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番外編(下)『ジャスミンの残り香』補遺―著者の危機意識~壊死しつつある日本社会 たけもとのぶひろ【第63回】– 月刊極北


たけもとのぶひろ(第63回)– 月刊極北
番外編(下)

タハリール広場

タハリール広場

『ジャスミンの残り香』補遺――著者の危機意識~壊死しつつある日本社会

■カイロか東京か
 アラブ世界では、つねに異質なものがぶつかりあい・熱をおび・坩堝と化している。その坩堝に我が身を置くとき、日本の今が見えてくる。著者にとってアラブは、日本を映し出す鏡であり、観測のための定点である。決して小難しい理屈を言っているのではない。
 たとえば、ちょっとした人びとの光景を目にするとき、彼我の違いに気づき、その違いの意味するところについて考えないわけにいかない。田原さんは、たとえば、こんな具合に指摘している。「カイロでは、人びとの間で声を交わすことが絶えない。それは誰もが押し黙って、スマートフォンを凝視している東京の電車の光景とは対照的だった。ちょっとした買い物の際にも、人と人の間に会話がある。(中略)どれもこれも他愛ないことばかりだ。けれども、その他愛ない言葉の交換が大切な何かを支えている。」

 カイロの路地には会話が溢れている。どんなに取るに足らないことであっても、言葉を交わすことで、人と人が交わり、心が通い合い、人と人が連なっていく。まさにそうした単純なことの持続と広がりが、社会というものを成り立たせているのであろう。
 片や東京ではどうか。人びとはいつも黙って、どこかの目的地にむかって急いでいる。歩いていないときは、電車の中でも、公園でも、教室でも、否、歩いているときですら、スマートフォンを凝視している。でなければ、ゲーム機をいじっている。誰とも口をきかない。話したいと思わないし、聞く必要もない。他者とのあいだの会話は面倒くさい。

 これでは、関係も交流も成立しない。分断と断絶。そして断片と孤立。断絶・孤立では、どだい社会にならない。社会は壊死をまぬがれない。また、断絶・孤立は依存を欲し、依存は支配を求める。その求めに応えるのは、国家を措いて他にない。
 日本の今此処に立って考えてみよう。いったい国家は何をしようとしているのか。その統治意志を社会の隅々にまで浸透・貫徹させ、社会そっくりそのまま掠取する、早い話、乗っ取ろうとしているのではないか。最も効率のよい「戦争国家への道」を驀進しているとしか思えない諸事実の連鎖が、その証しだと思われるのだが………。アラブ世界に観測定点を有する田原さんは、日本の今をどのように見ているであろうか。

■日本の軍国化と国際的孤立
 「いま日本社会を縛っている緊張とは、社会が「軍隊化」してきたことの証左なのかもしれない。つまり、軍靴の響きが近づいているのは、憲法改正や情報統制といった政治領域にとどまらないということなのだろう。むしろ、そうした政治的な動きは、会話の通じない、通じさせない日常の空気を土台にして形づくられていく。その空気はいじめが絶えない小学校の教室から、安全神話ならぬ安心神話がまかり通っている福島の被災地まで行き渡っている。それが議論不在の国会にまで至っているのだろう。」
 ぼくらが見ている目の前で今、日本社会ががらがらと音を立てて壊れていく。この危機の土台にあるものはなにか。「会話の通じない、通じさせない日常の空気」だというのが、著者の答えだ。会話不在・通話遮断の空気が支配する社会は、すでに社会たりえていない。
 みんな、分断され孤立してしまっているのだから、社会は成立しない。

 これはなにも日本の中だけの話ではない。世界の中に日本および日本人を置いてみたばあい、ぼくらは国際「社会のメンバー」たりえているだろうか。
 この旅の帰途、田原さんはある光景を目にして、日本・日本人が直面している「問題」の根の深さについて、思いを新たにしたという。以下の引用は、中略部分の表示なしで、著者の本文を書き抜いたものだ。
 「帰りのカイロ空港でのことだった。一人の目の不自由なアラブ人が職員の手を借り、喫煙室に入ってきた。喫煙室の席はほぼ埋まっていたが、誰からともなく、居合わせた人びとはその人のために席を詰め始めた。近くに卒業旅行なのか、数人の日本人の若者たちの集団がいた。皆、無言でスマートフォンに目をやっている。周りが席を少しずつ融通しているのだが、この一群だけが動かない。
 なにもこのエピソードを日本人一般に普遍化しようとは思わない。これも偶然だったのかもしれない。それでも異様さは目についた。そこにいた日本人以外の客たちはその光景を無言で一瞥し、顔を見合わせていた。図らずも、日本の現政権は国際的孤立を深めつつあるが、そうした政治を生み出す素地は意外なほど根深いのかもしれない。」

 日本社会において人は、独立した一個の人格たりえず孤立している。だから、空気に同調することで安心したがり、国家への依存を深めていく。国際社会においても同様だ。日本は、独立した主権国家たりえず孤立している。だから、軍事強国による安全保障に依存するところとなり、対米従属が絶対不変の至上命題となる。

