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[編集部便り] ワールドボーイ(8) ― 月刊極北

[編集部便り]
ワールドボーイ(8)


極北編集部・極内寛人
2016年11月2日
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団地造成中だった高島平。当時はいかにも東京のはずれと言った印象だった

団地造成中だった高島平。当時はいかにも東京のはずれと言った印象だった

 「係長」の転職は、私の店内での仕事の仕方に大きな変化をもたらす事になるのですが、私以上に影響というか、大きな打撃を受けたのが、もう一人の「係長」でした。今回はそのもう一人の「係長」について。

 彼は本店店長と同年の二十歳。彼は中卒の生え抜きでしたから、同じ「係長」でもお店での在籍期間は本店の店長より三年長いことになります。ただ、同年ということもあってか、傍目にも非常に仲のいい二人と言う印象で、戸田五叉路店の近くに、お店から当てがわれた四畳半一間で寝起きを共にしていました。

 彼も新潟県(小出市)出身で、実は、私が上京する際、小千谷の職安まで迎えにきてくれたのが彼でした。私を含め、当時の店員八人に対して新潟県出身者が三人と不自然に多すぎるような感じもしますが、人脈や紹介は全然関係ありません。ただのグーゼンです。
 さて、もう一人の「係長」、M氏は、入社以来、店頭に立つ事はほとんどなかったらしく、当時も技術者として修理専門で、時々原付バイクでお客さんの家に出張修理に出掛ける事はあっても、たいていは倉庫を兼ねた高島平店に一人陣取り、「専務」や「部長」が配送車で持ち込む、本店や他の支店で預かった故障品に囲まれ、それらといつも格闘している感じでした。

 いまでもそうですが、私は技術者や職人など、手に特殊技能を持った人間を素直に尊敬する、即物的リアリストの傾向が強いので、M氏のような店員がいるK電機を、何故か誇らしいものに思えてしまった記憶があります。今から思うと、不思議というか、単にバカというか、ようするに子供だったのでしょう。ただM氏が〝カッコ良く〟見えた事も事実であります。
 彼は、以前紹介した、元従業員で「社長」ともタメグチをきく、〝落魄科学者風の契約修理屋〟と共に、K電機の修理部門を二人で担っていました。勉強熱心で、大手電機メーカーが定期的に開催する技術研修には必ず自ら申し出て参加していたようです。

 既に何回も記しているように、仕事漬けの毎日で、通勤時間や社長宅での食事までもお店の拘束時間にカウントすると、仕事時間が毎日、朝の8時半~翌日の零時半~一時くらいになり、しかも、休日もなしですから、わずか一〇名足らずにもかかわらず、店員同士の会話は限られるし、ましてやプライベートの時間は皆無で、私とM氏が顔を合わせるのは、朝食と(午前零時前後の)夕食時の社長宅の食堂と、配送車の助手席にのって高島平店に「専務」や「部長」と立ち寄る時くらいでしたから、それまで、仕事以外の会話はほとんどありませんでしたが、私が戸田五叉路店を一人で切り盛りし始めた九月頃から、原付バイクでの出張修理の帰路、それほど用があるとは思えないのに、わざわざお店に立ち寄り雑談をして帰るようになりました。二人きりで話が出来る時間は、こういう形でした作れなかったのです。

 引っ込み思案で、どちらかというと気弱で自己主張が苦手そうな人でしたから、最初のうちはハッキリ口に出しては言わないものの、婉曲に、私にお店をやめた方がいい、と言う事を伝えたくて立ち寄っている……、と言うのが私にはすぐわかりました。
 上記の通り、私の上京の際、職安で合流し、私をお店まで案内してくれたのがM氏でしたが、同じ新潟県出身という、ただそれだけのことで〝お迎え係〟に指名されただけであって、彼自身が気に病む必要などまったくなかったにも関わらず、(こういう状態にある)お店に自分が案内してきてしまったことへの負い目を感じているのか、そんな言動が会話の端々に感じられて、私の方が恐縮してしまうのでした。
 彼の心境は(内心既に転職を決めており)、自分がつれて来た私を見捨てて、自分だけがそこから抜け出す事への後ろめたさもあり、出来れば私にも、ここから抜け出して欲しいと訴えたかったのだろうな、と思います。

 先に転職した本店店長の私への〝餞(はなむけ)の言葉〟は〝おまえも考えたほうがいいぞ〟と単刀直入なものでしたが、気弱なM氏は、最初こそ遠慮がちだったものの、何回か話すうちに、段々意図が明確になり、遂には自分も近く転職する予定であることを告白し、〝(転職して)どこに行っても、ここより劣悪な職場はないし、それ以上に、ここにいては先がない〟と、本店店長以上に、具体的かつ強硬に、私に転職を〝教唆〟をするようになってゆくのでした。
 その背景には、そうでなくても劣悪な労働事情と、ここに留まる事の、先の見通しのなさに悩んでいた時に、五月には「課長」の失踪、そして転職、更に八月には同じ肩書きを持ち、しかも気の会う同僚だった本店店長の転職と続き、M氏自身、いつ転職のスイッチがはいってもおかしくないような心境になっていたのでしょう。

それにしても、上京以来、半年近くが経過し、やっと彼と打ち解けた話も出来るようになったと思ったら、そのきっかけが、〝退職の勧め〟だったというのは何とも皮肉な話であります。
  M氏は私が接した〝社会人体験第一号〟です。中学を二週間前に卒業したばかりの一五歳の私にとって、スーツ姿で東京から私を迎えに来た彼は、間違いなく大人であり、これから未知の社会に踏み出そうとする私の前に現れた最初の〝社会人〟でした。
 しかし、半年が経過し、その分、私が大人になったのか、あるいは彼が大人のふりをするのをやめたのか、それはわかりませんが、この時、私に気付かされたのは、半年前〝大人の社会人〟として私の前に現れたM氏とはまったく別の、もう一人のM氏が、今、目の前にいる、というこの事実でありした。これも私には一つのいい勉強になりました。