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孤独老人に迷惑な妄想を語らせて金儲けしようとするアマゾン・ジャパン 仲正昌樹【第35回】 – 月刊極北

孤独老人に迷惑な妄想を語らせて金儲けしようとするアマゾン・ジャパン


仲正昌樹[第35回]
2016年8月2日
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著者近影、7月9日「文学の寺子屋」第一回(明月堂書店)

著者近影、7月9日「文学の寺子屋」第一回(明月堂書店)


 前回 [2]、アマゾン・レビューに掲載されていた「みっちゃん」と名乗る、結構な年齢の老人らしい人物による、拙著『集中講義! 日本の現代思想』や、他の哲学・思想系の本に対する、内容と全く無関係なレビューもどきのことを話題にした。「みっちゃん」は、哲学、特に現代思想に対して強いコンプレックスがあるようで、本を読まないまま、哲学・思想系の著者に対して根拠のない妄想だらけの中傷誹謗を書き連ねている――「レビュー」がどういうものか分かっていない。
 彼は、自分が哲学・思想書を理解できないのを、著者のせいにしたくて仕方ないようである。ソーカル+ブリクモンの『知の欺瞞』を持ち上げるかのようなレビューもどきも書いているが、大多数のソーカル信者がそうであるように、どのように批判したのか全く理解していない。ソーカルがポストモダンを徹底批判しているらしいとどこかで聞いて、飛びついただけだろう。彼は、ソーカルのおかげで、自分が哲学を理解できないのは自分の頭が悪いせいではなく、哲学者が無意味な言葉を使っているせいであることが分かった、感謝しているなどと述べているが、こんなことを恥ずかしげもなく言えてしまうこと自体が頭の悪さの証拠である。この連載の第二十二回 [3]二十回 [4]で問題にした、頭が悪いくせに自信満々で居丈高なソーカル信者の典型である。
 『集中講義! 日本の現代思想』に対する「みっちゃん」のレビューもどきは、本の内容と関係のないルサンチマンの羅列であることが明らかなので、アマゾン・カスタマーサービスに連絡して削除してもらったが、「みっちゃん」は性懲りもなく、本の内容と関係ないレビューもどきを新たに書き込んできた。新たな書き込みがあるたびに、その都度連絡して削除してもらっていたが、その内、アマゾンが削除に応じなくなった。「木島」という担当者名で、以下のような”返事”を送って来た。

 Amazon.co.jpのカスタマーレビューは、お客様の自由な意見を発表できる場を目指しているため、ときに批判的なレビューが掲載される場合もございます。しかしながら、批判的でありながらも、それがカスタマーレビューガイドラインに抵触しないと判断される場合には、非掲載にさせてはいただいておりません。今回のレビューに関しましても、確かに辛口(批判的)な表現のレビューではございますが、ガイドラインに抵触していないため掲載というのが、当サイトの意見でございます。
 Amazon.co.jpでは商品を販売する一方、充実した商品情報の一環としてカスタマーレビューを投稿してくださる方の声を、感謝の気持ちを持ってサイトに掲載させていただいております。必要に応じて文章を非掲載または編集する場合もございますが、あくまでもガイドラインに則して判断しております。また、批判的なカスタマーレビューもまた読者の感想として広く受け入れていく方針でございます。

 一見丁寧な返事の文章のように見えるが、これはアマゾンのカスタマー・サービスが、悪質なレビュアーをかばう時に使うテンプレート(ひな形)の文章のコピペである。「木島」は、おざなりな反応をしているだけである。アマゾンのひどい中傷レビューに抗議して削除を依頼した、他の多くの著者や編集者が、「木島」名でこれと全く同じ文章を受け取っているようである。ネットで検索すれば、そうした実例はすぐに見つかる。
 無論、「みっちゃん」のレビューもどきが改善されて、本の中身に対する批判になったというわけではない。相変わらず、中身と関係のない、哲学もしくは哲学者に対するルサンチマンの表明である。表面的に、私個人を名指しした悪口が目立たなくなったので、自分のやるべき仕事をちゃんと理解していない「木島」が、「批判的レビュー」と思い込んだのかもしれない。しかし直接的に「駅弁大学教授の分際で、仲正は…」などという表現を使っていないとしても、本の内容と関係なく、著者を人格的に攻撃するのは「レビュー」ではない。アマゾンもガイドラインで、本の内容と関係のない著者個人に対する人格攻撃は、削除の対象にしているはずだ。現在、amazonに掲載されている「みっちゃん」のレビューは以下の通りである:

