- 明月堂書店 - http://meigetu.net -

安倍首相の8月15日―「全国戦没者追悼式・式辞」(1) たけもとのぶひろ【第98回】– 月刊極北

安倍首相の8月15日―「全国戦没者追悼式・式辞」(1)

たけもとのぶひろ[第98回]
2016年2月24日
[1]

安倍首相全国戦没者追悼式

安倍首相全国戦没者追悼式

 ここ2回ほどは、「全国戦没者追悼式」(平成27年度)における今上天皇の「おことば」を紹介しつつ、共に考えてきました。ところで、その同じ式典において安倍首相も「式辞」というかたちで挨拶を述べています。「全国戦没者追悼式」の主催者である「政府を代表し」ての式辞、というのがその名分です。

 この「式辞」のなかで安倍首相は何を語ったのか――これからその発言内容を、実際の文章に即して解明してゆきたいと思います。ただ、その際にあらかじめ承知しておいてほしいのは、同じ主題をめぐって首相が、式典前日の8月14日に機会をもうけ、「式辞」とは別に、いわゆる「安倍談話=戦後70年談話」(記者会見を含む)なるものを発表している点です。「式辞」と「談話」(記者会見)とは、同一人物の同一思想の、一日違いの発表に過ぎません。この事情に鑑み、「式辞」の何たるかを知るには、「談話」の中身についても承知していなければならず、必要とあらば、それへの言及・参照は欠くことができませんし、そのつもりで議論を進めたいと思います。

 「式辞」は七つの段落(節と呼ぶことにします)からできています。冒頭の第1節は追悼式の挙行宣言です。最後の第7節は儀礼上の終わりの言葉です。いずれも形式的なもので、問うべき内容はありません。問題は第2節から第6節です。以下、第2節以降のそれぞれの節について、その内容を示すタイトルを付け、首相の述べた言葉の全文を示した上で、それについて考える――そういうふうにやってみようと思います。まず第2節から。

 第2節――さきの戦争をどう見るか
 「遠い戦場に、斃(たお)れられた御霊(みたま)、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遥かな異郷に命を落とされた御霊の御前に、政府を代表し、慎んで式辞を申し述べます。」

 最初に強い違和感をもったのは、戦没者を「御霊(みたま)」と呼ぶ、その表現自体についてです。今上天皇の「おことば」のなかには、戦没者のことを「御霊」と表現した事例が皆無だったこともあって “ なんだこれは!” と驚きました。
 陛下は戦没者について、ただ、「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々」「戦陣に散り戦禍に倒れた人々」と述べるにとどめておられます。

 戦没者についての陛下の定義では、自国兵士のみならず、敵国兵士の戦死者、民間人の戦死者をも戦没者として包摂しており、彼らをあらかじめ排除する意図のないことが表明されています。言うまでもなく、「おことば」発表の場は日本の「全国戦没者追悼式」なのですから、直接対象とするのは日本人戦没者に限られるのですが。

 さて、安倍首相の「御霊」です。これはいけません。「戦没者」のことを「御霊」と言い換えても、それは、要するに、戦死の運命を受け入れるほかなかった元日本兵のことでしょ。それを、「御霊」だなんて値打ちをつけて呼ぶこと自体が失礼なのに、「斃れられた御霊」「戦禍に遭われた御霊」「命を落とされた御霊」などとべたべたの敬語表現、美辞麗句の連発でもって、本人かどうかもわからないほど厚化粧をしています。単なる戦没者ではない、神聖にして侵すべからざる神々なのだ、と言わんばかりです。

 かつて赤紙一枚でもって召集・動員・派兵されて戦死するしかなかった、かつての赤子・臣民は、死してもなお、お国のために尽さなければならない、ということでしょうか。
 戦争に熱中していたかつてのこの国は、兵隊の命なんぞ “鴻毛の毛” くらいにしか思っていなくて、それこそ “敝履” のごとく扱ってきました。安倍首相は、かつての兵隊のその運命をよくよく承知したうえで、同じその兵隊を「御霊」として崇め奉り、祀り上げ、神格化しようというわけです。「御霊」として遇するからには、神としてそれ相応の働きをしてもらうと言わんばかりに、問答無用でしょっぴいて、靖国神社に幽閉する。 “靖国の神” として務めてもらう。戦没者を「御霊」と呼ぶ安倍首相たちの魂胆は、たとえ死んだ兵隊であっても、お役御免にはせず “神” として再利用する、ということなのでしょう。

 戦没者を「御霊」呼ばわりすること自体、戦争を美化するものです。そのことを述べてきました。しかし、これだけだと、戦争の真実について語り尽くしたとは言えそうにないと思うのです。その点に触れたいと思います。
 早い話が、上述の、その「御霊」のことです。「全国戦没者追悼式」は直接的には日本政府が主催する日本人戦没者追悼式です。しかし、その式典のおこなわれる8月15日は、さきの大戦に関わりのあった、あらゆる国々のすべての人々にとって、忘れることのできない8月15日のはずです。

 戦争をしかけられた側にも、かれらの「戦争の事実」があるということです。
 その事実を、ぼくらはややもすると忘れがちなのではないでしょうか。記憶すること、その記憶を保持し続けることは、格別の努力なしには為しうることではありません。ましてや、否定的な事実の記憶なのですから、尚更です。

 しかし、日本の兵隊に殺害され略奪された国々の人々――兵隊であれ民間人であれ――の方、どうでしょう。日本人兵士の暴虐を忘れることができるでしょうか。その記憶から逃れることができるでしょうか。侵され殺され奪われた国々の人々の身になってイメージしてみてください。自分たちの国を侵略し・自分たちを殺害し・自分たちの命の糧を略奪した兵隊のことを、日本人は「御霊」と呼んで “神様” のように崇めている、と知ったとしたら――彼らは、いったい、どんな気がするでしょうか。

 安倍首相は、第2節の短い文章の中で二度、わが国が侵略した相手国について言及しています。「遠い戦場」「遥かな異郷」が、それです。日本は戦争をしかけて、他国の領土に攻めこみましたよね。正真正銘の悪事です。その戦争の現場について、安倍首相は「遠い戦場」と述べて悲哀の情を誘ったり、また「遥かな異郷」なんて場違いな言葉遣いでもって甘美な思いに耽ったり、センチメンタリズムの度が過ぎます。戦争の美化もここに極まれり、の感を禁じえません。

 第2節は、この追悼式の主催者である「日本政府」が「さきの大戦」をどのように見ているか、ということをあからさまに表明したものです。そのことは、安倍首相が第2節の最後を「御霊の御前に、 “政府を代表” して、慎んで式辞を申し述べます」と結んでいる点に、明らかです。
 ただ、「御霊の御前に慎んで申し述べます」と言われると、やはり苛立ちと怒りを覚えます。「御霊」のみならず、あらゆる国のすべての戦没者に対する、本質的に慎みを欠いている首相が臆面もなく「慎んで」と述べるのですから、恥じ入らずして聞くことは困難です。

 国権の最高機関を代表する立場の人間にして、「さきの大戦」をこの程度にしか見ることができないわけです。それがわが国の実状です。その安倍首相が、戦後70年を振り返るとき、またこれからの日本を見通すとき、彼の目には、いったい何がどのように映っているのでしょうか。

 今回は第2節だけで終わってしまいました。第3節以下は、もう少し要領よくいきたいものです。