- 明月堂書店 - http://meigetu.net -

天皇について(40) 御誓文第五条、西洋文明の受容(続)―鹿鳴館の場合(2) たけもとのぶひろ【第92回】– 月刊極北

天皇について(40)

たけもとのぶひろ[第92回]
2016年1月5日
[1]

ピエール・ロティ(1850〜1923)

ピエール・ロティ(1850~1923)

■御誓文第五条、西洋文明の受容(続)――鹿鳴館の場合(2)

 このところのテーマは、明治の日本がどのように西洋文明を受容したか、ということです。この問いを西欧側から見るとどうなるかということもあって、前回は風刺画家のジョルジュ・ビゴーの作品を取り上げたのでした。今回はフランスの小説家(にして海軍将校)のピエール・ロティ(1850〜1923)の見た鹿鳴館の日本及び日本人について紹介し、考えたいと思います。
 ロティは二度来日していますが、ここで考察の対象とするのは最初の来日のとき、鹿鳴館真っ只中、明治18(1885)年の体験記です(二度目の来日は1900〜1901年ですが、ここでは問題にしません)。『お菊さん』(岩波文庫)、『秋の日本』(角川文庫)、『ロチのニッポン日記〜お菊さんとの奇妙な生活』(有隣堂)などの作品があります。
 ロティは明治18年11月の天長節の日に、鹿鳴館の舞踏会に招待されたらしく、その体験を日記にも小説にも書いているそうです。ここでは上記『〜奇妙な生活』の文章を引用します。キーンさんも『明治天皇』に引用していますが、その部分に加えて、その前後の文章もあわせて紹介したいと思います(引用文には見出しを付けます)。
 ① 日本古来の文化に対する深い感動と哀惜の情。
 「千年の形式をもつ驚嘆すべき衣裳や大きな夢のような扇子は、箪笥や博物館の中に所蔵され、今はすべてが終わってしまった。」
 ② 天皇の命令と従順な民族性。
 「命令は上からやってきた。天皇の布告は、宮廷の婦人たちにヨーロッパの姉妹たちと同じ服装をすることを命じた。(中略)ヨーロッパのいかなる民族も、たとえ天皇の絶対的命令に従うためとはいえ、こんなふうにきょうから明日へと、伝統や習慣や衣服を投げ捨てることには肯んじないだろう。」
 ③ まったくの猿真似。
 「東京のど真ん中で催された最初のヨーロッパ式舞踏会は、まったくの猿真似であった。そこでは白いモスリンの服を着て、肘の上までの手袋をつけた若い娘たちが、象牙のように白い手帳を指先につまんで椅子の上で作り笑いをし、ついで、未知のわれわれのリズムは、彼女たちの耳にはひどく難しかろうが、オペレッタの曲に合わせて、ほぼ正確な拍子でポルカやワルツを踊るのが見られた。」(キーンさんも引用しています)。
 ④ 国民的誇りの欠落。
 「この卑しい物真似は通りがかりの外国人には確かに面白いが、根本的には、この国民には趣味がないこと、国民的誇りが全く欠けていることまで示しているのである。」(キーンさんも引用しています)。

 以上のロティの鹿鳴館印象記のなかの①と③は、ビゴーの感想とほぼ同じです。両者とも、日本の伝統的な文化については心からの賞賛と哀惜の情を惜しみません。また、ロティの③「まったくの猿真似」④「物真似」に見られる嘲笑は、ビゴーのスケッチにも同質のものが見られるのであって、鹿鳴館的日本人に対する両者の軽侮の気持ちには相通じるものがあると思います。
 それと上記には引用しませんでしたが、田中森恵さんの「小人の国のピエール・ロチ」によると、ロチは『お菊さん』の冒頭で、日本人について「何と醜く、卑しく、また何とグロテスクなことだろう!」と書いているそうです。醜い、卑しい、気持ちがわるい、とはなぁ。なにもそこまで言わなくても、と思うのですが。
 ただ、ビゴーも「いくら装っても下はふんどし姿」と題するスケッチを描いています。右手に洋傘を持っていますが、左手は扇子です。帽子をかぶり、洋服を着、革靴を履いていますが、ズボンは履いてなくて、フンドシをしめているお尻が描いてあります。
 ロティもビゴーも、日本人に対する軽侮の気持ちにさほどの違いはなかったのではないでしょうか。ただ、あえて言うと、ロティの嫌悪は日本人全体に対するもので、ビゴーのそれは鹿鳴館的日本人に限られていたように思えるのですが。
 ②は、キーンさんの『明治天皇』に引用されていません。この点に関わるぼくの推測は、すでに書きました。伊藤博文と井上馨のいわば “共同謀議” でもって、気に染まない天皇を鹿鳴館欧化路線に引きずり込んだのにちがいない、というのがそれです。天皇はそもそも鹿鳴館的なものが嫌いなのです(この点の指摘はキーンさんの注釈にあります)。その天皇に、伊藤=井上が「布告」を出させ、婦人に西欧の洋服を着用せよと「命令」させていたとはなぁ。 明治の政治の本質をうかがわせて情けない思いがします。
 ②の問題は、むしろその後です。たとえ天皇の命令であっても、西欧の女性なら一日にして態度を翻して、自分たちの伝統や習慣を、たとえそれが衣服であっても、投げ捨てるようなことはしない、とロティは指摘しているのです。
 この指摘には正直どきっとしました。当たっている、と。しかし、微妙なところで正確さを欠いている、とも感じました。「投げ捨てる」という意志的行為は、そもそも日本人には馴染まないのではないでしょうか。あえて言うならば、むしろ「おのずととりやめている」というか、「知らず知らずのうちにしないようになった」というか、「とくに意識しないで何とはなしに変わっている」というか。言いたいのは、「変える」のではなく「変わる」ということ。それも、「今までとはがらりと変わる」「一変する」といった感じのことが、この国の場合、よく起るのではないでしょうか。
 事は鹿鳴館の夜会服にとどまりません。大東亜戦争(第二次世界大戦)敗北後の、軍国主義(鬼畜米英)から民主主義(対米従属)への変化も、手の平を返すようにがらりと変わりました。ひょっとしたら明治維新のときに起ったのも、この種の変化だったのではないか――そんな疑問さえ浮かんできます。アレはもちろん革命ではありませんし、変革でさえなくて、「変化」という表現がいちばんふさわしいのかもしれない、などと。
 単純に言って、「その時その場を支配する空気が変わる」、その変わる空気の流れを読んでその流れに身をまかせていく、そういう身の処し方を好しとして生きてきたのが、この国の多くの人たちの人生だったのではないでしょうか。

