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安倍流 “民主主義” とリンカーン(14) リンカーン像の再構築④ 「多数派」民主主義とは? たけもとのぶひろ【第114回】 – 月刊極北

 安倍流 “民主主義” とリンカーン(14) リンカーン像の再構築④「多数派」民主主義とは?


たけもとのぶひろ[第114回]
2016年11月11日
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サムター要塞と南部連合旗、1861年

サムター要塞と南部連合旗、1861年

 リンカーンは前出「戦争教書」のなかで、内戦突入寸前の状況について語っています。
 彼ら(南部連合国)は、サムター堡塁砲撃事件によって、わが国に「急激なる分裂、しからざれば流血」という峻厳な問題をもって迫ったと言える。
 と。この状況認識を踏まえて彼は、その歴史的意義を以下のように論じています。

 「この問題のかかわるところは、たんに合衆国の運命のみに止まらない。これは全人類に対して、およそ立憲共和国、もしく民主政治democracy、すなわち【同一人民による人民の政治】が、【自国内の敵】に対抗して、領土の保全を維持しうるか否かの問題を提供するのである。そのことはまた、【一国内の不満の徒】が、特定事につき、組織法に従って政府の行動を支配するほどの【多数を擁していない場合】、(中略)彼らの政府を瓦解せしめてよいか、かくして事実において地上から【自由な政府free government 】というものを根絶せしめてもよいか否か、という問題を提供するのである(ゲティスバーグ演説参照=翻訳者)。」(【】は引用者)

 この文章は、北部自由州連邦が合衆国連邦国家の名において、その「政府保持のための武力」を行使し、南部連合国の「政府打倒のための武力」に対抗することの正当性を述べたものです。彼による情勢分析を図式的に整理すると、こうです。
 合衆国連邦=民主政治=「同一人民による人民の政治」=「自由な政府」→多数派
 南部連合国=「自国内の敵」=「多数を擁していない、一国内の不満の徒」→少数派

 国家の存亡(=国民国家の統一と独立)にかかわるまでに、内部勢力の対立が抜き差しならぬ局面を迎えた場合、政府多数派は、政府打倒を掲げる一部の少数派不満分子の振舞いをそのまま放置しておいてよいのか、よいはずがない、武力に訴えてでも少数派を制圧しなければならない――これが、リンカーの主張です。

 そして上記引用文の最後のところに、「地上から自由な政府 free government というものを根絶せしめてもよいか否か」とある部分は、翻訳者が「ゲティスバーグ演説参照」と注釈しているように、同じリンカーンが2年後の同上演説において述べた、結語部分の第2センテンス_――government of the people, by the people, for the people shall not perish from the earth. ――そのままだ、ということです。
 つまり、「民主政治democracy=自由な政府free government」とは、その内容を噛み砕いて言えば、上記「演説」におけるgovernment of the people, by the people, for the people だということです。そうだとすると、人民が人民を・人民自身のために統治する、かの有名な、自由で民主的な政府というのは、本当のことを正直に言えば、「多数を擁している政府」「多数派による統治」ということになります。身も蓋もない話ですが。

 ですから、有り体に言うと、the people とはthe major people のことです。それならそれで、major と明示すればよいものを、これを除いて the people と三つ続けて韻を踏むものですから、その解釈に混乱をきたしたのではないでしょうか。それも世界的規模での混乱がいまなお続いているのですから、リンカーンの罪は軽くないと思います。

 「the people = the major people」がリンカーンの本心だとすると、それは、彼が信奉してやまない「独立宣言」の論理と、どうしても整合しなくなる、矛盾をきたしてくるのではないでしょうか。まずは、「革命権・抵抗権」の問題です。

 すでに引用したところですが、「独立宣言」における、その定義をここに引用します。
 「いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的(=生命権・自由権・幸福追求権など)の実現に対して破壊的になったときはいつでも、人民はその政府を改造あるいは廃止して、新しい政府を樹立する権利がある。但し、その新政府建設の原理原則及び権力形態は、人民の安全と幸福の最大化が期待されるものでなければならない。」
 ここに謳われている「革命権・抵抗権」とは、強大なイギリス王室の支配に対して、弱小のアメリカ植民地側が抵抗するのは当然の権利だ、との主張を意味します。叛逆の権利は強大な多数派ではなくて、弱小の少数派の言い分です。

 ぼくが言っているのは、もちろん、奴隷制プランテーション経済による支配 government に正義があるなどということではありません。奴隷制度は人類の正義に反します。しかし、だからといって、南部奴隷州が、北部自由州連邦「政府」に対して、彼らなりの “正義=奴隷制維持” のための抵抗権を主張し、行使するのを妨げることができるでしょうか。

