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[編集部便り] ワールドボーイ(6) – 月刊極北

[編集部便り]
ワールドボーイ(6)


極北編集部・極内寛人
2016年9月23日
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写真1、当時毎日搬送で何往復もしていた戸田橋

写真1、当時毎日搬送で何往復もしていた戸田橋

 前回は「専務」を紹介しました、今回もまた店員の紹介を続けたいと思います。
 大番頭、大忠臣の趣のあった個性派「専務」とは対照的に、店員ナンバー2の「部長」は実に地味な、悪く言えば凡庸な何の特徴もない、それでも強いて言えば〝当たり障りがないだけが取り柄〟で、どこにでもいるからこそ、なかなかヒトに説明するのに苦労するような、そんな感じの人物でした。
 たかが一五歳の私に上から目線で酷評される彼も可哀想ですが、上京後「社会に出るということは、こういうヒトとも付き合いながら一緒に仕事をするということなんだな」と、深く私に教訓を与えてくれた事実は消し難く、彼もまた、私に大人の世界を垣間見せてくれた人物の一人であったことは確かです(一五歳の子供風情の大人観察としては傲慢の誹りは免れませんが、正直に当時そう思いました)。

 年齢は26歳、にも拘らず、既に若ハゲの症状が鮮明で、弁解の余地もないほど、髪は量が少なく、しかも一本一本細くて力ない感じがありありで、当時としてはオーソドックスな髪型だった若干長めの〝七三分け〟も、薬缶型の頭皮にそのまま濡れ髪を被せたようで、見るに偲ぶなく、意地悪な言い方をすれば悲惨な域に達しているのでした。本人も相当気に病んでいるらしく、七三にかき分けるように、仕切りと髪に手をやるのが癖になっていました。
 福島県の高校を卒業し、そのままお店で働き始めた生い抜きです。仕事は「専務」同様、店頭で売れた大物家電の配送、設置及び、訪問営業でした。
 「専務」が主に、本店所在地の志村坂上や、志村坂下、高島平など、お店創業以来? 地元で長い付き合いの続く懇意の家庭を中心に、丹念に廻っていたのに対して、「部長」の営業エリアは主に、埼玉県の戸田市、川口市など、荒川に掛かる戸田橋を渡った埼玉県側で、そこでの新規顧客獲得のための営業活動に力を入れている感がありました(写真1、当時毎日搬送で何往復もしていた戸田橋)。

 当時K電機が戸田市に支店を二店舗構えていた事は既にお伝えしましたが、それは、私が入社する前年の67年に、それまで荒川を挟んで板橋区側に限られていた営業活動を埼玉県側にも広げようという事業拡張計画の一端だったらしく、その先兵として「部長」が乗り込んで行ったというわけです。
 因に、これまでの連載に何回か出て来る、会社持ちのアパートも、前年戸田に二店舗を構える際、その内の一店舗、戸田ボートレース場近くのお店の二階三室を借り上げ、(「専務」「部長」「課長」用として)社員寮にしたものです。

 「部長」は、大柄な身体を小さくし、一見気弱そうにみせて、下手(シタデ)にしつこく食い下がって販売条件や商品の説明をし〝そこまで頑張られたら仕方がない〟と相手を諦めさせるような営業姿勢でした。ちょっと吃ったり、福島なまりが抜けないのもかえって功を奏していたかも知れません。存在感の薄いヒトでしたが、仕事では信頼を得ていたと思います。

 前回触れたように、新人の私は、入社一カ月を「専務」の部屋で過ごした後、二カ月目の「一カ月」を「部長」の部屋で過ごしましたが、『プレイポーイ』や『平凡パンチ』といった類いの雑誌のグラビアを切り取ったヌード写真が何枚か壁に貼ってあるだけで、それ以外、今振り返っても思い出すものが何もないような殺風景な部屋だった事を覚えています(その点「専務」の部屋も似たようなものでしたが)。

