは自然そのものであり、神々(自然)によって生かされているという生活感覚が畏敬に繋がっているのです。また、祖霊信仰とは祖先があってその延長線上に現在の自分が生きている、というシンプルな原理に対する感謝の念だということができます。そして、そうした古来の価値観を祈りという行為によって表象しているのが天皇なのだ、そのように私は考えています。」
                                    
 そもそも論を言うと、人々の中に生き続けている「古来の日本人の価値観と信仰」と同じ「価値観と信仰」を体現している者こそ天皇である、というのが鈴木さんの指摘です。そしてこの指摘のすぐあとに、「同じ価値観と信仰」を体現しているという、「その意味でこそ、天皇は日本の象徴なのです」と、象徴の意味が明示してあります。
 では、上記の「古来の日本人の価値観と信仰」とは何のことか。別のところでは「(日本人の)原初的な宗教的感性」とか「日本人の基層にある信仰」というふうな表現になっているのですが、これらはいったい何を意味しているのか。上記の引用文の中に、きちんとした定義があります。「古来の日本人の価値観と信仰」とは「すなわち神々への畏敬と祖霊崇拝」だ、と。

 では、「神々への畏敬と祖霊崇拝」とは何か――と、鈴木さんは自らに尋ね、答えます。
 「神々への畏敬」についてはこうです。「日本人にとって神とは自然そのものであり、神々(自然)によって生かされているという生活感覚が畏敬に繋がっているのです」と。
 自然とは、無限に続く空間の中に広く普く遍在する神々の生きる世界であり、その神々によって生かされているのが我が身である、であるがゆえに、自然に対しては自ずから畏れ敬う気持ちになる、そのように信じて生きてきたのが日本人だと言っているのだと思います。自然とは唯一絶対の神によって造られた存在ではなくて、それこそ神代の昔から神々の棲み処として存在してきたのが自然であるわけで、だからこそ尊い、というふうな感じ方をするのが日本人なのだ、と。

 「祖霊崇拝」についてはこうです。「祖霊信仰とは祖先があってその延長線上に現在の自分が生きている、というシンプルな原理に対する感謝の念だということができます」と。
 また、辞書には、「祖霊とは祖先の霊の謂いであり、霊とは死者の魂、祀る対象となる際は「神」としてとらえられる」とあります。こんにち自分が生命として存在しているのは、大昔からの祖先が霊となって、自分にまで至る生命のつながりを守護してきてくれたおかげなのだ、だからこそ、ご先祖様を「神」として祀って感謝し、その冥福を念じて「祈り」を捧げる――「祖霊崇拝」とはそういうことではないでしょうか。
 そうだとすると、唯一絶対の神GODという存在はこの国には似合いません。自然と同様、人々の世界も神々につながっている、この世は神々と共に棲む世界である――と、そういうことになるのではないでしょうか。

 有史以来この方、日本人は「神々への畏敬と祖霊崇拝」を共通の宗教的感性・共通の価値観として生きてきました。宗教的感性・価値観を「共にして」生きてきた日本人――この日本人古来の生き方を体現しているのが天皇である、であるからこそ「天皇は日本の象徴なのです」と書いているのが鈴木さんだと思うのです。
 日本の天皇制2000余年の歴史は、古代の天皇親政時代、明治から昭和前期に至る神聖天皇の時代を別枠とすれば、そのほとんどが上記の意味での「象徴天皇の皇統」が絶えることなく継承されてきたということです。
                               
 この国の人々は、例外的時代は別として、否、例外的時代にあっても、心の奥底の本音本心では、象徴天皇としての天皇のあり方に、自分たち自身の――先祖代々受け継がれてきた――天皇を感じながら生き死にしてきたのではないでしょうか。天皇とは、政治や軍事の表舞台で派手な振る舞いをする役者ではない。自分たち国民の本当の天皇は、自分たち国民と共に、自分たちの自然の神々に対して、また先祖の神々に対して、畏敬と感謝の祈りを捧げる、そういう意味で、神にその身を捧げておられる、神にもっとも近いところで神に仕えておられる、そういう存在なのだ、と――人々はそんなふうに信じて生きてきたのではないでしょうか。

