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留学生アラレ姫の東遊記(4) 皇居の巻 – 月刊極北

留学生アラレ姫の東遊記(4) 皇居の巻

アラレ姫[第4回]
2016年1月5日
[1]

こんな格好いいものが本当に頼れる警備なのか……警視庁騎馬隊

こんな格好いいものが本当に頼れる警備なのか……警視庁騎馬隊

 年末の12月23日、観光気分で皇居に行ってきた。ちょうど天皇誕生日の休日で、留学生同士とともに、楽しく天皇の居場所へ進行した。
 集合場所は東京駅の丸の内南口だったので、そこから短い道を歩いたら、すぐ皇居に辿れる。ただ内堀通りまでのそういう短い道を歩くと、真っ黒な右翼の宣伝車が何台か並んでいたのに目が引かれた。宣伝の内容はともかくとして、ちょっと気持ちがわるかった。皇居に近いところなのにと思ったら、皇居に近いからこそ現れるものだろうと理解した。
 そして、芝生の多い広場に入ると、警視庁騎馬隊が見えた。騎馬している格好の良い警備さんが皇居の一風景となれたように、そこを通る女性たちはみんなその警備の写真を撮っていた。ただ、こんな格好いいものが本当に頼れる警備なのか、それとも観賞用の存在なのか、だれかに教えてもらいたい。
 こうやって正門石橋へ接近しているうち、日の丸の小旗が配られ、そして、安全検査を二回受けた。日の丸の小旗は、天皇に振る時に使われるもので、安全検査は、危険物を排除するためのようだ。なんとなく普通でない雰囲気が伝えてきた。
 それから、正門に入って、人波に流れ、宮殿の方へ向かっていく。当日の気温は8度ぐらいに下がり、雨も時々降るという天気であったにもかかわらず、宮殿の東庭で、いっぱいの人が待っていた。

正門に入って、人波に流れ、宮殿の方へ向かっていく。

正門に入って、人波に流れ、宮殿の方へ向かっていく。

 すこし変な音楽を聞きながら、40分間待たされたところ、皇室一族(天皇皇后両陛下、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と長女の眞子、次女の佳子)が宮殿のあの長いベランダの真ん中に出てきた。近い距離で生な天皇陛下を見られることで興奮したかのように、待っていた人たちが、さきほど配られた小旗を一斉に振りはじめた。そのことで、宮殿東庭は、ばさばさという音と日の丸の波で満たされた。それに対し、皇室一族は表情がやわらかく、皇室らしく手を振ってくれた。お互い振る動作が2分間続いた後、天皇陛下はお言葉を言い始めた。
「誕生日にあたり、皆さんから寄せられたお祝いの気持ちをまことに嬉しく思います。ことしも豪雨などの災害があり、危険や苦労を味わった人々のあることに、心を痛めています。きのうは、冬至でした。これから僅かながら日が長くなっていきます。来たる年が、皆さんにとってよい年となるよう願ってやみません。みなさんの健康と幸せを祈ります。」
 これはお言葉の全文であった。1分間もたってないので、なんとなく物足りない感じがする。そこで、急に「天皇陛下万歳!」という大声が儀式側からあげられて、それを聞いた人たちは、再び日の丸を振り始め、再びその動作を2分間持続していた。皇族たちも手を振ってから、再び宮殿の中に戻った。

ベランダに立つ皇室一族と旗を振る一般参賀者たち

ベランダに立つ皇室一族と旗を振る一般参賀者たち

 帰ってニュースをチェックすると、23日の午前中、天皇陛下は三回ぐらい上述の儀式を繰り返し行った。それに、その一日で、およそ2万6千の人がお祝いに訪れたという。だが、とくにより早めに知るべきだなと感じたのは、我々のその日の皇居訪問は、より正式な言い方でいうと、天皇陛下の82歳の誕生日を祝う「一般参賀」である。「参賀」というと、「国民から君主へ」の意味合いがどうしてもあるようだが、その日の「参賀者」のなかに、日本人のほか、私のような外国人も少なくないと思う。正直に、ああいう政治的な風景に対して、違和感ないし抵抗感がないとはいえない。
 その後、ある平成生まれの日本人の友達から、「日の丸を振って、万歳三唱をしている姿は、外国の人からしたら奇異かも知れないが、でも、戦後直後もそうでしたが、日本には天皇陛下への敬愛が結構根付いているみたいです」という話を頂いた。やはり、日本人の国民感情は依然として皇居と繋がっているようだ。私がこういう感情を体得できないのは、私なりの中国人としての政治感覚があるからだなと思う。

 余談になるけれど、皇居から出て、留学生同士と一緒に久しぶりの四川料理店で、懇親会を行った。その中国的な雰囲気のなかで、思わず口が滑って、堂々と中国語で店員さんを呼び出してしまった。気づいたら、全席の人は力が抜けたように笑い始めた。やはり、無意識の言動こそ、その人の意識を表すというように、無意識状態の私が中国人モードに切り替えられたようだ。