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上山先生の戦争体験(前)「死の覚悟」 たけもとのぶひろ【第44回】– 月刊極北


たけもとのぶひろ(第44回)– 月刊極北

上山先生の戦争体験(前)「死の覚悟」

上山春平

上山春平

 1983年、上山先生は「日本の生き方」と題する講演をされています。岩波書店がこの講演記録を活字にしたのが、同年の10月のことでした。(昨年、明月堂書店が上梓した先生4度目の著作集『憲法第九条――大東亜戦争の遺産』では、第三章付論に収録してあります。タイトルは「大戦の経験から」です。)
 今回は、この講演での先生の発言に耳を傾け、そこから学んでいきたいと思います。先生ご自身の戦争体験から学ぶことによって、自衛隊員の置かれている今日的状況がどのようなものか、よりいっそう自分の身に引きつけて思いを巡らすことができるような気がするからです。

 講演の冒頭で先生は、敗戦後40年近くものあいだ日本が戦争をしていない点に注目して、そのこと自体が、人類の歴史上、いかに特異な、稀有な状態であるか、ということを次のように語っておられます。たとえば、
 「いま、私たちは「日本の生き方」というタイトルをかかげてここで論議をしているわけですが、これは日本という国家の生きる道ということだと思います。国家の生きる道を考える場合に、私たちは、自分自身の生きる道と国家の生きる道を重ね合わせて考えている。」
 「第二次大戦以後は、自分自身の生きる道と日本という国の生きる道を重ね合わせて考えることは自明の理であって、自分の死ぬ道と国家の生きる道とを重ねることは、ほとんど考える余地がない状態にあるわけです。」
 「(こんにちの)日本では、そういう(=自分の死ぬ道と国家の生きる道とを重ねる)考え方が成り立つ余地がほとんどない状態になっているようにみえるのですが、これは、おそらく、歴史上、稀有な状態ではないかと思われます。」

 先生の講演からさらに30年、戦後がほとんど70年になろうとしているいま、日本は、 “史上稀有なる国家” であることをやめて、戦争のできる「普通の国」に向かって大きく舵を切りつつあります。安倍の合言葉「戦後レジームからの脱却」は、それに代わるレジームとして「戦争国家の再構築」を企図するものと言わねばなりません。「平和憲法=9条国家」の看板を外して、代わりに「戦争国家」の看板を掲げる、ということです。
 そして、いったん「戦争国家」の看板を掲げたからには、これまでのように「自分自身の生きる道と日本という国の生きる道を重ね合わせて考える」などという “寝言” は断じて許さないということです。

 では、どうなるのでしょうか? 先生は海軍に志願、入隊された頃のことを振り返って、次のように語っておられます。
 「当時は日本の敗色が非常に濃く、大部分の人が、大学を出て軍隊に入るまでに、死ぬことを覚悟せざるをえない状態でした。ほとんど例外なしに皆さんご体験になったことなのですが、軍隊に入ることは死ににいくことだと考えていた。これは、少しもめずらしくないあたりまえのことだったのです。」
 あるいは、「当時の戦争にいった世代は、日本の生きる道、日本という国が生き延びていく道を、自分が死ぬことと重ね合わせてしか考えることができなかった。自分たちが死ぬことで日本が生きる道を考えるという、現在と非常に隔絶した状況だったと思う。」と。

 先生は、自ら海軍を志願し特攻潜水艇・回天の搭乗員として出撃して奇しくも生還したお人ですから、自分みずからが自分の死を受け容れ得心して死んでゆくには、戦争というものをどのように考えればよいのか、戦争というものの真実はとどのつまり何なのか、ということを、どこまでも考えぬかれたに違いありません。

 先生の答えはごくごく単純明快で、最初に「自分自身の死」「死の覚悟」ありき、という、このひと言に尽きると思うのです。ですが、ぼくの場合、このひと言は、あれこれと言い換えてみて、ようやく自分なりにわかったような気がしてくる、といった具合でした。
 その、あれこれ、の一端を以下に述べてみたいと思います。

 誰だって死にたくないです。生への未練が残っていて振り切れません。死の覚悟と言われても、それを前にして怯み、迷い、躊躇います。それが当たり前です。しかし、その生存本能の言うことをそのまま聞いていたのでは、戦争はやれません。だからこそ戦争は、したがって国家は、最初から死を要求する、命じる、あらかじめ死の約束を取りつけようとするのではないでしょうか。

兵士とともにぼくも思いを巡らします。――「国家の生」というものは、「自分自身の死」をまず抵当として差し出してこそはじめて手に入れることができる、どうもそういうものらしい、と。 あるいは、「自分を犠牲にしてでも」守るべきものを守るというのではなくて、「自分を犠牲にしないと」守るべきものを守ることができない、と考えないといけないのではないか、と。あるいは、「戦って死ぬ」「戦いのなかで結果的に死ぬ」ではなくて、「死ぬと決めたうえで戦う」しかないのかもしれない、などと。

 あれこれと推し測って書いてきました。最後に、それをひらたく再述するとすれば、こんな具合でしょうか。先生は “ もはや自分の生はない、端から死あるのみと死んでかかるしかない、自分が死ぬことによってしか国家・国民は生きのびることができないのだ ”と思い定めて、海軍を志願し、回天の搭乗員として出撃されたのではないでしょうか。