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「天皇を読む」第15回 たけもとのぶひろ【第132回】 – 月刊極北

「天皇を読む」第15回


たけもとのぶひろ[第132回]
2017年8月26日
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「新潮45」(2017年8月号)

「新潮45」(2017年8月号)

「おことば」を考える

 2016年8月8日、今上天皇はビデオメッセージ「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」を発信されました。そして10カ月後の本年6月9日、「天皇退位特例法」(略称)が成立しました。その頃から「おことば」発表1周年を迎えることもあって、関連する論文や書物を世に問う動きが続いてきました。
 これらの識者の議論は刺激的でした。気づかされたこと、教えられた点が、たくさんありました。この間1年近く「おことば」の世界に沈潜して学んできたぼくにとって、諸賢のご教示は、ぼく自身の天皇理解に希望を抱かせてくれた、ぼくのなかの天皇の世界をより大きく開いてくれた、そんな気がしています。
 なかでも、保阪正康さん、山口輝臣さん、鈴木邦男さん、このお三方の論考から学んだこと考えたことをここに報告して、ぼくの「おことば」への思いを補いたいと思います。

■保阪正康さん
 紹介するのは、「新潮45」(2017年8月号)所収、特集『日本を分断した天皇陛下の「お言葉」一年』のなかの巻頭論文「天皇のご意思は満たされたか」です。
 保阪さんは最初に「おことば」の構成を示したうえで、その冒頭と結語の文言に注意を喚起しています。
 冒頭には、「天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が【個人として】、これまでに考えて来たことを話したいと思います」とあり、結語は「国民の理解を得られることを、切に願っています」と結ばれています。

 保阪さんは、まず最初にこの文章構成を指摘し、この構成こそが「おことば」の本質を物語っていると言わんばかりに、次のように述べています。
 「(「おことば」は)国民に自らの気持を直接にぶつけて、理解を求めたという意味では、まさに劃期的なことだったのである。ここには「政治」の空間を飛び越えて国民との対話を求める天皇の心理が凝縮しているといってよかった」と。
 言わんとすることは、ひとまず以下のようなことではないでしょうか。
①天皇が国事行為であれ公的行為であれ、天皇という地位(職責)に在る者の務めとして、メッセージを発するのではないということ。
②「明仁」という固有名詞を有する天皇が、「個人として」自分自身の気持ちを自分の肉声でもって国民の皆に伝えたい。いくら天皇であっても許されているはずの「個人の尊厳」の名において訴えたいということ。
③しかし、天皇が天皇であるより前に、個人として、個人の資格において語りたい、との意思を表明することは、それ自体が、天皇の並々ならぬ決意、覚悟を示しているのではないか。
④したがって「おことば」は、明仁という天皇がご自身の人生において、おそらく体験したことのなかったであろう “非常事態” の認識があって、そのもとで考えぬいた末に決断された行動だったのではないか。等々です。

 このたびの「おことば」は、何の気なしに聞き流していると、コトの重大性に気がつかないままで終わりかねません。事の重大さをわかってもらうには、今回の「おことば」を、東日本大震災(2011.3.15)の際の「東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば」(翌3.16放映)と並べて読んでもらえば一目瞭然です。
 玉音放送(ビデオメッセージ)という点では同じですが、大震災慰問のメッセージは象徴天皇としての公的行為(公のお務め)だったのに対して、今回の「おことば」は「明仁その人の」、「天皇個人の」呼びかけであって、まったく次元を異にしている、ということです。

 保阪さんは、「おことば」の理解を深めるために、半世紀以上の歴史をさかのぼり「昭和の時代」に思いをめぐらしながらでありましょう、次のような感慨を漏らしています。
 上述の引用文の直ぐ後に続く一文を引用します。
 「このときから十カ月を経ての私の実感は、このスピーチは単に「平成の玉音放送」ではなかったという点と、「平成の人間宣言」ではないか、との二つの点にゆきつく。」

 以下において、まず「昭和の玉音放送」について見たうえで、そこから「平成の玉音放送」を見るとどんなふうに見えるだろうか——といったことを考えてみたいと思います。

 昭和二十年八月十五日の玉音放送は、朕……爾臣民ニ告ク、と冒頭に置いたうえで、
 朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾セル旨通告セシメタリ と、ポツダム宣言受諾・全面降伏を宣言しました。玉音の雰囲気を偲ぶには、その中の名文・名文句が役立つかもしれません。たとえば「(戦死者やその遺族)ニ想ヲ致セハ五内タメニ裂ク」(五内=五臓)、「堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」、「爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ」などが広く知られています。

