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「天皇を読む」第10回 たけもとのぶひろ【第127回】 – 月刊極北

 「天皇を読む」第10回


たけもとのぶひろ[第127回]
2017年4月24日
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今上天皇

今上天皇

第六節 今上天皇による「象徴天皇」論

 陛下は、第五節の最後の文章の含意をそのまま受けるかたちで、第六節の冒頭を始めています。
 まず第五節の結語はこうです。——自分はこれまで全身全霊をもって象徴の務めを果たしてきたつもりです、しかし、80歳を越えた今の健康状態を顧みるとき、今後も従来通りの務めを果たすことができるかどうか不安になり、憂慮にたえません、と。
 そして第6節の冒頭、陛下は次のように続けます。「私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました」と。

 両者をつなげて読むと、「全身全霊をもって果たす象徴の務め」というものは、「我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごす」なかで成し遂げられるのだな、ということがわかります。公の時を「人々と共に過ごす」のだから、生身の生きた人間の健康が必要なことはわかりますが、陛下はその時に何をなさるのか、具体的な内容について、もう少し知らなければ、実感が湧きません。

 続く文章の中で、陛下はこの問いに答えています。「人々と共に過ごす」ときの自分の務めは「祈る」ことだ、と。すなわち、「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ました」と。
 陛下がここで「国民の安寧と幸せを祈る」と述べるに止め、明示的には書いておられませんが、そのとき直接念頭に置いておられるのは、何よりもまず、宮中三殿――賢所、皇霊殿、神殿――および神嘉殿においてとりおこなわれる、皇室祭祀のときの「祈り」だと思います。それは、御利益信心のように無病息災とか商売繁盛とかの私事に関わるものではなくて、国家国民の次元における繁栄と安寧と幸福を祈るものです。

 この皇室祭祀を務めるのがいかに大変か――まず数です。大袈裟に言うと、年がら年中、と言いたくなるほど頻繁におこなわれていると言います。なにしろ陛下のお出ましになる祭儀だけでも、年間を通じて30を超えるとされているのですから。
 宮中祭祀における今上天皇の「祈り」がいかに大変なものでるか、体力にせよ精神力にせよ、半端なものではとても全うすることができないであろうことは、山本雅人著『天皇陛下の本心』(新潮社)の次の部分からだけでも、十分にお察しすることができると思います。

 「事前に住まいの御所で沐浴(潔斎けっさい)して身を清め古式装束(こしきしょうぞく)を着け、冷暖房のない宮中三殿で真冬や真夏も季節に関係なく早朝や深夜に各祭儀が行われるため、体には相当な負担となる(もちろん、寒いから古式装束の上にコートを着るとか、暑いからⅠ枚脱ぐといったことはあり得ない)。それでも陛下は病気の時以外は休むこともなく続けられている。
 前出の渡邉允・前侍従長の本(=『天皇家の執事 侍従長の十年半』文藝春秋2009年)によると、陛下が、床のじゅうたんの上で正座されてテレビを見ていたエピソードを紹介している。その理由について「新嘗祭のときに足のしびれや痛みなどに煩わされず、前向きで、澄んだ、清らかな心で祭祀を執り行ないたいと考えているからだ」と陛下から言われ、テレビを見るときは年中そうしていると聞かされたことを記している」と。

 今上天皇が全身全霊を傾けておこなってきた「祈り」は、皇室祭祀に止まりません。現地現場に出かけて行って人々と共に祈る「祈り」があります。
 陛下は上記文章の後を次のように続けています。
 「同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」と。
 ここに陛下が書いておられるのは、こういうことだと思います。すなわち――人間、時と場合によっては、こちらから出かけて行って、「人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」によってしか「祈る」ことができない、そういう「祈り」もあるのであって、そのようなときには、自分たち二人がその地に出かけて行って人々と共に祈ることが大切だと考えて来た、と。

 たとえば、地震や津波や洪水などの大規模な自然災害が起きると、その直後に、両陛下は、事情の許す限り速く被災地に駆けつけることができるよう、段取りを急がれると伝えられています。現地に着くとお二人は、被災現場を直接見て回り、被害状況や救援活動についての説明を受け、犠牲者が出ているときはその慰霊の祈りを捧げる。そして、難を逃れ身を寄せ合っている被災者の許を尋ね、励ましの声をかけていかれる。めげそうなほど辛い思いをしている人々の一人一人に身を寄せ、その思いをできることなら抱きとめてあげたい、と言わんばかりの祈りを捧げて慰問をする、それが両陛下のお姿です。

 被災地に直行し、その土地の人々を慰問し、共に祈りを捧げることが象徴天皇の務めである、と固く信じておられる両陛下の振る舞いとその思いは、TVを通じて「国民皆」の共有するところとなります。このようにして天皇は、自らが「日本国民統合の象徴」であることを明かして来られたのではないでしょうか。
 しかし、このように事と次第によっては現場に赴いて祈りを捧げるという、今上天皇の、象徴天皇としての務めに関する考え方からすると、「全身全霊」の献身は当たり前の前提なのではないでしょうか。