 入社二カ月目の或る朝、まだ「部長」と寝起きを共にしていた頃、「専務」の声とドアを叩く音で目を覚ましました。
 毎朝八時半前後、「専務」「部長」「課長」のいずれか、早く目を覚ました一人が、他のメンバーに起床を促すべく部屋をノックし、声掛けをするのが通例になっていましたから、この日も通常のそれかなと思っていたところ、「専務」が慌てた様子で、「部長」に説明するには「課長」が不在だと言うのです。
 昨夜というか、同日未明に一緒に会社からアパートに戻っているのだし、そうでなくても、お店の仕事の仕方からして(既にお店の労働環境と仕事の仕方、時間の過ごし方などは記した通りです)、朝いきなり消息不明ということは、あり得ないわけですから、「専務」が慌てるのも無理のない事でした。

 とりあえず、「専務」は一階の店舗の電話で、「社長」にその旨を伝えたのですが、その時の「社長」の反応が、私には衝撃的でした。
 電話の向こうで、開口一番、「カネは大丈夫か」という意味のコトを、大声で言っているのがハッキリわかったのです。
 「課長」は二四歳、鹿児島県の高校を卒業し、新卒でお店に入っています。私の印象としては、お店の中で、唯一インテリ風というか、後年、私が好きになる作家の高橋和巳似で、上品な落ち着いた雰囲気を醸し出しているヒトでした。仕事は本店をまかされ、しかもお金の管理はすべて「課長」がやっていました。
 本店及び埼玉の二つの支店と高島平の倉庫兼店舗の売り上げは、当日夜、本店で各お店の担当が計算し、レジや伝表と照らし合わせて間違いのない事を確認し、各担当の印鑑を押して「課長」に預け、それを翌日「課長」が銀行に持って行く、そういう段取りになっていたのです。
 そういう経緯があるので、「課長」の突然の失踪は、「社長」をして〝持ち逃げ疑惑〟を抱くそれなりの理由もわからないでもないのですが、私にしてみれば、お店で働き始めて約二カ月、文字通り、一日の休暇もなく、寝食を共にし、一緒に働いてきた「課長」が、朝、突然連絡がつかなくなったという、ただ、その一点で、しかも、他の可能性に思いを致す事なく、間髪を入れず、即〝持ち逃げ疑惑〟を想像する、〝大人の世界〟のシビアさにビックリ仰天したのであります。当時の私には、そう言う発想自体がありませんでしたから、その驚きと緊張は相当なものがありました。

 「社長」と「課長」は、その時すでに、六年以上は関係が続いているはずですし、ましてや「社長」は「課長」が新卒で鹿児島から上京したその時から〝住み込みで面倒を見てきた〟ハズなのです。当然「課長」のことは、その人柄を含めよく知っていればこそ、信頼し、お金を彼に預けていたのではなかったのか、それが一朝にしてこれですからね。

 結局、この「失踪事件」、お金は本店の「課長」の机に保管されている事が直ぐ確認され、その点では事なきを得たのですが、「課長」から数日後連絡があり、仕事の重圧に耐えきれず、逃げ出してしまったということでした。
 前回「専務」を紹介した際に記しておいたように、当時、お店は相当な資金難に陥っており(前年の埼玉進出が大失敗だったようです)、私のような新人はまだそこまで知る由もありませんでしたが、「専務」「部長」「課長」は無給で頑張っていたのでした。

 「課長」はその後も復帰することなく、私が就職してから最初の退職者となりました。本店は「課長」の下でサポートしていた「係長」(二〇歳)が担当し、それまでの本店二人体制は一人で仕切る事になり、そうでなくても過酷だった労働環境は、以後更に厳しさをましてゆくことになります。

 社長といい、専務、部長、課長、係長という。実に実体とかけ離れた肩書きに、それを記す私の方が恥ずかしくなってしまいますので、今回から肩書きは総て「」付きで呼ばせて頂く事にしました。