 何度書いても消される。誰が消すのか不思議だ。7月16日の朝日新聞朝刊には「瀬戸際のリベラル」という欄があって五野井郁夫という高千穂大学教授が参院選で敗北した野党共闘を励まし、「時間が経てば若い世代が勝つ。なので、自民の後継者たちにとってやりやすい足場を作らせないことが、これからの野党の側、リベラルの側がすべきことです」と主張している。ところで、仲正昌樹に聞くが、民進党はリベラルなのか。いったいリベラルとは何か。要するに哲学者とか政治学者とかの議論は、議論の中の語句の定義そのものが怪しいのである。怪しいのを糊塗するために、わざわざ物事を小難しく述べる。「現代思想」なんてちゃんちゃらおかしい。「哲学」なんてちゃんちゃらおかしい。正直言うが、僕の周辺には(侮らないで欲しい。中居や五野井程度の学歴を有するものばかりだ)「哲学」や「思想」を述べる者は一人もいない。「哲学」や「思想」を偉そうに語る者は、かえって出来のよくなかった文学かぶれの連中に多い。実存主義が大流行した時代に、黒いセーターを着た若者がサルトルの本を小脇に抱えていた。この本は、そのセーターのようなものだ。

 これのどこが『集中講義! 日本の現代思想』に対するレビューになっているのか? どうして、五野井氏の朝日新聞でのインタビューにおける「リベラル」論が、私の本と関係あると思えてしまうのか? 「みっちゃん」や「木島」はどういう思考回路になっているのか? 念のために言っておくと、五野井氏の名前も、リベラル論も、『集中講義! 日本の現代思想』には一切出てこない。私は五野井氏と一切個人的に面識がないし、彼の本や論文についてコメントしたこともない。恐らく、五野井氏と私の政治・社会思想はかなり異なっているし、仲正と同類扱いされたと聞いたら、彼は迷惑がるだろう。
 五野井氏と私の共通点を強いてあげれば、NHKブックスから本を出していることと、東大駒場の大学院を出て、現在、大学教員をしていることくらいだろう。そんなのは、思想的・学問的共通点とは到底言えないが、学歴コンプレックス+哲学コンプレックスの塊である「みっちゃん」からしてみれば、常にぐるになって行動している“お仲間”に見えるのかもしれない。
 「みっちゃん」は、「正直言うが、僕の周辺には「哲学」や「思想」を述べる者は一人もいない」などと言っているが、彼のようにまともに大学に通ったこともなく、妄想で哲学者の悪口ばかり言っているような人間の周囲に、「哲学」や「思想」を語る人間がいないのは当然である。彼はいくつかの“レビュー”で、自分が朝日新聞などの記者や腕利きの弁護士、大企業の経営者と知り合いであるかのように言っているが、話に具体性がなく、それらの“知り合い”の発言なるものも支離滅裂なので、多分、彼の妄想の中にしか存在しない“エリートのお友達”なのだろう。どこの“エリート”が、哲学や現代思想に関わる研究者の悪口をネットに書き込んで自己満足してるような、迷惑老人とお付き合いするだろうか。
 「侮らないで欲しい。中居や五野井程度の学歴を有するものばかりだ」という但し書きも意味不明だ。彼が「学歴」と言っているのは、どこの大学を卒業したのかということなのだろうが、研究者にとっては、出身の学部がどこかよりも、博士課程を出て博士号を取得しているかどうか、それがどの分野の博士号か、その博士論文は専門家からどう評価されているかが重要である。仮に、彼のお友達に、東大とか早慶の法学部を卒業して、大企業の重役をしている人が一人くらい実在するとしても、その人が哲学や思想について語らないからといって、哲学や思想史を研究している学者には、何の関係もない話だ。もともと関係のない人が、何に関心を持っていようと、知ったことではない。大企業の重役であれば、個人的には哲学・思想書を愛読していても、人前でそれらの本の内容について頻繁に語る機会はあまりないだろう。まともな社会経験のない「みっちゃん」には、そんな当たり前のことも想像できないのだろう。
