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安倍流“民主主義”とリンカーン(2) たけもとのぶひろ【第102回】 – 月刊極北

安倍流“民主主義”とリンカーン(2)

たけもとのぶひろ[第102回]
2016年4月10日
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リンカーン(1809~1865)

リンカーン(1809~1865)

 このところずっと考えてきたのは、安倍首相の「式辞」(2015.8.15)について、その世界がどのような性格のものか、ということでした。彼が述べた言葉を手掛かりに、そこで用いられている概念に関する彼の理解を問題にしてきたのでした。
そして前回は、「式辞」第3節の「自由で民主的な国造り」のうちの「民主的な国造り」について考えました。その際のぼくの目論見は、首相の米議会演説(2015.4.27)のなかの関連部分を援用しつつ考えを進める、というものでした。議論を進める上で便宜上、内容を①②③④の四つの論点に整理しました。①②はすでに検討したところですが、③④が残されています。今回からは(1回で終わりそうにありません)、これらについて考えたいと思います。

 安倍首相の実際のスピーチでは、④が先にあって・そのあとに③が来ます。すなわち、日本人の民主主義理解について言えば、その土台は「ゲティスバーグの演説」のあの有名な一行にある、ということに尽きる、と述べておいて、そのすぐ後を、「農民大工の息子であっても大統領になることができる、そういう国が現に存在するという事実」が日本人を目覚めさせた、と続けています。

 これだと、「ゲティスバーグの演説」の有名な__しかし難解でもある__あの一行は、わかりやすく言えば、「農民大工の息子であっても大統領になることができる」という話なのだ、ということになりかねません。事実、リンカーンは農民の息子にして大統領になった人ですから、安倍は実際にリンカーンを念頭に置いたうえで、農民の息子が大統領になれることこそが民主主義の本質なのだ、と本気で思っていることになります。なりかねません。一国の首相たる者の民主主義理解がこの程度のものと思われたとしたら、身の置きどころがないほど恥ずかしいですが、それにとどまらず、米国と米国民に対してというか、米国の歴史そのものに対して、非礼の極みだと言わねばなりません。

 ここで「米国の歴史」などと言うと、大袈裟なものの言い方に聞こえるかもしれません。しかし、リンカーンによる「民主主義の定義」のような、人類史にその名を残すほどの言葉が産み出されるのには、それを産み出さずにはおかないような、それ相応の歴史上の事実があったのにちがいなく、ぼくら後続の者としてはそれらの歴史的諸事実を知っておく必要があると思うのです。リンカーンの民主主義の内容に立ち入る前に、議論の上で必要と思われる事実に限って、次に示しておきたいと思います。

 「南北戦争」(1861~1865)は、アメリカの全土全国民を二分する内戦civil warでした。「世界最初の総力戦」とまで言われるほどですから、その戦いは質量ともに壮絶なものだったと思われます。その一端は、次の数字――諸説あるらしいのですが――からもうかがうことができるでしょう。

◯北軍(合衆国軍・23州)――対英保護貿易・工業化・奴隷制廃止・主権国家
総戦力 156万人とも、220万人とも言われています。
戦死者 36万4511人、あるいは36万5000人以上。
◯南軍(連合国軍・11州)――英国自由貿易圏・綿花供給・奴隷制堅持・南部分離独立
総戦力 90万人とも、75〜100万人とも言われています。
戦死者 13万3821人、あるいは29万人以上とも。
◯南北両軍の総戦死者
50万人説、70万5000人〜90万人以上説(この場合、一般市民死亡者5万人を含む)

 開戦当初は南軍が優勢だったと伝えられており、その理由としては、北部に残った士官よりも南部に去った士官のほうが全体的に質が高かった、との指摘があります。
 南部優勢のこの流れを変えたことで知られるのが、米国東部のペンシルヴェニア州はゲティスバーグにおける、1863.7.1~7.3の戦いだったと言います。この地に会した両軍について戦史は、北軍が南軍を撃破して勝利し、以後の戦局を「北軍進攻・南軍後退」へと逆転させることに成功した、と伝えています。

 激戦地のなかでも最激戦地とされるこの地の戦闘がいかに過酷なものであったか、なによりも死傷者の絶対的数値と被災確率が物語っています。
 たった3日間の戦闘でした。そこへ投入された兵士の員数は、両軍あわせて16万3千名。そのうち死傷者総数がおよそ4万人。ゲティスバーグの戦場では、たったの3日のあいだに4万の兵士が死ぬか負傷している――4人にⅠ人の割合です。言語に絶する死闘であったに違いありません。