 鈴木さんに拠りながら論じてきました。天皇、とりわけ象徴天皇という天皇のあり方が、ぼくらこの国の人間にとっていかにかけがえがないか、ということの本質を問う議論でした。以上の天皇本質論を踏まえて鈴木さんは、天皇という存在がこの日本社会のなかでどのような役割を果たしてきたか、と自問し、あらまし次のように答えています。

 まず徳川時代の天皇について、「何かと皇室について上から目線の幕府ではありましたが、(中略)天皇の権威は相変わらず持続しました」と前に置いた上で、鈴木さんは次のように時代を俯瞰しています。
 「ともあれ、時の政権と様々な確執がありながらも皇室は続きます。のみならず、代を重ねれば重ねるほど、天皇は①【空気のように普段は意識しないけれどなくてはならない存在】となっていき、権力が天皇制を廃するためのハードルはどんどん高くなっていったのではないでしょうか。/そして、古きもの、長く続いたものに対する畏敬の念は日本人の中に流れる原初的感性なのではないか、①【「都に天子様がいらっしゃる」という思い】が民衆に②【ある種の慰藉を与え社会を安定させた】のではないか、だからこそ皇統は続いてきたしこれからも続くのだ、と私は思うのです。」

 また彼は、現在について「戦後最大の危機だ」との認識を示したうえで、危機に直面する天皇の役割について、以下のように語っています。
 「そして危機に際して、日本人が③【精神的拠りどころ】とするのは昔も今も天皇です。天皇は、政治からこぼれ落ちた何かをすくいあげる役割を果たされ、変わらぬ②【重心として社会に安定をもたらしている】のではないでしょうか。要するに、③【最後は天皇を頼っている】のです」と。
                              
 ①②③【】、とナンバリングした部分について少しコメントします。
 最初の文章は徳川時代についてのものです。徳川時代は「禁中並公家諸法度」の時代ですから、天皇は御所から外へは一歩も出られないわけだし、人々の間では “御所の神主さん” と呼ばれていた、と言います。だから、日頃は忘れられていても無理からない、そういう存在だったのでしょう。それでも、江戸時代最後の孝明天皇が禁を侵して御所の外へ行幸なさったときは、身分の貴賎尊卑を越えて夥しい数の人々が出迎えたと伝えられています。江戸時代ですら人々は、天皇・皇室のことを忘れていなかった。それが①の意味するところだと思います。

 天皇は社会全体に安定をもたらすいわば “重心” の位置にある、というのが②の指摘です。
 天皇というのは、もともと地位です。社会のなかの位置ですから、鈴木さんの指摘は当たっていると思います。彼が紹介しているエピソードを引用します。
 一つは、敗戦後の昭和天皇の地方巡幸がどこへ行っても大歓迎だったことについて、です。
 「こうした状況を観察して、英紙『オブザーバー』の記者は「占領されているにも関わらず、天皇の声望は少しも衰えていない。何もかも破壊されてしまった日本においては、天皇が唯一の安定剤になっている」と記している。」
 いま一つは、今上天皇についてのエピソードです。
 「今上天皇は被災地だけでなく50年間の間に480カ所を上回る施設を慰問されています。特に身障者には強い関心を寄せられ、渡辺充侍従長によると「最も弱い者を一人も漏れなく守りたい」ともらされていたそうです。」
 社会全体を支える中心の場所・重心は「低い所」にあらねばならない、「弱い者」を大切にしない社会はバランスが悪い、安定しない、そういうことではないでしょうか。

 既述のように、何事もないときのこの国の人々は、天皇のことを在って当たり前の空気のような存在と思っているのでしょう。ところが、どうしたらよいかわからない危機に直面すると、日本人はどうなるか。精神的拠りどころを天皇に求める。「要するに、最後は天皇に頼っているのです」となる。しかも、念の為に、と言わんばかりに鈴木さんは、「昔も今も」そうなのだ、と断り書きを入れています。これが③の指摘です。

