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安倍流“民主主義”とリンカーン(9) ゲティスバーグ演説の骨子—内戦勝利を確信しつつ将来を展望する たけもとのぶひろ【第109回】 – 月刊極北

安倍流“民主主義”とリンカーン(9) ゲティスバーグ演説の骨子—内戦勝利を確信しつつ将来を展望する


たけもとのぶひろ[第109回]
2016年9月1日
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銃を撃つ黒人兵士

銃を撃つ黒人兵士

 前回に触れたように、1862年9月22日の奴隷解放予備宣言・1863年1月1日の奴隷解放本宣言によって、リンカーン北軍(合衆国連邦軍)は18万とも20万とも言われる黒人を戦力として獲得しました。それからおよそ半年後リンカーンは、史上初の総力戦・「ゲティスバーグの戦い」を制し、勝利の流れを確実なものとします。主要な勝因の一つに「奴隷解放宣言」を挙げることができると思います。

 4か月後の同年11月19日、歴史的戦闘のあったまさにその地で開催された「国立軍人墓地の奉献式」において、リンカーンは世界史上名だたる演説を行いました。演説について、またその中身についても、これまでに何度となく触れてきました。このあとは、演説の中身の中の中身というか、核心をなす主張というか――それはリンカーンが最終的に到達した思想と言ってよいと思うのですが――そういうことについて考えてみたいと思うのです。

 内戦の勝利を見通すことのできる局面に立ったときリンカーンは、南北両軍の兵士に向かって、また全米および全世界の人びとに向かって、新たなアメリカ合衆国の国造りをどうするか、そしてそれに対してどれだけの覚悟をもって臨もうとしているのか、言葉にして示す必要がありました。彼は自他に向かって問いかけます。合衆国が追求しようとしている理想の「国家と人民」の在り方とは、いかなる内実のものでなければならないか、と。

 リンカーンをしてリンカーンたらしめているかの有名なテーゼ――government of the people, by the people, for the people――が語られたのは、その「ゲティスバーグ演説」においてでした。〝そもそも論〟からすると、この the people「人民」とは何者なのか、ということです。
 演説のなかでリンカーンは、このthe people「人民」 という言葉を、白人のみならず黒人をも含むものとして使っています。ただ、彼は、白人が人民であるのと同じ意味で、黒人も人民である、もはや奴隷ではなくて人民なのだ、と明示的に断言しているわけではありません。なぜか。かつて奴隷であった黒人がいまだ「人民」たりえていないからです。それが現実である以上、彼らが「すでにいま人民である」かのようなものの言い方はできない――そういうことです。

 しかし、現実をともなわなくても、「人民」という範畴を示して、その意義を説くことはできます。そして、黒人というかつては奴隷であった存在について、この新しい範畴を前提に考えるとしたらどうなるか、改めて考え直してみてはどうか、と示唆することはできるでしょう。当の黒人に対してはもちろんのこと、白人に対しても、です。

 ゲティスバーグで戦った黒人の立場になって考えてみましょう。彼らがその戦場に立ったのは、リンカーンによる奴隷解放宣言があったからでした。かつて奴隷であった黒人は、連邦軍の募兵に応募し、その多くが “一人の兵士” として戦死しました。彼らが死をも覚悟の上で戦ったのは、自他に対して、自分はもはや奴隷ではないのだ、と身の証しを立てたい――そういう気持ちがどこかにあったからではないでしょうか。ただ、しかし、「奴隷ではない自分」というネガティブな自己規定だけだと、心のどこかに得心のいかないものが残ったのではないかと、推し測るる気持ちが働きます。

 彼らはもはや奴隷ではないということ――それはたしかに宣言されているし、自らも命をかけて証明しようとしたのでした。しかし、「奴隷ではない」という否定命題だけでは、どこか納得のいかないものが残るのではないでしょうか。奴隷「ではない」というネガティブな表現だけだと、彼らとしては、だったら “自分はいったい何なんだ” と問わずにはおれないでしょう。自分を納得させるためには ”自分は何々である“ というふうに、ポジティブに自分を「定義」することが、どうしても必要なのではないでしょうか。