 その戦いから4か月余り経った 同年11月19日、その戦跡の地において「戦没者墓地の奉献式典」が催されたのでした。その会場でリンカーン大統領は、ほんの2分ほどの短い言葉を述べた――それも、祈るような小さな声で述べたこともあって、その時その場においては誰も注目しなかった、と伝えられています。ただ、何人かの記者はそのスピーチを速記しており記事になった――それが後になって有名になったとも言われています。

 これらの事情から、「ゲティスバーグ演説」のテキストは複数あるとの説があります。リンカーンが演説の前に用意したであろう原稿、そして複数の新聞記者による速記報道、演説後に彼自身が浄書し他人に贈呈した原稿、などです。(注 リンカーンのゲティスバーグ演説として知られているのは、これらのうち最後の、彼自身による浄書原稿です)。

 民主主義の本質を語るものとして今なお人口に膾炙している、リンカーンのあの言葉とそれを含む演説が、南北戦争の真っ只中の1863年11月、最激戦地として知られるゲティスバーグの戦闘を制した後に、同地の墓地の奉献式典において発せられた、ということ。――この事実は重いと思います。深く考えてみる必要があるのではないでしょうか。
 ここで「この事実」とは、すなわち、民主主義の思想が生まれたのは戦争の只中においてであった、という「歴史の事実」を指しています。

 しかも、リンカーンの民主主義思想は何の前触れもなく「ゲティスバーグの演説」において産まれたのではなく、その思想的原点は、アメリカ独立戦争(1775.4~1783.9)とその正当性を理論化したトーマス・ジェファーソンの「合衆国独立宣言」(1776.7.4)にあったとされています。別の言い方をすると、「植民地独立戦争」と「内戦=南北戦争」という、二つの戦争は、1世紀近い歳月を隔てながらも、別々の戦争として戦われたのではありませんでした。民主主義という同じ一つのテーマのもとで、ひとつながりの戦争として戦われたのであって、そうしてはじめて民主主義という考え方がアメリカの大地に根づいた、と言えるのではないでしょうか。

 リンカーン自身の言葉で、このことを見ておきましょう。「ゲティスバーグ演説」冒頭の二つのパラグラフについて、文章に番号を付し要点を解説します。
第1パラグラフ。
 •Four score and seven years ago, our fathers brought forth on this continent,
a new nation, ② conceived in Liberty, and ③ dedicated to the proposition that all men are created equal.
 •80と7年前(one score=20, 1776年 合衆国独立宣言)、我らの父祖はこの大陸に新しい国nationを生み出しました。②新しく生まれたその国は、Libertyという名の女神(ラテン語のlibertasは女性名詞)の胎内に孕まれていたのであり、③その国に求められていたのは「人はすべて平等に造られている」という命題に対する献身にほかなりませんでした。

 第2パラグラフの最初のセンテンス。
①Now we are engaged in a great civil war, ② testing whether that nation —–can
long endure. (—–は , or any nation so conceived and so dedicated, 省略)
 •いま我々は大いなる内戦を戦っています。②この内戦で試されているのは、我らの父祖の戦いによって生まれたこの国 that nation が長く持ち堪えられるかどうか、というこの一事なのです。

 独立戦争は、延べ25万人の兵士が民兵ないし正規兵として従軍し戦った、と伝えられています。アメリカ大陸軍の犠牲者(戦死者・戦病死者・重傷者)はおよそ5万人とのことですから、とてもとても南北戦争における大量犠牲とは比較になりませんが、当時英国の植民地であった「アメリカ州」の住民たちが、宗主国からの独立を勝ちとるために武器をとって起ち上がり、9年の長きにわたって戦い、勝利した事実には、他をもっては代えがたい世界史的な意義があったと思います。その戦いがあったからこそ、そこから内戦へとつないで、北軍に勝利をもたらし、ついにはアメリカ合衆国という国民国家・主権国家を樹立することができたのですから。

 自分たちの血を流し身をもってGovernment of the people, by the people, for the people ということを学んできたアメリカ人に向かって、安倍首相は、よくもぬけぬけと言えたものです。 “日本人は民主政治の基礎を、ゲティスバーグ演説の有名な一節に求めてきた” などと。何も知りもしないくせに、口先だけでこういう口幅ったいことを言う、その軽さは、しかし、安倍首相だけのことでしょうか。次回は、この点について考えたいと思います。