 いざとなれば縋るのは天皇というのは、たしかに昔だけでなく、残念ながら今も変わらないと思われます。天皇の存在の大きさは、彼の指摘の通りだと思います。ただ、③の文章の “直ぐ後に間をおかずに” 続けている以下の文章に注目する必要があると思うのです。
 鈴木さん曰く、「明治天皇抜きに革命は成就せず、日本はおそらく欧米の植民地となったでしょう。大正天皇の自由な人柄は時代に投影され、北一輝や大川周明をはじめとする右翼と堺利彦や大杉栄といった左翼が一堂に会して自由に討論を戦わす『老壮会』のような、大正以外では考えられない場が実現しています。そして戦争責任を問われた昭和天皇ですが、昭和天皇がいなければ一億総玉砕に突進し日本は破滅していたと思います」と。
                                
 「(日本人は)要するに、最後は天皇に頼っているのです」と書いたあとで鈴木さんが具体的に名前を挙げた天皇は、明治天皇、大正天皇、そして(特にポツダム宣言受諾の偉業を成し遂げた)昭和天皇、の三者です。いずれも帝国憲法下の「元首」であり、象徴天皇ではなくて神聖天皇です。人々は臣民であって、いまだ国民たりえていません。臣民にとって天皇は、最後の頼りどころか、最初から最後まで精神的拠りどころであり続ける、そういう存在です。それが、かつての我が国の「国体」だったということです。
 昔はそれでよかった、いや、そうでなければなりませんでした。しかし、今は違います。違わないと困る。にもかかわらず、未だにこの国の人々は「最後は天皇に頼っている」、それが現実です。それでよいのだろうか、と問うているのが鈴木さんです。上記の引用文は、そこのところをあからさまに論じていませんが、次の言説を見てください。二頁にわたる叙述の中から関係部分のみを引用して示します(「のみ」と言っても長いのですが、また、中略部分はいちいち断りません)。

 「今上天皇は「憲法」至上主義者であり、そこに規定された象徴天皇の在り方を考え続けてこられたということです。今上天皇は日本国憲法の中に流れる「精神」を体現する天皇の在り方を追求されてきたのではないでしょうか。そして、今上天皇それを、天皇の歴史中に求められました。それも150年ばかりの明治以後の歴史ではなく、二千年の皇統の中にでした。
 現在の右翼や保守派は歴史や伝統というと、すぐに明治以降の戦前を持ち出しますが、既にそこからして今上天皇とは「歴史認識」が違うのです。
 先の結婚50年の記者会見で、天皇は次のようにも述べられています。
 「大日本帝国憲法下の天皇の在り方と、日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば、日本国憲法の天皇の在り方の方が、天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います。」
 この踏み込んだ発言は、右翼や自称保守派に衝撃を与えたと思います。また、今上天皇は現在まで、少なくとも10回以上、「日本国憲法に従う天皇」という主旨の発言を繰り返されています。それほど、天皇の人生にとって日本国憲法、というよりそこに通底する民主と自由の精神は重要な意味を持つものなのです。」

 鈴木さんが今上天皇の考えについて論じているところをたどりながら、ぼくなりに再説してみます。
• 今上天皇は鈴木さんの言うとおり、「憲法」至上主義者だと思います。憲法第一条は言っています、「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である」と。「象徴である」こと、それが「天皇の務め」である、と。否、「天皇の人生」そのものでなければならない、と言わんばかりです。                      
• さらに第一条は、「(天皇という)この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」と規定しています。主権在民だと、国民主権だと言っています。天皇の地位は主権者たる国民の意志 the will of the people に基づいているのだ、と。
• 民主主義の時代なのだ、国民が主人公を務めないでいて、いったいどうするのだ、そんな有り様で、国民の一体性 the unity of the people を象徴するのが務めの天皇に、どうして主人の役割が果たせるのか、と憲法第一条は言っている、のも同然だと思います。
 鈴木さんの大著の副題に「国体としての天皇リベラリズム」とあるのは、ぼくがいま述べたようなことも含意されているのではないか、と感じたりしています。

 ここまで書いてきて改めて、これはやっぱりアメリカ人が原文を書いたのだな、リンカーンのフレーズが血肉化しているのだ、と思い当たりました。彼は国民に向かってmy master, American people と呼びかけていますし、民主主義を定義して government of the people, by the people, for the people と演説しているからです。

