- 明月堂書店 - http://meigetu.net -

「天皇を読む」第2回 たけもとのぶひろ【第119回】 – 月刊極北

 「天皇を読む」第2回


たけもとのぶひろ[第119回]
2017年1月29日
[1]

今上天皇

今上天皇

 昨年(平成28年)の8月8日、天皇は、ビデオメッセージのTV放映 [2]を通して、国民に語りかけました。TVを観た人、新聞を一読した人の多くは、天皇のメッセージを次のように受けとめたのではないでしょうか。すなわち、体調は思わしくない、加齢からくる身体の衰えのために、自分で納得のいく務めが果たせなくなっている、十分に務めを果たすことができない天皇はその地位に止まるべきではないし、止まることはできない、生前譲位を考えたいと思う、意を汲んでもらえないか——そのように陛下は、ありのままのご自身の状態を吐露し、国民の理解を求められたのだ、と。そして国民のほとんどが、陛下の言い分に理解を示しました。聞き入れてあげないと可哀相やないか、と。

 このような成行きは、政府官邸の想定した通りでした。官邸はこの筋書きに沿って、あらかじめ対応の大筋も決めていたものと思われます。今上天皇に関する限りの “特別措置” として「生前退位」を認める、例外扱いで認めてあげよう、と。人情レベルで理解を示したという形をとれば「特例法」で処理できる、と。初めに結論ありきの、その結論に向かって、あとは法案作成・議会提出・可決・一件落着、という読みです。そのプロセスを踏めばよいだけの話であって、天皇の思いがどこにあろうと知ったことではない、と言わんばかりです。このような許しがたい酷薄非道を押し通してきている、それが今日までの経過です。

 天皇の「お言葉」は、だれにでも解る平易な言葉で語られており、一読すれば天皇の「お気持ち」を受けとめることができたと、そういう気持ちにさせる文章なのですが、いったんはその気になるだけで、実はどこか引っかかるところのある、解せない文章でもあるのでした。解りやすいけれども、妙に解せないところのある文章です。解せないから、何度も繰り返し読む。ぼくの場合、何度も何度も、です。なにしろ、発表の8月8日からすると、すでに半年もの時間が経っているのですからね。このことは、いったい何を意味しているのでしょうか。「お言葉」は、とどのつまり、解りやすいようで実は非常に難解な文章だということです。

 そういう疑いを持つようになってからです、新聞の関連記事を細かいところまで注意して読み直したのは。そして分ったことは、結論を先取りして言うと、報道されている「お言葉」が今上天皇のお言葉そのままではない、という事実です。当初ぼくは、何の疑いもなく、この文章が陛下の「お言葉」そのままだと思いこんでいたものですから、陛下の生原稿でないと知ったときは驚きました。

 しかし、ちょっと考えれば分ることだったのです。今の安倍内閣・官邸は、天と地が逆になっても、陛下の「お気持ち」「お言葉」を理解できませんし、理解しません。根本の考え方が違いすぎる、というより、相容れないからです。また彼らは彼らで引き下がりません。横車を押す際に頼りとする強力な助っ人がいるからです。憲法第4条に、天皇は「国政に関する権能を有しない」とあるのが、それです。

 最初に気がついたのは、昨年の10月18日の朝日新聞です(以下、新聞記事はすべて朝日)。
 「官邸が皇室問題の対応をめぐり、公然と主導権の確保に乗り出したのは、NHKが今年7月13日に天皇陛下が「生前退位の意向」を持っていると報じてからだ。お気持ち表明に先駆け、「原案」について安倍晋三首相も加わって宮内庁と直前まで修正作業を繰り返した」とあります。
 待てよ、と思って、「お言葉」放映当時の記事を調べると、なんのことはない、放映翌日8月9日の記事が既にこう伝えています。「首相周辺によると、宮内庁と官邸で1週間ほど前から調整を始め、3,4回ほど文案の往復があったという」と。

 3回も4回も「修正」とか「調整」の作業をした、だと? 官邸が陛下の文章に手を入れている、だと? 失礼な!  学校の教師が作文の指導をしているのではないのだぞ、と腹が立ちます。3回も4回も、ということは、官邸側の修正案に対して陛下が “よし、わかった” とは言わなかったことを意味します。陛下は抵抗して官邸の言うことを聞かない。官邸は宮内庁を恫喝する。“ 何をしているんだ、無理矢理にでも呑ませてしまえ” と。宮内庁は陛下に “ なんとかしてくださいよ” と泣きを入れる。陛下はもとより妥協する気持ちはない。しかし、間に立つ宮内庁の苦境をおもんばかって、政府案を呑まざるをえなかった。——たぶんこれが、真相だったと思います。

 同じ8月9日の新聞記事は、この間の事情を次のように伝えています。「『陛下の気持ちが強くて止められない』。 ある官邸関係者は8月初旬、官邸幹部からこんな話を聞かされた。宮内庁が示したお気持ちの原案では生前退位により強い意向が示されていたが、事前調整で抑制的になったとも聞いた」と。
 10月18日の新聞も、取材した官邸関係者の声を伝えています。某関係者曰く、「原案は天皇陛下の意向が強すぎて激しい内容だったが、8月8日のビデオメッセージは、抑制された穏やかな内容になった」と。