 そしていま、年齢による体力の衰えみたいなものが、陛下のこの献身的な祈りを阻む壁となって立ちはだかっているということ。そして、それが冷厳な現実であるとすれば、それはそれとして受け止めて対処する必要があり、その必要な対処の一環として、このビデオメッセージも発信されているのだ、ということ。このような差し迫った現実がいわば “通奏低音” として流れているなかで、陛下はご自身の象徴天皇論を語っていこうとしておられるのではないでしょうか。

陛下はI shall be the Emperor. の少年時代以来、何十年もの間、理想の象徴天皇像を求めて力を尽くして来られました。そのご奮闘は、美智子妃殿下という最強の援軍を得られてからは、二人三脚の道中でしたが、ここまで天皇論を仕上げて来られたのには、その根底に、陛下ご自身の強い願いがあってのことだと思います。
願いとは、ごくごく単純な、しかしそれを叶えるのは決して容易ではない、そういう願いです。――天皇も国民も共に、お互いに対する理解をますます深めていくことができる、そういう関係にありたい、といというのが、その願いです。

 陛下ご自身の言葉は以下の通りです。
 「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への【理解】を求めると共に、天皇もまた、自らの(*象徴としての)ありように深く心し、国民に対する【理解】を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。」(【】(*)は引用者の加筆です)。
 ここに示唆されているのは、国民と天皇の相互理解ということです。分けて言うと、象徴という立場についての国民の理解、そして天皇自身の自覚ということ、この二点です。

 国民に「象徴」天皇を理解してもらう、「象徴」天皇の自覚をもって国民を理解する――この二つの難問を解くのに、天皇が「大切なものと感じて来た」のは全国巡幸です。
 天皇自身の言葉で言えば、「皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来た」「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々(をも含む)」「ほぼ全国に及ぶ旅」を、最も大切なものと考えて来た、ということです。

 天皇はどうして「全国」ということにこだわったのでしょうか。言葉から受ける感じで言うと、すべての都道府県のみならず、遠く隔たった僻地とか、遥か彼方の離島とかも含めて、事情の許す限りこの国の隅々に至るまで出かけて行きたい、というお気持ちだったのだと思います。なぜか。日本国憲法第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて」とあるからです。

 天皇の思いはこんなふうではないでしょうか。――全国へ、全国民のもとへ、自分の方から出かけて行って、天皇である自分を直に見てもらい、あるがままの自分を感じてもらわなければ、話が始まらないのではないか。憲法がいくら自分のことを「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である」とうたっても、天皇自身が全国を巡って顔をみせて回らなければ、国民はどうやって自分のことを “国家・国民を象徴する自分たちの天皇” であると感じることができるであろうか、と。
 自分の代から天皇は、上から君臨統治する天皇ではなくて、国民皆を統合・象徴する存在なのだ。そのことを国民の皆に、実感してもらいたい、理解してもらいたい。わかってもらうためには、気力体力の続く限り “全国行脚” を続けなければならない、と。

 また同時に、国民に知ってもらうための旅が、国民を知るための旅でもあったことは、言うまでもありません。先にも引用したところですが、陛下はご自身の言葉で「これまで何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切にして来ました」と語っておられます。
 国民のことを思って祈るためには、国民のことを知らなければなりません。知らないものを我が身において体現することはできません。
 「日本国民統合の象徴」たらんとすれば、自らがその人々と「一緒の存在」であり、かつその代表であると言える程度には、日本の「国民皆」について承知していなければいけない、あるいは最低限、身をもって知ろうとする姿勢がなければ、話にならない、と陛下は自らに言い聞かせて来られたに違いありません。

 陛下の「国民」は、国民という「概念」ではありません。そのことを表現するのが、「国民皆」という独特の呼称ではないか、という趣旨のことは既に書いた通りです。「皆」と呼ぶのは、国民を「人々」というレベルで知りたい、というお気持ちの表われではないでしょうか。我々のこの国では、どのような人々が、どのようにして生きているのか、どのような喜びに輝き、どのような悲しみを抱えて途方に暮ているのか、そういう人々の思いに触れ、その思いの幾許かでも共有したい__そういうお気持ちだと思います。
 陛下は、自分たちの旅を通して、「国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを」教えられたと書いておられます。

 この第六節の結語のところに、あたかも陛下自らが、「象徴天皇としての務め」というものをどのように考えているか、と問うて、自ら答えておられるような文章があります。ぼくなりの解釈ですが、その趣旨は以下の通りです。 “ 天皇として大切な務めとは何か。それは、「人々への深い信頼と敬愛」をもって、国民を思い、国民のために祈ることです。その際、この祈りの中に「人々への深い信頼と敬愛」の念が生きていると実感できること、自分で自覚することができること、このことこそが大切です。天皇としての幸せというのは、そういうところにあるのではないか、そのように思っています。”