 リンカーンに止まりません。我が皇后陛下がご自身のお言葉で、このことを述べておられるのです。「英国、デンマーク国ご訪問前の記者会見」(平成10年)のなかの発言から引用します。皇后さまはこう述べておられます。
 「民主主義の時代に日本に君主制が存続しているということは、天皇の象徴性が国民統合のしるしとして【国民に必要とされている】からであり、この天皇及び皇室の象徴性というものが、私どもの公的な行動の枠を決めるとともに、少しでも自己を人間的に深め、よりよい人間として【国民に奉仕したい】という気持ちにさせています。」(【】は引用者)いずれにしろ皇后さまも、国民が国の主体(主人)でなければならず、天皇及び皇室はあくまでもその国民に奉仕するのが務めなのだ、とおっしゃっているわけです。

 自らを省みて、どうでしょうか。ぼくら国民は国の主体(主人)たりえているでしょうか。
 国の主人の立場にあるというぼくらは、自分たちのために尽くして下さっている天皇の立場を理解しているでしょうか。天皇の国民に対する務めを理解しようと務めてきたと言えるでしょうか。
 さらにそもそも論を言うと、ぼくらは天皇に奉仕してもらうのが当たり前だと、あるいは天皇に解ってもらうのが当たり前だと、一方的に思い込むあまり、天皇の身になって、天皇のことを気遣う、心配する、理解しようとする――そういう当たり前のことをまったくしようとしてきていないし、実際にできていない、というのが本当のところではないでしょうか。
これではあまりにも片務的です。「民主と自由の精神=憲法の精神」は国民だけのものではありません。その精神は、国民と天皇の間でも――憲法上の制約はあるとはいえ――通い合うものでなければいけないのではないでしょうか。
                              
 明仁天皇は平成28年8月の「おことば」の中で、こう書いておられます。「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という立場への理解を求めると共に、うんぬん」と。「何々と共に、うんぬん」という構文では、力点がどうしても後者に置かれます。なので、「と共に」の前の「うんぬん」はあまり強調されないきらいがあります。そこの場所で、陛下は国民に向かって「天皇という立場への理解」を求めておられます。「天皇という立場」とは天皇そのものです。天皇とは位置であり立場なのですから。ただ、いま述べた文章の構造からして、その要求はきわめて控え目です。陛下の「おことば」のこの部分が控え目であるだけに、その深さ重さに思いを致し、胸の塞がる思いがします。陛下は言うべきことをちゃんと言っておられるのに、と。

 最後に、明仁天皇について、その象徴天皇としての理論的実践的業績の大きいことを讃えて、天皇ご自身の「矜持」とか「誇り」とか、いうことを指摘する向きがあることについて書いておきます。この種の言葉を使う人は、鈴木さんを含めて、もちろん悪気のあろうはずがありません。でも、ぼくはこの言葉に出会うたびに違和感を感じてきました。違うのではないか、と。陛下ご自身の内面をお察しするよりも前に、ぼくら国民がそんなふうに思ってもらえるだけのことをしてきたのか、とついつい思ってしまうのでした。

 そんなとき出会ったのが、鷲田清一さんによる「折々のことば」(2017.8.24)です。それをそのまま写します。その日の「ことば」は、「するんじゃなしに、さしてもらえるんです。――ある棟梁。」というものです。出典は「NHKのテレビ番組「サラメシ」(2015.7.27放送)から」と記してあります。鷲田さんの解題は以下の通りです。
 「京都の祇園祭。長刀鉾の組み立てを任される棟梁は、男たちを指揮して20メートル程の柱を建てる。この仕事を誇りに思うという。まちの歴史をつないでいるという誇りは、「あいつになら委せられる」というまわりの人たちの信頼と承認に拠る。プライドは自分で形づくるのではなく、他者から贈られるものなのだ。」
 ぼくは、心を込めて、陛下に「信頼と承認」をお届けしてきただろうか、と問わないではいられないのでした。

 「心を込めて」と書いたとき、どうしても書いておきたい陛下の皇太子時代のお言葉が思い浮かんできました。そのお言葉を最後の最後に書いて、本当の終わりにします。
 「好きな言葉に「忠恕」があります。論語の一節に「夫子の道は忠恕のみ」とあります。自己の良心に忠実で、人の心を自分のことのように思いやる精神です。この精神は一人一人にとって非常に大切であり、さらに日本国にとっても忠恕の生き方が大切ではないかと感じています。」(1983.12.20、50歳のお誕生日会見)