 陛下のほうも、昨年12月23日の「誕生日を前にした記者会見」の席で、この件について次のように言及しておられます。「8月には、天皇としての自らの歩みを振り返り、この先の在り方、務めについて、ここ数年考えてきたことを内閣とも相談しながら表明しました」と。「内閣とも相談しながら」との表現からだれもがイメージするのは、穏やかな話し合いではないでしょうか。しかし、「相談」の内実は、有り体に言えば「喧嘩」でした。その激しい攻防戦の末に、不本意ながらの妥協の産物として生まれたのが「お言葉」だった、というのが、事の真相ではないでしょうか。

 「お言葉」は、陛下がお一人で書かれたものではありません。まず陛下が書かれました。その、陛下が書かれた元の文章に対して、官邸があとから強引に介入してきて、書き直しを要求しました。この、官邸による不当な政治介入に対して、不本意な譲歩を余儀なくされたのは陛下のほうでした。この事実は、今上天皇の文章だと思いこんでいた「お言葉」には実は作者が二人いることを示唆しています。まったく考えを異にする二人が一つの文章を書くことができるものでしょうか。できるはずがありません。また、陛下と首相の二人が書いた文章を、陛下一人が書いたものと偽って公表するのは、国民を騙すに等しい行為です。ごくごく解りやすいはずの「お言葉」の真意が、得心のいく形では伝わって来ない「もどかしさ」を感じさせるのは、このあたりに原因があるのではないでしょうか。

 ここで、官邸支配下の有識者会議の面々に言いたいことがあります。最初から問題の答えを与えられているくせに、問題を解くフリをする、そういうみっともないことは止めにしてもらいたい。然るべき手続きを踏んだうえで正当な解決策に至ったのだから文句を言うなよ、などと言わんばかりの、世論ないし言論に対する予防線を張るのはやめてもらいたい。これらの虚偽工作をやめたうえで有識者会議にやってもらわなければならないのは、陛下の「お言葉」の元原稿を国民の目の前に開示せよ、と官邸に要求することです。

 なぜ元原稿か。有識者会議のテーブルに載っている「お言葉」は、官邸が手を入れた修正版「お言葉」だからです。しかし、本来そこにあるべき「お言葉」は、闇に葬られた「お言葉」の元原稿でなければならないからです。
 なぜ国民開示か。憲法第一条に、「この(天皇という)地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあるからです。主権者たる日本国民は、陛下の「お言葉」の元原稿を読む権利があります。闇に葬って無かったことにすることはできません。

 とはいえ、政府官邸がいったん闇に葬った文書を開示するなんて、空想することさえできません。ぼくらが読んでいる「お言葉」が陛下その人の言葉そのままでないことを含んだうえで、議論していくしかありません。ようやく「お言葉」にたどり着きました。やれやれです、まったく。

 さて、最初に「お言葉」の全体を概観しておきたいと思います。全文は10節から成っています。どのような節別構成になっているでしょうか。ぼくなりの理解は次の通りです。
•在位30年――時間の経過を踏まえてある現在
•明仁天皇の近況――自らの歩みを振り返り日々思うこと
•問いかけ――天皇が高齢化した場合の天皇の在り方
•天皇の伝統とその継承――聞こえてくる “通奏低音” は「祈り」
•象徴であるということ――全身全霊の務め
•象徴天皇像を求めて――探究と創造
•生前譲位の制度化を求める――摂政代理慣行の拒否
•合理性を欠く現行制度――崩御・譲位・即位の行事や儀式
•皇位の継承――「国民と共に」の祈りの立場から
•結語――国民の理解を求めて・国民に直訴する

 以上は、各節の内容を要点化したものです。ただ、「お言葉」の全体をひとまず概観しておくには、このようなタイトリングだけでは十分でない気がします。もっと単純なかたちに整理できないか。たとえば、起承転結の論理展開として、「お言葉」の叙述を区分けすることができれば、「お言葉」についてあらかじめの概観を得るのに資するところがあるのではないか。そんな思いから再整理を試みた結果を以下に示します。

 起――第一節~第四節 明仁天皇自身の主体的条件と問題提起の真意(陛下の現実)
 承――第五節・第六節 明仁天皇自身の象徴天皇論(本質論)
 転――第七節・第八節 現行制度の改革(慣例・行事・儀式など、政策論)
 結――第九節・第十節 天皇の安定的継承・皇室の永続(将来展望)

 このように再整理してみて気がついたのですが、「お言葉」は、文章こそ短いけれど、今上天皇ご自身による「象徴天皇論」だ、と言ってよいのではないでしょうか。
 そして、問題の「生前譲位」は、起承転結の「承」にあたる「象徴天皇本質論」を前に置いて、「転」の位置にある「政策論」の一部として主張されている。
 とりあえずは、このような理解から始めたいと思うのです。

 次回からは、第一節から順を追って、それぞれの内容を考えてゆきたいと思います。よろしくお願いします。