 リンカーンは、彼ら奴隷州が「少数派不満分子」であることをもって、内戦開始の理由とするのではなくて、彼らが大義として掲げている「奴隷制度の維持存続」の企てそのものを粉砕すべく、真っ向から「奴隷解放の正義」を掲げ、その正義の実現が戦争目的である、と主張すべきだったと思うのです。しかし、彼はそうはしなかった。別のところで述べたように、本気で考えていなかったからです。その気がなかったということです。

 もしもリンカーンが、心底本音で「奴隷制度の粉砕=奴隷の解放」を戦いとろうと決意していたとしたら、南部連合国の「奴隷制度の維持存続」か、北部合衆国連邦の「奴隷制度の粉砕=奴隷の解放」か、黒白を決する、真っ当な内戦になっていたはずです。南部奴隷州の反革命に対して、北部自由州・合衆国連邦政府は革命戦争をもって応えることができたはずです。それこそが、嘘も隠しもない、まともな歴史というものではないでしょうか。

 その選択ができる立場にあったにもかかわらず、リンカーンはその選択の前で躊躇しました。奴隷制廃止とか奴隷解放とか、口では言えるのですが、彼にとってそれは、スローガン以上のものではなかったのかもしれません。命を賭けてでも実現すべき信念なんて、お世辞にも言えない、そういう政治的情熱からはほど遠かった(のかもしれない)リンカーンとしては、別の戦争目的――「国内の敵=少数派不満分子」の武力制圧――をもうけて内戦に突入せざるをえなかった、そういうことではないでしょうか。

 このように、「独立宣言」は「少数派の革命権」を主張しているというのに、リンカーンは「多数派の政府維持」を公言しつつ、それでも「独立宣言の正系」のつもりでいます。「独立宣言」とリンカーンの民主主義政府論とは、捩じれてしまっています。
彼はやはり「戦争教書」のなかで、臆面もなく、次のように述べています(例によって、少し長い引用で恐縮ですが)。

 「わが国の平民政治 popular government は実験である、ということがしばしば口にせられる。 この政治に関する二つの点をわが国民は既に解決した、すなわち政府を立派に【樹立すること】と、これを立派に【司ること】である。もう一つの点がまだ残っている。――それはこれを倒そうとする国内の恐るべき企図に抗して、これを【維持すること】である。今やわが国民が世界に向かって立証すべきことは、公平に選挙をとり行うことのできる者は、叛乱を鎮圧することもまたできるということ――投票こそ弾丸に代って、その後を継ぐべき正当な平和的な後継者であること、等である。(中略)
 私の望むところはこの政府を維持し、この政府の創設者がこれを司ったように、すべての人々のためにこれを司ること(=人民のための政治、翻訳者)である。」(【】は引用者)

 ここで 平民政治popular government と言っているのは、先の引用文に言う、民主政治 democracy、自由な政府 free government にあたると思われますが、このgovernment
においてリンカーンは、いったい何をしようというのでしょうか。政府を立派に樹立すること、政府を立派に司ること、政府を立派に維持すること、これに尽きるようです。
多数派政府の樹立・運営・維持――民主だの自由だの、と値打ちをつけても、それだけの話です。

 リンカーンによると、彼ら多数派が少数派を武力制圧して勝利したとしたら、それは、「諸国民を支配する万能の神が」「北部の側に立って」「偉大な審判」を下し、よってもって「神の真理と正義」の在り処を示した証しである、ということになるのでした。
 たとえ多数派だとしても、だからといって戦争の勝利が約束されているわけではありません。戦争の勝利というのは決して絶対的・必然的なものではありません。
 しかし、一軍を率いるリンカーンとしては、 “勝って当たり前なのだ、勝つべくして勝つのだ、敗れるはずがない、神のご加護あるのだから” と言わなければなりません。必ずしも優勢ではない戦争初期の段階であっても、です。

 むしろ、そうであればあるほど逆に、内戦の勝利とその後の政治について語らずにおれないのでした。弾丸のあとの投票(選挙)について、戦時体制のあとの平民政治=民主主義政治について、 “多数派の正義めいたこと” を述べないわけにいかないのでした。戦時においても平時においても、とにかく多数派をとるのだ、と。多数派が正義なのだ、と。

 しかし、多数であることは、けっして正義を担保しません。支持者の頭数の多寡だけで、政治・統治の未来を決するわけにいかないことを、歴史は教えています。ヒトラーもスターリンも、戦前日本の軍国主義もいま現在の安倍一強内閣も、地獄の悪へ向かって、まっしぐらです。
 そうは言っても、いったん多数を得ることに統治の主眼を置くと、多数の獲得それ自体が自己目的になります。多数であることが意味をもつ、力もちます。

 この力とは、政治の力・統治の力・支配の力です。どうして、そういう理屈になるのでしょうか。答えは簡単です。「多数」を制しさえすれば、あたかも「全体」を制したかのように振舞うことができるからです。政治(選挙制度・投票行動)が、そういう仕組みのもとにあるからです。