 帝国憲法下の天皇は神聖天皇(現人神・現御神)ですから、人々に直接語りかけることはありませんでした。口語体で天皇は自分のことを何と言えばよいのか、また国民に向かって何と呼びかければよいのか、一人称も二人称もわかりませんでした。だとすると、口で喋る会話体でなくて、字で書いて読む文章で表現するしかありません。漢文の訓読体(読み下し文)です。天皇一人称は「朕」、二人称は「爾臣民・爾億兆」(単に億兆のみも可)です。そして、朕は現人神として爾臣民に向かって玉音を発することになっているのですから、玉音の内容は理解されなくてよい、むしろ意味不明なぐらい難解なほうが有難味がある、肝心なのは内容ではなくて調子でなければならない、神妙な口調で読み上げて神様めいた雰囲気を出すべし——などということだったのではないでしょうか。

 YouTubeを見て驚きました。玉音放送の “演出” に、異様なものを感じました。関係者が知恵をしぼった末に行き着いた結果であろうことを思うと、ぼくとしては、悲しいというか辛いというか、曰く言いがたい、複雑な感情に囚われるのでした。実際の放送では、何がどのような順序で行なわれたか、その一部始終を紹介しておきます。
①八月十五日正午の時報
②アナウンサー「只今より重大なる放送があります。全国の聴取者の皆様、ご起立をお願いします」 ③下村情報局総裁「天皇陛下におかされましては、全国民に対し、畏くも御自ら大詔を宣らせ給う事になりました。これより謹みて玉音をお送り申します」
④「君が代」奏楽
⑤詔書録音再生
⑥「君が代」奏楽
⑦アナウンサー「謹みて天皇陛下の玉音放送を終わります」。
 ここで「玉音放送は終わります」と言っておきながら、この直後、同じアナウンサーが同じ詔書を再読します。どうして? ⑤は「神=天皇」の音声の「録音テープ」を「再生=放送」したものであり、この部分こそが「玉音」そのものの放送であって、アナウンサーの奉読は「人間による代読」にすぎない、ということでしょうか。
 万人周知の、見え見えの虚構なのですが、逆に、そうであるからこそ、そこまでしないではおれないのかもしれません。

 「昭和の玉音放送」というときの「玉音」の主は、人間ではなくて神です。いまだ人間たりえていない、神の発する音声だった、ということです。昭和天皇は、玉音を発する以前、天皇機関説をめぐる騒ぎのあった昭和10年(1935年)の頃、侍従に明かした本音として、ご自身の口から、次のように語っています。曰く、「本庄武官長が私を神と言うから、私は普通の人間と人体の構造が同じだから神ではない。そういう事を言われては迷惑だと言った」(『独白録』)と。
 万人衆知のみならず、本人も承知の上での、見え見えの虚構だったことは、言うまでもありません。

 ここで、この文章の全体を——ここまでに書いてきたこと・これから書こうと思っていることの全体を俯瞰して、今此処の位置を確認しておきたいと思います。そうでもしないと、昭和天皇の “事績”に夢中になっていてふっと我に帰ったときなど、自分がどこに居るのか分からなくなることがあるからです。
 保阪さんはこのたびのビデオメッセージ「おことば」を、「平成の玉音放送」「平成の人間宣言」と特徴づけています。ぼくの文章は、この特徴づけを “導きの糸” としています。となると、「昭和の玉音放送」「昭和の人間宣言」のことを、あわせて考えないわけにいきません。保阪さん自身が昭和天皇のご事績に関する知識を前提にして、平成天皇の歴史的業績を語っておられるからです。

 さて、昭和天皇は一代一身にして、神聖天皇から象徴天皇へと二つの天皇を体験されました。その昭和天皇の子供として育った明仁天皇は、皇太子の時代から、天皇とは何か、象徴天皇とは何か、憲法第一条は自分に何を命じているのか、と問い続けて来られました。一生をかけたその探究の末に出された答えが「おことば」だったと思うのです。そこには、新たに拓かれた地平が示されています。遥かに臨む地平線へ向かう道には標識が立ててあって、そこには「平成の玉音放送」「平成の人間宣言」と書いてあるのではないでしょうか。

