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天皇について(32) 御誓文第四条、「天地の公道」宣言 たけもとのぶひろ【第84回】– 月刊極北

天皇について(32)

たけもとのぶひろ[第84回]
2015年11月4日
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昭和天皇即位の礼

昭和天皇即位の礼

■御誓文第四条、「天地の公道」宣言
 「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クへシ」を考えます。この条文は由利案・福岡案には存在していなかったところ、木戸孝允が新たに提起したとされています。ただ、「天地ノ公道ニ基クへシ」の部分は、木戸原案では「宇内ノ通義ニ従フへシ」となっていますが、大差ないと思います。そしてその解釈は、「旧来の封建性・閉鎖性を打破して普遍的な宇宙の摂理に基づく人の道に従っていくべきだと思います」といったところが一般のようです。因に、明治神宮によるそれは、「これまでの悪い習慣をすてて、何ごとも普遍的な道理に基づいて行いましょう」というものです。しかし木戸孝允たちは、この程度の常識的なことを誓言させるために、新たにこの条文を提起したのでしょうか。

 これらの常識的解釈は、要するに、「旧来の封建性・閉鎖性」「これまでの悪い習慣」を否定し、何事も「普遍的な宇宙の摂理」「普遍的な道理」に基づいてやっていこう、というものです。その意図するところは、「江戸封建制の悪」にたいして「明治維新=西欧近代の絶対的善」を対置し、後者によって前者を断罪する点にあるのでしょう。封建と近代の間を断ち切ろう、ということ。世界の歴史は近代化・反封建・民主化の一本道である、というのがその歴史観なのでありましょう。

 しかし前回にも触れたことの繰り返しになりますが、木戸孝允の『宸翰』をふまえて彼らの問題意識を整理すると、まったく別のものとなります。すなわち、
 ①列聖の神州たるべきこの国の礎石は、「億兆の君」と「天皇の赤子」との関係にあらねばならない。
 ②ところが、「中葉朝政衰てより武家権を専らにし」て以来、この天皇朝廷と億兆赤子との関係が「名ばかり」のものとなった。
 ③問題が「武家の権力支配」にある以上、徳川幕府=江戸封建体制のみならず室町幕府・鎌倉幕府にまでさかのぼって、その正当性を問う必要があるし、そうしてはじめて、それ以前の古代の——飛鳥・奈良・平安時代の——「祭政一致=天皇親政」の時代へと回帰することができるのではないか。
 ④このような「王政復古」を思想的かつ実践的に成し遂げてはじめて、「億兆の君」と「天皇の赤子」とのあるべき関係を——つまり「天地の公道」を——回復することができるのではないか。
 ⑤また逆に、かかる「王政復古」を成し遂げることができなければ、武家権力支配下における「旧来の陋習」を破ることはできないであろう。——以上の諸点です。(いわゆる近代革命の選択肢は別に論ずる必要がありますが)。

 御誓文第四条は、「旧来の陋習を破る」と「天地の公道に基づく」から成り立っています。
 これら二つの構成要素は、「破る」ことなくして「基づく」ことができませんし、逆に「基づく」ことなくして「破る」ことはできませんから、互いが互いの条件になっています。結局は同じ趣旨ですが、前者は過去をかえりみて総括しているのに対して、後者は関心を未来へと向けています。これから「天地の公道に基づく」未来を切り開くのだ、と。
 では、「天地の公道に基づく」「王政復古」の未来は、どのようにして切り開かれるのでしょうか。こんにちの人たちには妙に聞こえるかもしれませんが、答えは「儀式」です。

 「五箇条の御誓文」発布の儀式は、天皇が公卿・諸候をひきいて天神地祇をまつり、五箇条を誓い、三条実美が誓文を代読するという形をとりました。この、完全に神道に則って行なわれた儀式の方針は、儀式(慶応4年3月14日)の前日に「布告」されていたと言います。布告とその意義についてD・キーンは、『明治天皇(一)』のなかで次のように述べています。
 「前日、次のような布告があった。長年にわたり武門の手で中断を余儀なくされてきた神道諸祭の典儀を、ここに復活する、と。 布告にはっきりと打ち出された意図は、上代の「祭政一致の制」を蘇らせることにあった。この復古計画の中心に据えられたのは、神祇官の再興だった。」「神祇官を重視する政府の決定は、勿論、強化された天皇の地位と密接に結びついていた。神道の信仰によれば、天皇は世界の頂点に立つ存在だった。」と。

 続いて執り行われた「明治天皇即位の礼」(慶応4年8月27日)について見ておきます。
 式典の全体を仕切った岩倉具視は、これまでの伝統的な典儀が中国の模倣の域を出なかった点に鑑み、日本古来の正しい典拠に則った「皇室神裔継承」の規範を裁定させたと言います。象徴的なのは、中古以来用いられてきた唐制礼服を廃止し、日本古来の束帯の着用に戻した点にあるとされています。

 いまひとつ「即位の礼」において岩倉が下した英断があります。式次第についての神祇官判事福羽美静の建言を容れた点です。福羽は、徳川斉昭が孝明天皇に地球儀を献じたひそみにならうべしと提案したのでした。「即位の礼」の中心テーマとして式典に「地球儀」を登場させることができれば、神州日本の国威宣布に与って力があるのはもとより、列席の百官有司の士気の高揚にも資するところ大でしょうし、万民の深甚なる感銘と祝賀気運の高揚にも役立てることができるでしょう、と。
 さらに、こう言ったかどうかは定かではありませんが——そのうえに、もしも天皇が地球儀を俯瞰し、回してみせる演出を加えることができれば、文字通り「天皇が世界の頂点に立つ存在である」ことを天下に知らしめることができるのではないでしょうか、と。

 「御誓文発布」にせよ「即位の礼」にせよ、神道に基づく祭儀(儀式)をきちんと復活させていくということ。そして、それぞれの儀式のなかで、また儀式によって、「億兆の君」と「天皇の赤子」とのあるべき “関係” を、「天地の公道」として万人の目の前に現してみせること。——天地の ”公道” に基づくとは、そういうことではないでしょうか。
 武家政治を打倒して王政復古を成し遂げたいま、この “関係” ・この “公道” をすべての基本に置いてやっていくべきだと思います——維新の活動家たちは、第四条によってそのことを誓言したのではないでしょうか。

 しかし、なぜ、どうして「儀式」なのでしょうか? 
 回を改めて考えたいと思います。


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2015年11月1日
天皇について(31) 御誓文第三条、朕の統治 [2]