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日本国憲法・第九条にノーベル賞を 上山春平著『憲法第九条―大東亜戦争の遺産』(明月堂書店)が参考になる(11) たけもとのぶひろ【第33回】– 月刊極北

たけもとのぶひろ(第33回)– 月刊極北

今月のラッキー

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日本国憲法・第九条にノーベル賞を 上山春平著『憲法第九条―大東亜戦争の遺産』(明月堂書店)が参考になる(11)

 しかし歴史の事実というものは、安倍首相の逃げ口上のように、「歴史学者にまかせて」おけばよいなんて、いい加減なものではありません。歴史学者の解釈がどうあろうと、動かすことのできない事実というものがあります。わけても世界史的事実となると、広く遍く世界万人の承知しているところです。

 既述のように、国際連合と連合国とは united nations の同語異訳です。この言葉について整理しておきます。米国をはじめとする連合国は、枢軸国のドイツや日本といまだ戦っている戦争末期に、連合国=国際連合(注、物事曖昧化のタメにする日本語特有の欺訳、国際連合という英語はない)を組織し、ほどなく枢軸国のドイツ・日本を敗北せしめます。そして戦後、連合国内部の仲間割れ(?)から世界が冷戦体制へと突入するなかで、彼ら米国主導の国際連合は日本や西ドイツを自分たちの陣営に抱き込み、自陣営を強化します。この一連の国際政治の展開のなかで、彼らが日本を旧枢軸国=旧敵国として管理し、従属せしめるべく意図したことは言うまでもありません。

 米国主導の連合国=国際連合が後見人よろしく、我が国を管理するというのですから、連合国=国際連合が我が国を国際的禁治産者として位置づけていたことは、紛れもない事実だと認めざるをえません。上山先生は「第一章 対談」(上掲書)のなかで次のように発言しておられます。少し長くなりますが、「世界史」の復習と思って読んでください。

 「1947年のトルーマン宣言を転機としてアメリカの対外政策は大西洋憲章に示された反ファシズム統一戦線の方向から反共統一戦線の方向にきりかえられまして、それをさかいとして、従来の「平和愛好国」対「好戦国」という価値尺度が「自由諸国」対「全体主義諸国」(この用語は第二次大戦期に枢軸諸国にたいして用いられたことがある)という価値尺度におきかえられ、かつて味方としての「平和愛好国」側に属していたソ連やその友邦が新たな敵としての「全体主義諸国」のカテゴリーに入れられるようになりました。そして、やがて日本や西ドイツはユナイテッド・ネイションズ(国際連合)の一員に加えられることになるわけです。しかし、憲法制定当時の国際連合が連合国と重なっていて、日・独などの「好戦国」はそれからは一種の国際的禁治産者として除外されていたという事実は、確認しておかねばならないと思います。」

 これらの知識をふまえたうえで戦後日本について、のみならず今日にいたるまでの日本という国について、その真の姿をここに再述してみましょう。
 日本はまず、「禁治産国=要注意国」として管理の対象であった国です。
 だから、一人前の、普通の「主権国家」に至らない、いざとなっても戦争で決着をつけることができない国です。
 要するに、国連加盟国のほとんど全部の国が所持しかつ行使することのできる「集団的自衛権」についていえば、(国連加盟国である以上)所持はしているものの、その権利を行使することは許されないという、奇妙な、もって回ったような裁定(?)を甘んじて受け入れ、むしろこの差別のもと、その制約を逆手にとって、まがりなりにも平和国家・世界平和の建設をめざしてきた国です。
 屈辱的悪条件をむしろ最大限に利用して、戦後いちども直接的には戦争をせず、他国民を殺さず、自国民の血を流さず、どうにかこうにか平和を保ってきた国です。

 結論。「平和憲法あっての平和国家」、それが日本だと誇ってよいのではないでしょうか。とりわけ東アジアにおいて平和が危機に瀕している今日であるからこそ、日本は「平和憲法を堅持する平和国家である」との旗幟を鮮明にして、世界に立ち向かう必要があるのではないでしょうか。

 おおよそ半世紀ほど昔の、60年代とその前後数年をふくむ時代、「平和」は「民主主義」とか「繁栄=豊かな物質生活」とともに、時代の主題であり合言葉であるとともに、所与の条件ですらありました。しかし、それらはいずれも、したがって「平和」も、冷戦体制下の覇権国アメリカによって分与・担保されていたのでした。「平和」は、「民主主義」や「繁栄」と同様、ぼくら自身が自分たちの力でかちとったものとは言いきれません。そのこと自体もちろん残念ですが、それ以上に残念なのは、ぼくらがそのことに必ずしも自覚的ではなかったことです。今からでも遅くないと思うのです__「平和」ということに対して自覚的に直面する必要があるのではないでしょうか。

 このような問題意識からぼくは、鷹巣さんたちの「憲法9条にノーベル平和賞を! [1]」との呼びかけに応えていきたいと思うのです。