 空気を読む、その流れ(風)に逆らわない、いつもその流れ(風向き)の中にいる――誰彼を問わずみんながこの調子でいけば、人は「一」であることに耐えることができず、とにかく「全体のなかの一」になって安心したい、と思うのではないでしょうか。
 ②の「天皇の布告」なるものの受けとめ方について言えば、それは、命令があって・それに対する従属があって、というふうな支配と被支配の関係みたいなことではなくて、新たに風が吹いて空気の流れが変わったので、その新しい空気のなかで生きていくだけのこと――そういう感じ方だったのではないでしょうか。
 これについて、たとえば、明治の日本では「近代的個人」が生まれなかったし、したがって存在もしなかった、といった類いの――西欧の近代市民革命を基準にした――議論がありますが、その種の論に対してぼくなんかは、西欧近代の物差しで自国を測ろうとする愚をいつまでやっているのか、とぼやきたくなります。

 最後に、上記「④ 国民的誇りの欠落」について考えます。ロティは日本人の欠点として、「卑しい物真似」をする、「趣味がない」、「国民的誇りが全く欠けている」、などの点をあげていますが、要するに、彼は何が言いたかったのでしょうか。

 そもそも伊藤博文・井上馨は、実際に欧米諸国に視察したり旅行したりして、彼らの文化文明がいかほどのものか、したがって西欧文化と同一同等のものをこの日本で再現するなんて所詮かなわぬ望みだと承知していたのだと思います。そのうえで、にもかかわらず、国策として鹿鳴館文化をぶちあげるのだ、と決意したのでありましょう。ソレそのものでなくてソレに似せた似而非なる “えせ” ものでよい、本物ののように見せかけて本物のように見える “作り物・作り事” でよい、虚構・擬制とみられてもよい、と。
 そこまでしてでも欧化政策の実をあげていることを示したい、そうして欧米諸国の関心を引きたい、もっと正直に言うと、関心を引くというよりも歓心を買いたい、阿諛追従の徒と軽蔑されてもよいから、彼らの気に入ってもらいたい、それが鹿鳴館仕掛人たちの本心だったのではないでしょうか。それとも、阿諛追従の卑しい心を見抜かれないとでも思っていたのでしょうか。恥ずかしい。

 と、ここまで書いてきてぼくとしては、明治の先輩たちがやはり選択を間違えてたのだ、との思いを禁じえません。再論を避けて『新明解国語辞典』で「えせ」を引きます。
 「(もと、悪い・劣悪の意)うわべは似ているが、実質はあらゆる点で本物に劣ることを表わす。(表記)似而非・似非は、江戸時代後期以降の用字。」(表記の部分も興味をそそりますが、本義の部分のみについて一言します。)
 この辞書が言っている「えせ」という言葉の肝の部分は、本物とどれだけ似ていても、「実質はあらゆる点で本物に劣る」、ということです。そして「本物に劣る」「えせ」者は、劣等感から解放されることがない、ということです。

 鹿鳴館が本物の西欧文化でないことを承知のうえで、あたかも西欧文化であるかのように表現しかつ感受することは、まず自分を騙してその気になり・さらに他者に向かってウソをつくことです。鹿鳴館的欧化主義でフラフラになっている日本人は、すでに自分を見失ってしまっていると思います。自分がわからなくなっています。西欧文化であるかのような・ないかのような、その自分とは、いったいどういう自分なのでしょうか。

 欧化のなかで自分が分からなくなっても、それでも自分は存在しているのでしょうか。自己を欺瞞し、自己を喪失した国民に、誇り・国民的誇りなどあるわけないでしょう。自分のない人間が国民たりえますか。国民たりえず自分自身でさえもない人間に、鹿鳴館が好きだとか嫌いだとか、好悪の選択というか、趣味というか、その種のものがありえるのでしょうか。ないのではないでしょうか。
 あるとしたら、好悪ではなくて実利、好悪抜きの実利あるのみではないでしょうか。
 要するに損得です。鹿鳴館って、最終的に損得勘定でやったことだったのかもしれません、残念なことに、それが本当のところだったのではないでしょうか。

 だからロティに言われるのです。「この国民には趣味がない、国民的誇りが全く欠けている」と。「この卑しい物真似」と。自分と同じ人間と思えない、対等ではない、あくまでも一つ下の段階だ、と。なんと醜く、卑しく、またなんとグロテスクなことだろう、と。