 上記において「昭和の玉音放送」について知識を整理してきたのは、「平成の玉音放送」の意義というか、その値打ちがいかほどのものか、はっきりと感じとりたい、というのが趣旨でした。両者はどう違うのか、以下に見ていきたいと思います。
第一は、「朕」と「私」との違いです。
 「昭和天皇の玉音放送」の一人称が「朕」、平成天皇のそれは「私」です。周知のように「朕」は、秦の始皇帝以来の皇帝専用の一人称であったものを、古代天皇親政時代の日本が輸入したもので、「日本書紀」編纂の時点ですでに使われていたと伝えられています。日本の天皇は、中国の皇帝の真似をして「朕」と自称していたわけです。
 他方、平成天皇は中国の皇帝や日本の神聖天皇のような「統治者」ではありません。国家国民の「統合の象徴」者です。まとめる権力ではなくて、国家ないし国民という “まとまり” を現わす(=現成する)のがその役割です。国民との間は「割符」symbolの関係ですから、支配被支配の上下関係ではありません。国民が「私」であるなら、天皇も「私」であらねば、「割符」にならない、ということです。

 第二は、「臣民」と「国民」との違いです。
 「昭和の玉音放送」では、「朕」が「臣民」に向かって呼びかけています。「臣民」はservant、身分社会における被支配者、あるいは従者・家来のことです。この言葉は、もともと三人称(彼ら・奴ら・彼奴ら)として生まれたのではないでしょうか。そもそも、servantを二人称で呼ぶ環境がなかったのだから、二人称を何と呼べばよいのかわからなかった、そこで、もともと三人称であったもののアタマに、接頭語よろしく「爾」を付け、「爾臣民」という二人称を造語したのではないでしょうか。この造語によって、「奴ら・彼奴ら」は「お前ら」になるのでしたが。
 ところが、「平成の玉音放送」の陛下(私)が見ておられるのは、二人称にしろ三人称にしろ、「国民」です。「国民」は「おことば」の中で9回使われています。(他に「人々」が5回、この言葉は、例えば「共同体を地道に支える市井の人々」「時として人々の傍らに立ち」のように、社会的背景のもとで個々のTPOを背負った人について語っています。)
 明仁天皇にとって決定的なのは「国民」です。それは、天皇としての在り方を解いてゆく上でのキーとなる概念だからです。この点については詳述してきたところであり、ここでくり返すことはしません。ただ、明仁天皇の最強の味方である憲法第一条の全51字の中に、2回、最重要カテゴリーとしてこの言葉が登場していることだけは、指摘しておきます。すなわち、「天皇は、日本国の象徴であり日本【国民統合の象徴】であつて、この地位は、主権の存する日本【国民の総意】に基く」とあるのがそれです。

 第三は、「臣民=億兆」と「国民=国民皆people everybody」との違いです。
 前出の「爾臣民」には「爾億兆」という言い方もあります。こんにちの「1億総活躍社会」と同工異曲で、人を全体の員数としてしか見ていません。つまり、人は数だ、と。ですから、「一君万民」「一視同仁」となります。一君以外は皆同じ(万民平等)、一君の目から見れば(一視)人は皆同じ(同仁)、一人一人の違いは認めない、関係ない、と。
  唄の歌詞に ♪ 富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も(中略)溶けて流れりゃ皆同じ♪ というくだりがあります。「同調圧力・KY排除・一極集中」が物事の成行きとなります。
 ところが、平成天皇は国民のもとに出かけて行って、それぞれの現場で直に個々の国民に接しておられます。こういうシチュエーションが前提ですから、陛下の「国民」には「国民のあなた」というニュアンスが感じられます。つまり、国民は二人称として存在しており、だからこそ「国民皆」という呼びかけが自然と出てくるのではないでしょうか。
 「皆」はeverybody です。every は、意味するところが強い。all(全体)であるだけでなくeach(各々)をも意味します。each and all = every の感覚で陛下は、「国民」という概念を使っておられるのだと思います。一つのまとまり(all)のなかにも、一人一人みると、被災者あり、戦没者遺族あり、障害者・高齢者・海外日系人もありです。植樹祭や国体の参加者なんかもいて、いろいろ(each)です。「皆違って・皆いい」、それが陛下にとっての「国民」だと思うのです。だとすると、価値観は「少数派の尊重・多様異質価値の共存」、したがって自ずと「民主・自由・公平・平等」ということにならざるをえないのではないでしょうか。

 保阪さんのご指摘に拠る「おことば」の二つの劃期的意義のうち、残りの一つ「平成の人間宣言」について見ていきたいと思います。最初は「昭和の人間宣言」について知識を整理して……と思っていて、実際にもそういうつもりで書いてきたのでしたが、この考えを変えます。いきなり、保阪さんの考えを紹介します。