 もはや奴隷ではない黒人とはいったい何であるのか? この問いに対してリンカーンの「演説」は答えています。「the people」「人民」である、と。
 ゲティスバーグの勝利から4か月、1863年11月19日のリンカーンは、すでに内戦の勝利を確信しています。もはや残留奴隷州の離反を心配する必要がありません。彼は自分に言い聞かせたのに違いありません。まさに今、ほかならぬこの激戦の地・ゲティスバーグにおける演説であるからこそ、どうしても言わずに済ますことのできないことがあるはずだ、と。言わなければならないのはまさにそのことなのだ、と。
 それは、つまり、内戦勝利後に再統合する合衆国連邦とは、どういう国でなければならないのか、との問いを立て、それについて答える――ということのはずです。 すぐ上に示したのは、この問いと答えの一部だということです。

 黒人は、もはや奴隷でないだけではない、合衆国連邦というnation(国家) を構成するpeople(人民)であるのみならず、people(人民)であらねばならない、白人が人民であるのと同じ意味で、黒人も人民である、そうでなければならないのだ――これが彼の構想する「合衆国連邦の将来図」だったと思うのです。

 「奴隷ではない」というネガティブ表現は、Libertyを想起させます。そして「人民なのだ」というポジティブな表現は、Freedomという概念につながるように思います。その意味で、「ゲティスバーグ演説」(1863.11.19)は、「奴隷解放宣言」Emancipation Proclamation(1863.1.1)を踏まえた「人民宣言」People’s Proclamation とでも命名すべきものかもしれません――そのように理解してよいのではないでしょうか。

 ここで考えておきたいことがあります。奴隷解放という人類的大事業は、どうして「解放宣言」で終わることができず、「ゲティスバーグ演説=人民宣言」を必要としたのか、ということです。答えは Liberty(liberate)とFreedom(free, set free)の違いを考えるなかから得られるのではないでしょうか。各々について辞書を調べておきます。

 Liberty(liberate)とは、「権利としての自由=束縛・抑圧・強制・負担からの解放」を意味します。ここで「解放」について『新明解』を見ると、「有形・無形の重苦しい束縛を取り除き、自由な行動を許すこと」とあります。要するに、これは「解放の行動」であり、「権利の行使」です。

 一方Freedom (free, set free)とは、束縛・抑圧・強制・負担などがないこと(状態)を表わします。『新明解』は「自由」を次のように定義しています。「他から制限や束縛を受けず、自分の意志・感情に従って行動する(出来る)こと。またその様子」と。つまり、Freedomとは、「自分の意志・感情に従って行動することができること」「その状態」を意味します。

 歴史に即してみて見るとわかりやすいです。「独立宣言」「独立戦争」は、植民地のイギリス人がイギリス本国と戦い、本国の抑圧を撥ね除けて自らを解放したLibertyの戦いです。
 また「奴隷解放宣言」は、奴隷制度の廃止をうたい、Libertyを宣言したものです。
 Libertyを求める解放闘争の特徴は、破壊(または粉砕・排除)すべき敵の存在です。「独立宣言」ではイギリス本国ですし、「奴隷解放宣言」では奴隷制度そのものです。

 ちょっと飛躍しますが、半世紀ほど前の全共闘運動もまた、Libertyを求める戦いでした。敵は大学当局・警察機動隊・自民党国家権力です。あのときの体験から学んだ教訓があります。敵とのLibertyの戦いに夢中になっていると、自分のそもそもの志がFreedomの実現にあったはずだという、その初心を忘れてしまいかねない、ということです。

 とはいえ、LibertyなくしてFreedomはあり得ません。つまり、Freedom を実現するには Libertyの戦いが必要欠くべからざる前提条件です。しかし、敵に勝つだけでは十分でない、敵の存在に依存して戦うのではなくて、自らに拠って立つ戦いのなかで自らを実現していく必要があります。そういう戦いこそが、「Freedomを求める戦い」の名に値するのではないでしょうか。「ゲティスバーグの国立墓地奉献式」における演説草稿を用意しているとき、リンカーンの心をとらえていたのは、この「Freedomを求める戦い」についての思念だったのではないか――ぼくはそんな気がしています。

