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『21世紀の対華二十一ヶ条要求』その6~7 【我に還らず第3回】 居島一平【第3回】 – 月刊極北

『21世紀の対華二十一ヶ条要求』その6~7 【我に還らず第3回】

居島一平[第3回]
2012年12月11日
[1]

 右を向いても左を見ても、ふたこと目には「脱原発」。
 その上に「卒原発」なんてのまで出てきた。いったい「脱」と「卒」とで何がどう違うのか。それは果たして倖田來未と江沢民ほどに絶対異なるものなのか。
 エゴラッピンと「デラべっぴん」くらい別物なのか? 大正デモクラシーと「灯台もと暗し」よりは近いものなのか? 謎は尽きないがとりあえず、「脱・原発」ならエネルギー革命、「脱・弁髪」なら辛亥革命、というギャグを思いついたがいかがでしょう。

内山田洋とクールファイブ

内山田洋とクールファイブ

 むかし“内山田洋とクールファイブ”が(とここで余談ながらこの場合、内山田洋はメンバーの数に入れないのか? 入れると6人になるのか? それは4人でもチャンバラトリオ、7人しかいないのに関ジャニ∞(エイト)的な暗黙の約束なのか?)中国公演に行ったとき“冷静的五人組”と紹介されたのはもはや定番のネタとして語り継がれる逸話ではありますが……ちなみにその折かつて専横を極めた、江青女子ら四人組による暴虐非道の記憶も新たな文革世代も交えた客席には、その芸名に一瞬ビクッとなる人もいたものの、「冷静」の2文字にホッと胸を撫で下ろしたとか(都市伝説)。

 ところでアメリカを「米」、ドイツが「独」、フランスは「仏」、各国名を省略表記すると日本ではこう書くところを中国ではそれぞれ「美」、「徳」、「法」となる。なおイギリスが「英」でスペインが「西」なのは日中共通だが前三者をご覧になってどうだろう。なんだか俄然印象が違って見えないだろうか。
 随分見栄えの良い、意味的にもはっきりいって綺麗な字面の文字を当てた感もろ見えで思わず脳内に「劇的改造! ビフォーアフター」のBGM が流れてきそうだ。まあなんということでしょう。
 日本式表記の場合、例えばアメリカなら亜米利加と単に発音そのままを漢字に当てはめたまででその後味は至極あっさりしたものである。いわば価値中立的な表現であってそこに一切の媚びも政治的な配慮も痕跡はない。
 そういえば子供の頃、コメ市場解放反対を叫ぶ自民党の議員を見て、だから日本よりもアメリカの方が「米の国」なのか……と思ったもの。ついでに始めて第一次世界大戦の記録というか戦史に見入っていた時も、東部戦線におけるドイツとロシアの死闘が漢字だと「独露」になって幼い頭にはすぐシャレコウベが連想されて訳もなく恐ろしげに感じられたっけ。
 さらに脱線するようだが、ニュージーランドの表記はなんと「乳」らしい。悪い冗談のようだが本当の話で、今泥沼の内戦状態で惨鼻極まるシリアに至っ
ては「尻」。よく大使館経由で抗議が来ぬものと思うが今まで現にOK だったんだから仕方ない。ただこの両国が仮に宣戦布告し合ったら「乳尻戦争」になって、これじゃ週刊プレイボーイのグラビアアイドル特集以下だよ!……ってのは仲間の芸人「きくりん」氏の持ちネタではありますがネ。

 まあ文字表記にせよ翻訳にしろ、ある種の語感の問題ではあるが、以前テキサス州の書店を読めもせんのに冷やかしていて面白かったのは、漱石の「吾輩は猫である」が“I’am A Cat”このケースは既に人口に膾炙しているわけだが、ドイツ教養小説の最高峰と呼ばれるトーマス・マンの超大作「魔の山」が“The
Magic Mountain”と訳されていて、なんだかディズニーランドのアトラクショ
ンみたいなファンシーな感じで、荘重厳粛煩悶人生的な重量感がたっぷり台無
しになったえらく軽いイメージに映って見えるのがおかしかった。
 話を戻すと、呉智英氏を初めとする有識者の長年にわたる啓蒙活動が実って、
ようやく無知と誤解が正されつつあるとはいえ、いまだに支那を差別語ないし
侮蔑的蔑視的表現だと思っている人をたまに見かける。これなんぞ英語で
は“China”、秦の始皇帝の「秦(=Shin)」が転訛したとか諸説あるがまさにそのままであって実際悪意のかけらもある筈がない表記なのだ。支那がまずいなら中世の海賊でおなじみの“倭冦”をなんとかしろよという話で、あの頭目なんぞ王直といって日本人でもなんでもない。だいたい“倭”という文字は背中の曲がった小人とでもいう意味の卑しい文字で、文明はおのれだけ周囲は全て野蛮だと決めつける中華思想のあの連中にすれば当然なのだ。……とまあこの辺を掘り出すと完全にどこまで続くぬかるみぞの世界なのでさておくとして、

 対華21ヶ条要求
 その⑥「一部欧米諸国への文字表記ひとつに見られる卑屈な姿勢を改めよ」
 いくら先の大戦でさんざん助けてもらったとはいえ「美」だの「徳」だのはないだろう(アメリカはいうまでもなく、なんとドイツですら日中戦争のある時期までは軍事顧問団を蒋介石のもとに派遣し暗に援助していたのは周知の事実)。尖閣の一件で習近平が日本の対応を茶番と切って捨てたが、そもそも共産党中国が第二次大戦の戦勝国ヅラをすること自体がへそで茶を沸かす話のはず。明は秀吉が朝鮮出兵したおかげで国家体制が疲弊を余儀なくされ、ガタガタになったところを少数民族の満州に天下を奪われて清王朝が建てられたように、日本のおかげで国民党に勝てましたぐらいの事を言ってもバチは当たらぬのでは?

 とどめにその⑦「勝ったのはお前たちじゃない」
 (以下、次回)