 大日本帝国憲法の神聖天皇の場合と違って、日本国憲法の象徴天皇は、どこまでも、「まず最初に国民ありき」なのです。主体は国民であって、天皇ではない、天皇はどこまでも受け止めて立つ、受けて止めて国民の身に寄り添っている、そうあれかしというのが象徴天皇の務めなのだ、と。「象徴」という概念でもって言いたいのは、不即不離の間柄で互いに呼び合う、そういう関係なのではないでしょうか。

 これを相互的一体性ないし同一性と言ってしまいたい誘惑を感じますが、「一」がいけません。「一億一心」とか「一君万民」とかの四文字熟語が思い浮かんでしまいます。これだと、帝国憲法の神聖天皇になってしまいます。国民は一人一人違います。実に色々様々、種々雑多、複雑多様です。国民統合というのは、それをそのまま生かして、それなりのまとまりを作っていく、そういう国民の在り方を考えての言葉なのではないでしょうか。
 日本国憲法の理想とする「象徴」の天皇というのは、そういう国民の在り方に呼応しようとするものではないか、そんなふうに思えるのです。

 ここで「象徴」という言葉について調べておきます。symbol という言葉の語源は、古代ギリシャ語の symbolon ラテン語の symbolum だそうです。この単語について「ウィキペディア」はこう説明しています。―― syn- が「一緒に」、bole が「投げる」「飛ばす」を意味し、合わせて「一緒にする」や、二つに割ったものをつき合わせて同一のものと確認する「割符」や「合言葉」を意味する、と。
 参考までに「割符」の意味を『新明解』で見てみましょう。「木の札の中央に文字・印を書いて、二つに割ったもの。別々に持ち、後で合わせてみて証拠とする」とあります。

 つまり、こういうことではないでしょうか。
 天皇と国民というと一見別々の存在のように見えるけれども、「合わせてみると」もともとは同じ一つのものだったことが分かる、象徴天皇と国民とはそういう、いわば “割符の関係” なのではないでしょうか。
 天皇と国民が、お互いを合わせてみたとき “割符の関係” であることが分かった――そういうときの天皇を象徴天皇と呼ぶのだと思うのです。

 だとすると、二つの木片――天皇と国民という――を合わせる・合わせてみる行為なくしては、天皇は象徴天皇になることができません。また、この種の行為を体験することなくして、天皇は自らが象徴天皇であると認識することができないと思います。
それは、憲法第七条の国事行為(=国家としての形式を整えるために予め決めてある手続き的行為)ではありません。「象徴」天皇にとって不可欠なのは、国民です。国民と直接に接し、国民とのあいだで分かち合う行為があって、何ものかを共有する関係があってはじめて、二つの木片を合わせて互いに割符的関係であることを碓かめ合うことができ、そこではじめて象徴ということが成立するのだと思うのです。

 今上天皇は「79歳のお誕生日記者会見」(平成24年12月19日)において、象徴天皇のとりわけ「象徴」天皇たる所以の務めについて、簡潔に定義しておられます。すなわち、
 「天皇の務めには、日本国憲法によって定められた国事行為のほかに、天皇の「象徴」という立場から見て公的にかかわることがふさわしいと考えられる「象徴的行為」という務めがあると考えられます」と。

 象徴天皇の象徴性が表われるのは、天皇が国家と関わる国事行為においてではなくて、天皇が国民と公的に関わる行為によって表出される、ということなのだと思います。
 あるいは、次のように言い換えた方がわかりやすいかもしれません。
 すなわち、陛下が公の場で人々と会するときは、陛下の存在と行動が中心となり、その場にいる人々はもちろん、国民の皆も(TVの映像を介して)、陛下との間で思いを分かち合い共有していると実感することができる。こういう陛下の行為(=象徴としての公的な行為)があるからこそ、ぼくら国民は「象徴天皇という存在」を実感することができる。そういうことではないでしょうか。

 最後に、もう一度、本第六節の冒頭の言葉を引用して、その具体的な内容を見ておきたいと思います。 「私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました」とある、この文章の「悲しみの時」「喜びの時」とはどういう時なのでしょう。
天皇と国民が「悲しみの時」を分かち合ってきた「象徴的な行為」としては、たとえば、
 「戦没者追悼式への御臨席と式辞」「国内外の激戦地鎮魂の旅」「戦没者慰霊の旅」「被災地被災民慰問の旅」などがあります。
 また、天皇と国民が「喜びの時」を共にしてきた「象徴的な行為」としては、たとえば、
 「国体開会式」「全国植樹祭・全国育樹祭」などへの御臨席、あるいは「日本芸術院授賞式」
 「平安建都千二百年記念式典」「学制百二十年記念式典」「国連・障害者の十年 最終年記念式典」などへの御臨席、なんかもそれに当たると思います。

 今上天皇は、悲しいにつけ、嬉しいにつけ、国民と思いを共にして来た、と言っています。
 このように国民との間に「共通体験」があり、「感情の共有」があるからこそ、「象徴」という言葉を口にできるのであろうと、身に沁みて感じ入る次第です。