 とはいえ、「平成の人間宣言」の劃期的意義に関する保阪さんの言説は、すでに紹介したところです。明仁天皇は「個人として」「国民に自らの気持を直接にぶつけて、理解を求め」ました——この事実がいかに大変なことであるか、という指摘でした。ぼくもこの事柄自体についてまったく同じ感慨を抱いており、その観点からぼくなりの考えを述べたところでした。では、その上に加えて、何を言いたいのか、ということです。
 保阪さんの考えだと、「平成の人間宣言」の劃期的意義はそれだけでは尽くされない、ということなのですね。彼は「あえてもう一点つけ加えておきたい」との一文を前に置いた後に、「おことば」の中の次の一節を引用しているのでした。

 明仁天皇はこう述べておられます。
 「①天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、②天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、③天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました」と。

 ぼくなりの分析を先ず示します——。
①天皇は憲法第一条の「象徴天皇の規定」に従って、その役割を果たさなければならない。その際天皇は、
②国民に対して天皇の立場に対する理解(=「国民の天皇理解」)を求める。
③と同時に、自分自身、国民に対する理解と自覚(=「天皇の国民理解」)を深める必要がある。そういうことではないでしょうか。
 その場合、
①は「天皇の役割」が象徴のそれであることの確認です。その役割を十全に果たすには、
②「国民の天皇理解」と同時にまた
③「天皇の国民理解」も大切だ、同じことですが、②だけでなく③も大切だ、という内容です。
 この構文の場合、②は当たり前の常識・大前提と目されており、③にこそ力点が置かれるのが一般だと思います。
 陛下としては、ご自身が③の主体ですから、③を強調しなければなりません。そして②については、国民の守備範囲であり、しかも憲法第一条が主権者国民の天皇に対する責任(=総意に基づいて天皇をその地位に就けて象徴の務めを負わせていることの責任)を規定している以上、その責めを負ってもらわなければならない、とのお考えだと思います。
 もちろんそれは理論上の話であって、国民の現状からすると、なかなか難しい、思うに任せない、先行きのことを考えると悩ましい、心配になる、なんとかしないといけないのだが………といったところが、陛下の正直な気持ちではないでしょうか。ぼくは「おことば」に学ぶ日々、この点に気がつきませんでした。

 保阪さんは、この微妙な点について「あえて」ひと言指摘しておられるのだと思います。上記の「おことば」の引用の直ぐあとを、保阪さん自身の言葉が追いかけています。
 「象徴天皇としての自らの歩みについて、国民の側もどのように考えているのか、その声を聞くための回路をつくりたいと呼びかけているようにも思えるのである。ありていにいうならば、もっと国民の声を私に聞かせてくださいと訴えているといっていいであろう」。

 陛下は「国民あっての天皇」であることを、理論的にも実践的にも、身に沁みて承知しておられます。この一点において、国民はどうなのか、「天皇あっての国民」だということがわかっているのだろうか。
 保阪さんは陛下に成り代って訴えています。「もっと国民の声を私にも聞かせてください」「その声を聞くための回路をつくりたい」と。
 「回路」とは、陛下と国民の、相互の思いが循環する道筋、なのでしょう。天皇の祈りと国民の思い——その双方が通い合い、巡り巡る「回路」を「つくる」ことが、ぼくらの焦眉のテーマなのではないか、と保阪さんは問いかけているのではないでしょうか。
 これまで何十年もかかって務めて来られたおかげで、「国民を思う天皇の祈りの道」は敷設されて来ました。ただ、国民の側から道を切り開いて来たでしょうか。この道を通れるようにしないと、片道切符 oneway ticket になってしまいます。往復切符が是非とも必要です。往復切符のことをイギリスの英語ではreturn ticket と言いますが、アメリカでは round-trip ticket と言うのだそうです。面白いなと思いました。

 天皇と国民の間に「回路」が通じ、ぼくの言葉で言えば、両者が本当に「割符」の関係になるときにこそ初めて、ぼくらのこの国は、自由と民主の風のなかで、遍く行き渡る公平の喜びを体験することができるのではないか、と思うのです。
 陛下のこのたびの「おことば」は、このことの真実を予感するなかで語られたのではないでしょうか。「平成の人間革命」という保阪さんのネーミングに、ぼくは、未来を先取りする革命的楽観主義を感じます、そうありたい、思いたいということです。