■新しい公共性へ
 どうして、こういうことにならざるをえないのか。この種の忌まわしい悪循環を断ち切るには、何処を断ち切ればよいのか。いかにも難しそうだが、やってやれないことではない。
 孤立・同調・依存・従属――これらの共通点は、自分・自国には自信も力もないから、他人・他国の自信にあやかりたい、力をもらいたい、というふうな、他人まかせの根性にあるのではないか。いつも自分のことしか考えていないエゴイストのくせに、実は自分のことなど考えたことがない。ましてや、他人あっての自分、なんて高尚なことは、なんのことか見当さえつかない。したがって、「尊厳」とか「誇り」など自分自身の存在理由に関わる言葉は、彼らの辞書にはない。他に対する優しい思いやりもなければ、温かい親切心もないのだから。

 断ち切るのは此処ではないのか。他者の力を欲しがるのではなくて、他者に自分を差し出して役に立たせてもらう、他者の力になる、つまり、力をもらうのではなくて、力を差しあげる側にまわる。親切な心、優しい温かい気持ちのあるところに、孤立はない。自分自身を立ち上げることは、他者とつながり、社会へと連なり、ともに「新しい公共性」を立ち上げることがともなわなければならない。

 著者は自らの言葉で、このことを噛んで含めるように説いてくれている。
 「人が自分は無力な存在ではないと気づくことと、他人に親切になれることはおそらくつながっている。他人に優しくなれるのはその人に力があるか、少なくとも力が湧いてきていると感じるからだろう。そして、社会が動くことで、否が応でも社会と自分の位置を意識せざるを得ない。それは自分を社会の一員と認識する契機になる。
 そうだとすれば、逆の説もまた成立する。人が国家や集団に身を委ねてしまいたくなるのは、自分の無力さを骨の髄まで味わっているからだろう。無力感が精神的な引きこもりを促す。そうした世の中では、人はきっと他人に優しくはなれない。」

■「広場」の方向へ
 田原さんがこれらのことを確信したのは、「タハリール広場」での革命体験があってのことだと思う。「広場」についてはすでに詳述したが、重ねて「広場」に関する著者の議論を引用する。「タハリール広場」は啓示に満ちており、その「広場」の方向にこそ日本の未来がある、と確信するからである。

①他人との協働としての広場
「日本で資本の論理が社会を覆い、人の機械化に歯止めがかからない時期に、タハリール広場では一時的にではあれ、日本とはまるで逆の流れが発生していた。端的にいえば、人の尊厳や倫理をカネにまつわる欲得より優先させたのである。そこには他人との協働が、個々の人間をここまで変えるのかという感動があった。」
 • 旧い自分たちとの訣別を迫る広場
「タハリール広場での結集は権力に対する闘いであると同時に、それまでの社会に規定されている旧態依然とした自分たちとの訣別をも迫っていた。」
 • 新しい公共性を育む広場
 「何げないタハリール広場での行動規範には、「あなたは何者なのか」という問いに答えられるだけの自分を取り戻したいという欲求が潜んでいた。自らの力で新しい公共性を広場で育もうという意識があった。」

 集会は、官許のそれに堕落したくなければ、つねに「広場」をめざさなければならない。それは、デモが堕落したくなければ、つねに示威行動でなければならないのと同断である。後者のデモに関しては著者の指摘がある。それは、闘いというものがそもそもどういう性格のものであるかを想起させてくれていて、示唆的である。
 曰く。
 「本来、デモとは「示威行動」という訳語の通り、権力が民衆を軽く見すぎていることに対し、「あんまり図に乗っていると暴れちゃうぞ」と民衆側から警告する行為である。その本質自体が「安全」とそりが合わない。デモは常に暴徒になりうる可能性を含んでいるからこそ、警告たりうる。」

 「デモ」が言葉の正確な意味での「示威行動」を実現し、「集会」がつねに「広場」をめざすとき、ぼくらも世界の友だちとともに、我知らず、危うい一線を踏み越えてしまうであろう。その時は必ずや来る。

■『広場よ』(カイロキー)
 「カイロキー」とは、2011年の「タハリール広場」闘争のなかで人びとの注目を集め、インディーズから一気にスターダムにのし上がった社会派ロックバンドの名前だという。
 著書のなかで田原さんは、「カイロキー」の唄を邦訳し、紹介している。『人びとは踊り、人びとは死んでいく』『広場よ』『君の場にとどまれ』の三つである。それらはいずれも、自分たちの思いを自分たちの言葉にして語りかけており、心を打つ。自前のプロテスト・ソングがお馴染みの輸入革命歌とまるで違うものであることを思い知った。二か所で紹介されている『広場よ』のうちの一篇を以下に引用して、終わりにする。

 「やあ、広場よ、君はどこへ行っていたんだ
 君とともに僕たちは気づき、そして始めた
 僕たちが遠くに行き、そして終わった
 僕たちは自分たちを自らの手で変えなきゃいけない
 君はよくやってくれた。後は僕たちが担う
 ただ、ときどき思い出になってしまうことが怖くなる
 僕らが君から遠ざかり、思想が死んでしまうことも
 だから再び戻っていこう、経緯を忘れて
 そして、君の物語を語り継ごう」