 リンカーンがその値打ちを強調して止まない「選挙(投票)」によって多数を得た政府は、全国民の支持を得て全権力を握ったかのように、無意識のうちに錯覚します。錯覚するうちに、本気でそう思いこみます。民主主義政府であれ平民政府であれ、多数派政府 government は、いつだって「国民・人民」の全体を統治しているかのように話しますから、いかにもそのように聞こえるのですが、彼らが実際にやっていることは、「国民の名のもとに」「人民の名において」政府を司る行為であって、それ以上でも以下でもありません。

 リンカーンのいう平民政治・民主主義政治とは、正確に言うと、「国民」の政治ではなくて「国民の名のもとに」行う政治です。「人民」の政治ではなくて「人民の名において」行う政治です。ここで「名」という言葉は、実質を伴わない只の名目、表向きの口実を意味します。では、「口実」とは何か。『新明解』を見てみましょう。
 「内実はうそ・ごまかし・不正・誤り・意図的ねじまげでしかないものを、正当なものだと思わせるためにつけた理由」とあります。
 上述のように、リンカーンの民主主義平民政府とは(選挙制度・投票行動に拠る)多数派支配の別名です。したがって、「名」にまつわる「胡散臭さ」から免れることは、そもそもできない相談ではないでしょうか。

 いまひとつ別の観点から「多数派政治」の問題性を見ておきたいと思います。リンカーンは、多数派の勝利であれ、戦争の勝利であれ、勝利という「結果がすべてだ」と考えます。
 結果とは「万能の神」が下した「偉大な審判」である――そう考えるからです。この考えでいくと、自ずから、結果は正義であり、結果がすべてだ、とならざるをえません。しかし、結果は、必ず正義が勝つ、と決まったものではありません。
 ではありませんが、にもかかわらず、「多数派政治」は言い張ります。勝利は勝利すべくして勝利したのであって、その勝利という結果は必然であり絶対である、と。それが「神の審判」である、と。多数であること自体が正義の証しであり、少数であることはそれだけで不正義を意味する、と。

 リンカーンのゲティスバーグ演説は、民主主義を定義しています。
 お馴染みの government of thepeople, by the people, for the people です。この定義について、これまでぼくは何度も引用し、論じてきました。しかし、それらの解釈は間違いでした。
 ぼくはリンカーンの文章を、当然のごとく、善意に――より人民的に・民主的に・自由と解放の方向で――解釈してきました。頭からそのように思いこみ、その種の先入観にいつまでもとらわれていたのが、ぼくの間違いの原因です。

 ただ、リンカーンにも責めがないとは言えません。彼は、the people を三度くりかえして韻を踏み、歴史にその名を残しましたが、そのフレーズがいかに美しくとも、その美しさが正直さを犠牲にした結果だったとしたら、ましてや誤魔化しや嘘があったとしたら、非難されて然るべきではないでしょうか。

 正直かつ正確に書くとしたら、the people は the major people でなければならないと思います。リンカーンは、単に「国民・人民」ではなくて「その多数派」が統治主体である、と明言しなければいけなかったと思います。
 「国民・人民の多数派」が「国民・人民の全体」を統治するのが民主主義の考え方である、と。いわゆるmajority rule のもとでの政治のリアリズムとは、そういうものだ、と。
 彼の真意の在り処は碓かめる術もありませんから、彼としては “迷惑な言い掛かり” として聞こえるだけかもしれませんが。

 最後に、リンカーンによる多数派民主主義の定義について、「独立宣言」の思想――先に考察した「革命権・抵抗権」とは別の、「権力の正当性の根拠」についての指摘――から見ておきたいと思います。ぼくが問題にしているのは、「宣言」の次の箇所です。

 that to secure these Rights(*)Governments are instituted among Men, deriving
 their just Power from the Consent of the Governed,
(*)these Rights とは、造物主から万人に授けられた不可譲の権利(生命権・自由権・
幸福追求権)を指します。

 この2行のセンテンスの最後に、「権力の正当性は被支配者人民の同意にある」と書いてあります。権力の正当性は、被統治者人民が政府の統治に対して同意か不同意か、その「意思」のいかんにかかっているのであって、選挙の結果として得た投票者の「頭数」が多いか少ないかに拠るものではない、と言わんばかりです。
 もちろん、明示的にはここまで言っているわけではありません。しかし、補足して、こうも言ってみたくなる、というだけのことです。

 「宣言」が言うように、投票者の「頭数」ではなくて、国民の「意思」の如何を問うとなれば、国民の意見——個々の国民の意見とともに国民の全体としての意見——をできるだけ汲み上げて、統治の上に反映させていく、そういうふうに考えることができるのではないでしょうか。それはリンカーンの多数派民主主義とはまるで別の考え方ではありますが。

 次回は「リンカーンの悲劇」といったテーマで考えてゆきたいと思います。