 細かいことだが、どうして私の名前を「中居」と間違えたのだろう。「中居」という苗字の同業者らしき人のことはあまり聞いたことがない。老人が、「仲正(なかまさ)」という読み方を覚えられないで、中本とか中村と言い間違えるのはたまにあることだが、「なかい」に間違えられたことはない。「中居」と言うと、普通の人は、SMAPの中居正広のことを思い浮かべるだろう。あまり教養がなくて、情報のソースもかなり限定されていそうな「みっちゃん」のことだから、SMAPが出演している番組を見て、イキイキと司会している中居正広に嫉妬している内に、「なかい」という音が何となく記憶に残っていて、それが「なかまさ」と結合してしまったのかもしれない。だとすると、早急にその方面の専門の医者に診てもらうべきである。
 いずれにしても、本の内容と全く関係のない不平不満を述べたうえで、その本の著者を「出来のよくなかった悪い文学かぶれ」呼ばわりするのは、アマゾンの利用規約にも違反しているはずである。「木島」にその旨を再度伝えたが、先ほどのコピペ文書を再度送ってきただけで、話にならない。それで、公開されている、アマゾン・ジャパンのJasper Chen社長宛てに抗議のメールを送った。日本語を読めないであろう社長が、全てのメールに目を通しているとは思っていなかったが、社長直属の部署の者が目を通しているのかもしれないと多少は期待してメールした。しかし、返事は、「木島」と同じアマゾン・カスタマーサービスの「山本」と名乗る人物から来た。しかも、「木島」と同様に下の名前はなしで、役職名も名乗らない――アマゾンの社員は、個人情報だと称して、苗字と大ざっぱな所属部署しか名乗らない。その内、担当が、カスタマー・サービスのリーダーだという「照井」という人物に替わった。「照井」は、抗議の問い合わせをしてくる著者や編集者に対して、木で鼻を括ったような無礼な返事をするということで悪名高い人物である。「木島」も「山本」も「照井」も実在しない人物で、アマゾン・カスタマーサービスが、抗議してくる相手を疲れて諦めさせるために使い分けている記号のようなものかもしれない。Jasper Chenという名前の人物は、一応実在しているのだろうが、実体は、「社長自身がみなさんからの疑問にお答えします!」というポーズを示すための単なる記号のようなものかもしれない。Jasper Chen宛てにメールしても、誠意のある返事は返って来ず、“返答者”の名前が替わるだけにすぎないことは、ネット上で何人もの人が指摘している。
 アマゾンとしては、「みっちゃん」のような悪質な老人に、本を購入するのと引き換えに、本の内容と関係なく、悪口オンパレードのレビューもどきを書ける場を提供し続ける方が儲けになる、という判断なのだろう。そういう無節操なやり方で利益を追求する外資系企業のおかげで、愛国者のつもりの「みっちゃん」が、日本の哲学・思想史研究者への悪口を公表する場を確保し、自己満足しているというのは何とも皮肉な事態である。
 2ちゃんねるの嫌儲板などには、「みっちゃん」とは逆に、研究者を装って、私のように多くの本を出している大学教員を誹謗したがる輩がいるが、そうした連中については、別の機会に論じたい。


kanren