 演説の結語部分でリンカーンは、こう述べています。
 ――we here highly resolve that these dead shall not have died in vain――that ①
this nation, under God, shall have a new birth of freedom――and that ② government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.( ①②は引用者)

 まず①は「国家」について。再結合して生まれるこの国・アメリカ合衆国連邦は、神の計らいのもと、日々新たに、不断に、自由 Freedom を生み出してゆかなければならない、つまり、国としてやるべきことを実現しつつ常に蘇ってゆくのだ――彼はそういう意味のことを言っているのだと思います。

 ただ、Freedomの難しいところは、いったん実現あるいは達成してしまえば、それで終わりというような、そういう性格のものではないということです。初めからゴールというものがない、したがって永遠に立ち止まることなく実現し続けるしかない――人間はそのような存在として造られているのではないでしょうか。
 この点についてはすでに詳述してきたところであり、再論しません。また、under God(神の計らい・摂理のもと)については、機会を改めて考えます。

 そこで②の「人民」についてのテーゼについてです。
 やはり①に立ち返って始める必要があると思います。①に a new birth of freedom とある、そのfreedomは、どこで・どのようにして生まれるのでしょうか。どういう「条件」において生まれるものなのでしょうか。
 ②がリンカーンの答えだということです。新国家が目指す「日々新たな自由」というものは、「人民の、人民による、人民のための統治」のなかで生み出されるのだと、たしかに彼は答えています。

 しかし、ここで彼が言っているのは “自由を生み出すのは民主主義の政治である” というだけのことなのでしょうか。 “要するに民主主義の問題なのだろう” というだけでは、何のことか皆目わかりません。
 「人民の・人民による・人民のための」と並べると、音の響きがあまりにも耳に心地よく聞こえるものだから、ほとんどの人が ”即納得“ みたいな気分になってしまう――それがこのテーゼの ”落とし穴“ かと思われます。

 落とし穴に落ちてくらくらっとして分からなくなるのは、ど頭の government of the people の部分です。あとの二つのうち、government by the people のほうでは、統治行為の主体が人民であると明言してあり、またgovernment for the people のほうは、人民の利益・幸福のために統治するのだと統治行為の目的意識を語っています。
 ところが、government of the people とは・「人民の」統治とは、何を意味するのでしょうか。必ずしも明らかではありません。原因は「of」という前置詞にあります。この前置詞は、文法上、主格関係・所有閣関係・同格関係などを表現する以外に、「目的格関係のof」というのがあります。英和辞典が、たとえば the love of God という例文を挙げて「神を愛する」という邦訳を当てているのが、それです。

 問題の government of the people の「of」について、ここでは「目的格関係のof」と考えてみたいと思います。そうすると、邦訳は「人民を統治する」となり、(誰を統治するのかという)統治対象について語っていることになります。
 この理解が正解だとすると、リンカーンの演説結語②の government of the people, by the people, for the people とは、「人民を人民自らが統治する・自らを実現するために統治する」という意味になるはずです。

 以上のまとめとして、「ゲティスバーグ演説」の結語部分でリンカーンが掲げた理想について、ぼくなりの理解を示しておきたいと思います。ここで理想というのは、新生・合衆国における「国家と人民」の理想像とはどういうものか、ということに関わっています。
 彼は次のように述べたのだと思います。曰く、我々の新しい国家は、「神の計らいのもとで」「自由というものを日々新たに実現させていかなければならない」、ただ、この「自由の実現」ということの意義は、「人民を人民自らが統治する・自らを実現するために自らを統治する」という、まさにこの一点にあらねばならないのだ、と。

 彼なりのこの結論にたどりつくまでが、リンカーンにとって、ひと区切りだったと思います。彼の内面は、この間、大いなる変化を体験したものと察せられます。そして、このあとに残された時間は1年有余、彼の第2次大統領就任演説が彼の遺言になったのでした。

 次回は、彼のその内面が体験したであろう変化に身を寄せて考えたいと思います。